Haste not, Rest not

二度と返ってこない今の自分の気持ちを積み重ねる部屋。

隣の芝生

2011-06-25 20:44:05 | 日記
同棲コミュの愚痴・悩みトピを見ていると、
内容がだいたい決まっていて、

○家事やらない(特に休みの日洗い物くらいやってほしい、という)

○散らかす、片付けない、ゴミを捨てずにテーブルの上とかその辺に放置

○飲みとかで家に帰ってこない

○会話がない(ゲームやテレビ、ケイタイばかり)

○無駄遣い、浪費

○セックスレス

こんな感じ。

それまで一人暮らしでちゃんとやってた人も、
やってくれる人がいると甘えるのかもね。

あたしも実家帰ると甘えちゃうもんな。



あたしだって働いてるのになんで家事全般やるのが当たり前になってるんだー!

とか、

そっちは休みの日ダラダラしてるだけだろうけど、こっちは家事で一日終わるの!

自分はやらないくせに(もしくは散らかしてるくせに)部屋が汚いとか掃除してとか言うな!

とか。よく目にする。

あぁ、皆さまだいたい一緒なのね、と思う。



なんか、難しい。
一人は寂しいし二人は楽しい。
でもやっぱりそれだけじゃない。

ギブアンドテイクの価値観がしっくり来ないと不満がうまれるのね。

でも言えない。

喧嘩したくないから。
言っても直らないだろうから。
自分が我慢すれば済む問題だから。
相手も疲れているだろうと思うから。
好きだから。
などなど。

相手はそれが当たり前とか思っちゃってたりする。

というか意識の端にものぼってなかったりする。

で、不満が溜まりに溜まって爆発する頃には手遅れだったりする。

修復できないほど溝が深くなっていたりする。

で、同棲解消トピに書き込んじゃったりする。

そういうの、いくない。

ってわかってても言えないんだよねー。

恋なんて惚れたもん負け、とつくづく思う。
かなしいけれど。

オンナノコトバ

2011-06-16 19:13:23 | 日記

私の尊敬する身近な女性たちの印象的な言葉たち。



「体はすぐ飽きるから。

 最終的には、お互いリスペクトできる要素だけが残っていくもの。」



「家を建てるとか、子どもを育てるとか。

 そういう2人共通の目標がないと、夫婦はうまくいかない。」



「いつまでも女として見てもらいたいし、

 男なら強引に押し倒してほしい。」



「手をつながない男なんて可愛くないわ。

 街でも人が見ていない所でキスしてくれないならつまらない。」



「男は放し飼い。

 閉じこめると息苦しくなって逃げ出すから。」



「『あなたがいなくても他に候補はいるのよ』と匂わせておかないと、

 男は安心しきって浮気にいく。

 独占欲を満たしたら次に行く生き物だから。」



「まさかあなたが惚れてるの?

 ダメよ、惚れさせなきゃ。」



「あちこちほっつき歩いても、食事とベビーで男は家に帰ってくる。」








これぐらい強気でいられたら苦労ないんだけどね。笑





独語

2011-06-15 14:15:08 | 日記
頭痛が抜けなくて、薬を買って飲んでしまった。

偏頭痛ではなく、頭全体を締め付ける痛み。

風邪症状はないから、原因は謎。

薬が効いて頭痛は和らいできたけど、その分頭がぼうっとする。

一晩寝たら治ると思っていたのになぁ。

休み明けだから仕事は元気に行かなければ。

以下吐き出し。














ここ最近の全てにおけるモチベーションの低さといったら自分でも驚き。

原因と思われることのいくつか。

デカイのは仕事。

ハード面について。

スタッフ不足による先月からの休日減+夜勤増。

休日は1日マイナスなだけだけど、この1日がけっこーでかい。生活を営む上で。

元々夜勤が得意でない体なので疲れが抜けない。

この状態が来月も続く。

(休みナシの仕事なんて…二度と戻れません。
現役中学校教員の方々、心から尊敬します。お疲れ様です。)



ソフト面について。

稼働率を上げるべく、ロングの受け入れを開始。

そういう使い方を希望される利用者様は、介護度が重い場合が多い。

そして職員の高齢化。
高齢の職員=ベテラン、という私のイメージはこの職場で一変。
悪いけど、動きが悪い。
利用者が立ち上がっても気づかない。
気づいても動こうとしない。
酷いと指示されても動かない。
あなたボランティアの方ですか?という。

