事故以来感じ続けていること。
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放射能被害という事柄は、人間の本質 的な部分をクローズアップします。露骨 にその人間の本質がクローズアップされ ます。迷うタイプの人はさらに迷います 。醜悪な性格はさらに強まります。放射 能という目に見えない存在への懸念は、 いろんな人々が、本来はどういう人であ るのかを曝け出します。これは、ある意 味、恐ろしいことです。怖いことです。 僕は自分自身のある種の変容にもそれを 感じることはありますし(自分の本質的な ことの露呈と言う部分に関しても)、身近 な人たちの言説が、実はその人の本質的 な性格が強まって出ていることをよく感 じます。幸いなことに、最も近い数人の 人は、それでも僕が知っていた性格がさ らに強まっているだけなので、今までと 本質的な関係に変化はありません。その ままの感覚です。まだよかったと思いま す。しかし、以前すこしは知っていた人 たちが、実際はこういう人なんだなとあ きれることは多くなりました。人間の中 身が露呈されると、知らなくてよかった ことを知ることになりました。それは、 耐え難い感覚も含んでいます。東京の社 会の中で、表面上のビジネス的な関係と いうのが、本質的な人間関係としては、 まったく重要ではないということは、前 からわかっていましたが、この事故の後 、さらにそう思っています。人間の本質 を、放射能が曝け出す事による副作用は 、実は大きなものだと僕は思います。
(木下黄太ブログより引用)
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あの日以来、人間の本質が見える機会が多くなった。
知りたくなかった一面もある。
事故がなければ、一生見ることのなかったかもしれない、人間の本質。
それは、自分も含めて。
正常化バイアスなんかに負けねーぞ。
自分を失ったらおしまいだ。