Haste not, Rest not

二度と返ってこない今の自分の気持ちを積み重ねる部屋。

木下黄太ブログ 転載

2013-03-31 07:39:38 | 放射能

熱があるので、継続的な思考が難しいのですが、僕が今考えているのは、日本のドメスティックな意識が蔓延していることにどういうふうに対処していくのかと言うことです。
 ドメスティックは、家族内、あるいは国内のような意味でつかわれます。ドメスティックバイオレンスが一番わかりやすい例かもしれません。家庭内暴力。
  僕は、ずっとこの用語、ドメスティックは、固着化した関係の内部に、囚われ続けている状態を指している用語だと考えていて、外に開放的に向かう性向を疎外し、人を周りに絡め取らせるような意味合いを有している用語と考えています。内向きですが、自らの意識の内奥を探し求めるような探求的なものではなくて、本当にまわりや、既存のものにとらわれていく感覚です。
 僕にもこうした意識が多少はありますし、拘ってしまうことも、多々あります。しかし、それでも、通常のみなさんよりは、僕にはそうしたドメスティックな意識は少ないだろうと思っています。そういう僕に対して、「中国人だ」「朝鮮人だ」というレッテルを張って、差別的な言説を吐く妨害者は多数いますが、たぶんその感覚は、この人々が依存しているドメスティックな意識に、僕の依存度が薄い事があからさまで、それへの嫌悪感がこうした文言にあるのだろうなと、前から思っています。
 それでも、僕は、組織というものは、結局は、何事か起きた時に、対応できるシステムでなければならないし、その構成員にとって、組織にいることによって、メリットがもたらされる状態でなければ、本質的に組織としての体を為していないと考えます。その意味で、3.11以降、日本の組織はその存立基盤を思想的にほぼ失ったと思っています。特に戦後、新しい民主主義国家というフォークロアを信じさせてきた流れの中で、人々の命を守らない国家、政府、行政、企業、報道機関、家庭になんの意義を見出すのかは、極めて難しい状態です。
 このドメスティック化は、組織や集団内部、家族間にとどまりません。自分が、慣れ親しんだ習慣、流儀、雰囲気ということまで広範囲に考えるべきだと思います。どうした事柄に対しても、こうした感情、囚われて、そのシステムの中で考えることに連なっていく状態なんだろうと思います。これは、体制のシステムとしても機能していますし、一人一人の心の中で、「意識のドメスティック化」が続けられているのだろうと思っています。
 放射能の問題は、まさにこの「意識のドメスティック化」というものを、さらに無理やり顕現させたものに他ならないと僕は思います。表に出した炙り出しのマシーンです。
 自分たちが、つまらないけれども、特に激しくない日常を生きていることを、自分の人生として受け入れ続けてきて、未来もそうある筈の殆どの人々は、この「意識のドメスティック化」を潜在的に、収斂する日々だったのだろうと思います。しかし、3.11以前は、それは潜在的なもので、そうしたことを見据えずに、自分の目標や夢、達成願望を表面上は掲げている人が大半だったと思います。
 しかし、この放射能の問題がおきたことで、偽りの看板は脱ぎ去るしか無くなったということです。
 破滅的な状態がおきる可能性も想定される事態にも関わらず、そうしたことを見据えることさえ、一定程度の人々は拒絶し、ごまかして生きていることになりました。勿論、何も気がついていない人々もいます。こうした人々ならまだしも、一定程度気がついていて、ごまかしている多くの人達がいることが、僕にはある意味とても怖ろしく思えます。
 この人たちが、「意識のドメスティック化」をさらに、あからさまに、積極的に進めようとすると僕は、思います。これは、誤魔化しの集大成であり、お互いの意識を裏切らせないための、相互監視システムへと進化していくことは容易に想像できますし、現在もその兆候はあちこちに見えています。
 これにどのように抗えるのか。その方法論はどこにあるのかということです。
少なくとも、この行きつく先は精神的な意味合いでの「内戦」しかないでしょうし、場合によっては、海外で、「流浪」を我々が選択するしかなくなるかもしれません。どちらもきつい話です。
ここにあるのは、絆とか何かの繋がりを賛美する話では到底なくて、実は根本的な断絶となります。
しかしながら、問題は、今、圧倒的少数に見える我々が、本質的に圧倒的少数なのかどうなのかということです。情勢の分析が必要なのです。
 「意識のドメスティック化」が我々をさらに少数に追いやろうとするでしょうが、実際にリアルな事態の進行によって、こうした「意識のドメスティック化」が、そのままの勢いで継続できるのかどうかということは、実は疑わしいのではないかと僕は考えています。
 それは、結局どこにも、なんにも得することがないからです。個別の生命体にとって、その生命体としての安全確保が、やはり最重要案件で、この「意識のドメスティック化」はそれを補助するのであれば、有効なのですが、少なくとも、危険回避という普通に最初の選択肢として取られることさえ、拒絶するよう感化させている今の事態から考えても、実は逆にその有効度は減少しつつあると思います。
そうなると、生命体として、より自分を大事にしていきたい個体から、率先して守ることになります。自分や自分の愛すべきものを。
であるならば、ある意味、初期避難者が、社会的にはわがままなタイプの人が多いのも当然ですし、特に初期の沖縄避難者でそうしたことが多いのも、実は論理的だなあと僕は思います。
でも、二年のフェイズが過ぎて、事態は変ろうとしています。
 良い意味で、たとえば女子アナのように、自己愛で我欲が強い人達ばかりでなく、自分と家族、自分と身のまわりとの関係の中で、この事態に、見ざる言わざる聞かざるを続けてきた人達、まさに「意識のドメスティック化」を続けてきた人達が、否応なく、リアルを直視して、意識を外に向かうしか、術がなくなってくるだろうということです。
 それがはっきりするのは、自ら為すべきことを喪失し、為すべき役割がなくなり、遂には、生存の意味合いを見失うからです。放射能によって本質が徐々に露呈するからです。過去、「意識のドメスティック化」は、保守的なシステムにおける、安定装置としてなら、うまく働いたのですが、そもそも生命の危機が想定される事態に、その想定をないがしろにし、危機管理という概念さえも放念させるために、機能しようとするものとである限り、それは大きな働きを続けることは難しくなります。
 どこかで大半の生命体は、その生命体の維持を優先させることになり、その優先を怠った個体の末路は簡単明快なことになります。だから、事態は確実にはっきりしてきます。
 とするならば、「意識のドメスティック化」よりも、人は何を求めるのか。人は外に、リアルに志向します。それは、自分の内奥を更に更に見つめることと、本質は同じです。
その時に初めて、いろんな形で、貴女は、次を見出すことができるはずです。次の未来を。楽しいばかりではありませんが、少なくとも次のフェイズがある未来を。
恐らく、そうした状態に多くの人が置かれることになります。もちろん、前向きに選べない人もいるでしょうが、あきらかに、確実に、先に進む人たちが出てきます。これは、他に進む道がないからです。否応なく、進み方がなければ、そこを歩むしかなくなるからです。
これが、二年という時間が経過して、この後におこることだと僕は考えています。全体としてこうなるという事でなく、自覚していた中の一定数が動く可能性を感じています。背に腹は代えられないと言ってもよいかもしれません。