⇒自分が動いた方が早い。ので動く。

⇒向こうは「自分が動かなくても誰かが動く」と学習する。(そういうことだけは学習するらしい)

⇒ますます動かなくなる。

負のスパイラル。

カバーしてもらってる自覚ないのがよけい腹立つ。

後追いで走ってばかりの日々に、げんなりしてきた。

先手打ちたくても、一人じゃどーにもなりません。

最近ようやく上の人が面談してるらしいけど、

今までもよくなったのはその場だけだったし。



総合すると

休み減+夜勤増+職員不足+いる職員でも動けるのはごく一部+介護度の重い利用者様増=一部の動ける職員への負担増大。

来月入る職員も動けない人だったら、
動く職員が潰れます。

数字のことしか考えてない上層部と
やる気のない職員で
どんな施設運営ができると?



偉そうなこと書いてますが、私だってミスはします。
色んな人にカバーしてもらってます。

だけどそういう自覚があるからこそ、
自分がやれることは全力でやってるって胸はって言える。

一部の職員さんも見てくれてる。

利用者様にも「よく動くわねえ」と言ってもらえたり。(本来慌ただしい姿は見せてはいけないのだが)

それにかろうじて救われてる。



早番で帰ってもぐったりしてしまって、

そのまま寝過ごしてご飯作れなかったりとか。
それが情けなくて。

私生活くらい充実させたいのに。

強靭な心身がほしい。

無題

2011-06-11 17:09:17 | 日記
休憩中だけど驚きのあまり携帯から投稿。



mixiニュースで、「仮設住宅予定地に腐敗臭と大量のハエ」という内容のものがあって読んだ。

実際の臭いというのがどんなものなのかは、
ネットやテレビ、新聞などでは伝わらない。

被災地に実際に赴かなければ実感できない問題だ。

記事によれば、水産物の腐敗による臭いとのこと。



小学生のころ、社会科見学で、ゴミ処理施設に行ったとき。

あの臭いの衝撃といったら。

被災地で問題になっている臭いは、きっとあんなもんではないのでしょう。

堪えられないくらいだからこそ、問題になっているのではと。



このニュースについて投稿されているブログを読んで、あまりに驚いたのは、

「我慢しろ」
「生きているだけで感謝しろ」
「臭いくらいで贅沢だ」
「自分達は何もしないで人に頼ってばかりの被災者」

といった内容のものがあまりに多かったから。

ひとりひとり取っ捕まえて、
ハエだらけの異臭漂うその場所に住まわせて、
代わりに被災者の方を安穏と暮らしているそいつらの家に連れて来たい気持ちになった。



すべてを失った被災者の方々の気持ち、
今もなお「当たり前」の生活を送れずに不便な思いをしている人達の気持ち、
その人たちの立場にたってみたら、そんなこと絶対言えない。



その地に立ったこともないような人に、そんなこと言う資格ないっつの。

そういう輩こそ、いざ自分が被災したら人のせいにしたり批判したり小さなことでもあーだこーだ言うんじゃないのかと思う。

ひとの気持ちを汲もうとする姿勢もないやつに、
大変な生活に堪える力なんかあるわけない。



ああ、腹立たしい。

水どう日記

2011-06-08 17:25:58 | 日記
6月2日付の日記を転載。
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さて、先日の新聞に「屋根の上の船 解体進む」という記事がありました。

岩手県大槌町。津波で民宿の屋根の上に載ってしまった船が陸におろされて、いよいよ解体作業が進んでいるという話です。

津波の恐ろしさ、すさまじさがわかる象徴的なものとして、誰もが見たことのある、あの風景。

今回の震災を後世に伝えるためにも「あの建物と船を保存すべきだ」という意見がある一方、「被災者の心情を考えれば、いつまでも傷跡を残しておくわけにはいかない」という考えです。