わたしが生まれた日。

2013-03-25 21:20:52 | 人生
この日は年甲斐もなく希望休をとり(笑)、
彼とお出かけ!

念願のバルバッコア•グリルに行ってきたよ!!*\(^o^)/*
めちゃイケのガリタ食堂でデブエット♡♡♡

開店直後に行ったら、予約してなかったけど、すぐに入れた(((o(*゜▽゜*)o)))





店内に入るとサイン入りのお皿がずらーり。


お肉とサラダバー、デザートバー食べ放題で3600円☆
時間制限は本来ないみたいだけど、
この日は13時半まで、と言われました。
2時間弱あったからよゆうo(`ω´ )o



お肉は店員さんが串刺しになったやつをテーブルを回って切り分けてくれる♬
ちなみに、店員さんは全員ちょー男前です。笑

お肉カモンのときは、コインの緑を表に。
いったんストップしたいときは赤を表に。
緑を表にしておくと、イケメンが続々と来てお肉を切り分けてくれるので、
こまめに赤にしないと、すぐにお皿がいっぱいに。。
お店に入ったときはそこそこ空席あったけど、
正午あたりからどんどん混み始めて、
あっという間にほぼ満席になったのだけれど、
店員さんの数が多いからフロアが全然バタバタしてないのです。
隣のテーブルでモノが落ちたら、イケメンが3人くらい一気に集まってきてた!笑

帰り際に聞いたら、一日に30人くらいはスタッフがいて、
総人数は100人はいると思います、ってさ!∑(゜Д゜)
そういうところだよね。。うん。。企業の差。人の数にはやはりかなわんのだよ。多けりゃいいもんではないけど、足りないのは論外。