両者の意見は、ともに間違ってはいないと思います。どっちも正しい。

でも役所は、保存すべきか、解体すべきか、どちらかの判断を下さなければならない。どっちも正しいけれども、現時点ではどちらかの判断を下さなければならない。

で、役所は「解体」という判断を下しました。

判断の基準となったのは、「今」の被災者の心情を考えて、ということです。


先日、広島に行きました。

お恥ずかしい話ではありますが、私は今回、生まれて初めて原爆資料館を見に行きました。

1945年8月6日。
人類が初めて、核分裂を利用した兵器を使った日。

あの日、広島の上空6百メートルで、原子力爆弾が炸裂しました。爆弾は放射線をまき散らし、2千度という猛烈な熱量を放出して、一瞬のうちに広島の中心部をすべて焼き尽くしました。

でもそんな大惨事の中で、爆心地からほど近い、ある建物だけが、奇跡的に原型を残しておりました。

当時の広島の人たちは、その建物を横目に見つつ、でも身の回りのことに手一杯で、その建物のことなんか、かまっていられなかったんだと思います

ようやく20年以上が経過した1967年。

あの日以来、ずーっと放っておかれたその建物が、未来に渡って保村されることが正式に決まりました。その建物は、上部に特徴的なドーム型の屋根があったことから、「原爆ドーム」と名付けられました。

あの日から、66年が経とうとしている今も、原爆ドームは当時の形を残したまま、そこにあります。

今でもそこにある。

教科書にのっている「広島に原爆が投下されました」という事実が、形として、今でもそこにあり続けている。

もし、当時の広島の人たちに、あの建物を解体する力があったのなら、たぶんすぐにでも解体していたと思います。だって、その建物を見るたび、あのときの恐怖がよみがえってくるから。そんなことよりも、「次」を見なければいけないから。

でも、当時の広島の人たちにはそんな余力がなかった。

それが20年経って、ようやく広島の人たちに、「これを残しておくべきだ」という精神的な余力が生まれた。20年が経って、「あのときの恐怖を消し去りたい」という気持ちよりも、「あのときの恐怖を未来に残しておかなければならない」という気持ちの方が強くなった。

それでぼくらは、66年が経過した「今」も、原爆ドームの前に立てば、あの日のことを、我がことのように感じることができる。

そして「今」、あらためて思う。

いかなる理由があろうとも、何十万人という人間を、一瞬で消し去ってしまうような原子力爆弾を作ってはいけない。いかなる理由があろうとも、未来永劫、日本人として、「絶対にやってはいけないこと」がある。

そう強く思う。

今の日本には、解体したいと思ったらすぐに解体できる力があります。重機の手配さえできれば、なんだって壊すことができる。66年前の日本にはなかった力です。そんな力をわれわれは持っている。「今」に必死で、「今」しか見ることが出来なかった66年前とは違って、「今そこにあるもの」を、いとも簡単になくしてしまう力があります。原子力を、発電という便利な方法に変える力すら持っています。

だからこそ、ぼくらは昔の人たちよりも、もっと考えることが必要なんだと思います。「今」のことだけではなく、「未来」をも見ておかないと、いとも簡単に壊し、いとも簡単に作ることができてしまいます。66年前の人々よりも、目先の感情や利益ではなく、もっと知的に想像する力を持たなければいけないんだと思います。

何か重大な判断を迫られたとき。

ぼくらが「今」ではなく「未来」を、「自分の明日」ではなく「将来を生きる子供たちにとってどうか」ということを考えたらどうか。

そうなればぼくは、迷うことなく様々な判断ができると思います。

いつか遠い将来、「あなたたちの判断のおかげで、今の私たちがいます」と、そう言われるとしたら、ぼくらは「カッコよかったな」と思います。

カッコよくありたいですよ。本当の意味で。

ではまた明日!


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水どうの最大の魅力は、「人間くささ」だと私なんかは思う。
素直に泣いたり、小さなことで怒ったり、くだらないことで大笑いしたり。
面倒くさいことはズルしてスルーしようとしたり。
そういう人間くささを包み隠さず表現している辺りが、見ていて心底安心するの。
そんな、最高に「人間くさい」彼らだからこそ、
こういう日記に説得力や共感を呼ぶ力が出てくるんだと思う。

同じ正論でも、「あんたが言ったって何の説得力もないんですけど」ってこと、あるけど、
その逆パターンね。