フロアが広くてオープンだから、ワイワイしてて来やすいのか、
子ども連れの方もけっこう多かった☆

サラダバーのサラダも充実してたし、
デザートバーもまあまあでした◎

そしてお肉。お肉はぜんぶ柔らかくて美味しい!
牛のいろんな部位と、鶏ハツ、ローストチキン、ラム肉。
個人的には、ラム肉が他のお店で食べるよりもあの独特なクセが強めで、
まさにクセになりそうとはこのこと的な!
あのクセのある味が好きなのよねん。
プラス焼きチーズと焼きパイナップル!
これが美味♡
チーズはプロセスチーズを配合を変えて、焼いても表面が溶けずにこんがり焼けるようにしてあるんだって!
外カリカリ、中やわらか濃厚♡
そして焼きパイナップルもジューシーなのでしたっ!
切ると中から果汁がじゅわー(((o(*゜▽゜*)o)))
外は香ばしくて、いくらでもいけそうな逸品♡

ただやはし、
肉というのはすぐにお腹いっぱいになってしまうわけで。
味付けも、岩塩とコショウでしっかり味で、それがまた美味しいんだけど、
でもそれがまたお腹にたまるわけで。。笑
お肉だけで元取った感は難しいけど、
でもそれ以上に、
雰囲気とか、お肉の味とか、サービスとか、店員さんのレベルの高さとかで満点満足です。*\(^o^)/*

もう後半は食べてない種類のお肉を食べたかったから、結局注文してた 笑
でも、快く受けてくれて、コイン赤にしててもちゃんと持ってきてくれた♡
居心地よかったわー♪( ´▽`)

たらふく食べたー!





食べたあとはお花見!
念願の日本武道館と靖国界隈の桜を見に九段下へ。

地下鉄からの階段を上がって、出口を出た瞬間に、圧巻!
あまりの迫力に仰天して、思わず「わぁっ!」って声が出てしまった 笑





春、満開!!
すごい迫力ー!!
心臓バクバクしちゃった。

春のお散歩は、しあわせ。
ひとりよりも、ふたりで。



ちなみに、誕生日プレゼントは、外付けHDDにしました*\(^o^)/*
iTunesで重くなってたパソコンが、
HDDに逃がして軽くなって快適ー*\(^o^)/*
たまった写真もついでに入れちゃった☆
眺めてたら懐かしかったー(´-`).。oO♡
遠恋してた頃のとか、
博多とか、タイとか。。
思い出がいっぱい。

そして、この前日には桜坂にも行ったよ♬









夜勤明けで、道中ほとんど寝ちゃってて。。( ;´Д`)
夕食はビリーザキッドで。
ここのお肉と雰囲気はやっぱり最高♡
あ、二食連続お肉食べてますね我々…笑












28歳になりました。
あんまり年齢をを言いたくない歳に入ってきましたが。。

でも、元気に歳を重ねていられていることに感謝してます。
健康には何ものも替えられない。

となりにたいせつな人がいて、
家族も(ひっじょーに色々ありましたが)とりあえず元気で、
周りにもいい人たちにめぐまれていて、
仕事は大変だけどとりあえず次を見据えられているし、
仕事がないよりはずっといいとは思うし、
SNSとかでも昔の同級生と繋がれたりして、新鮮な刺激がたくさんあるし、
とにもかくにも不自由なく、
自分の思う通りに生きられる今がとてもしあわせ。

こうして生きていられるのも、周りの人たちのおかげです。

めいいっぱいの、ありがとう。

今晩の夕食。

2013-03-21 21:14:02 | 料理
というわけで、本日のメニュー。


•大根のコンソメ煮 とろーりチーズ乗せ
•キャベツとベーコンのオイスター炒め

美味しくできた♬
チーズのチカラは偉大だ♡

お味噌汁作るの忘れた。。( ;´Д`)

そして写真は自分が食べた残りだし。笑

明日夜勤前に食べよー。

和食。

2013-03-21 18:47:25 | 料理
昨日の晩ごはん。

•ごはん
•豚汁
•なすと大葉の味噌炒め
•納豆とキャベツの和風サラダ

久々に和食!
こないだ田所ラーメンで、
味噌はカラダにいい!みたいなラミネートを見て、
そういや味噌あったな。使わなきゃ。的な。
そしたら案の定賞味期限ギリギリ。。Σ(゜д゜lll)

豚汁は野菜たっぷり具だくさんで、
豚肉は下ゆでして余分な脂は落としました☆

でも、なすの炒めものでめっちゃ油吸っちゃってるけどね。
でも、それがうまいんだわー。笑

豚汁は最後にごま油ほんのちょこっと垂らすと尋常じゃない美味しさに*(๑´ڡ`๑)
byクックパッド様♡

キャベツと納豆のサラダは初めて作ったけど、
超簡単だし、めっちゃ量イケる!
これはリピ決定ですね♡

今日は余った大根とキャベツと納豆を何に変身させようか思案しながらの帰路。
彼は付き合いで遅くなるから、
自分の食べたいもん作ろう。
っていつもそうだけど。笑
久々にお味噌汁つくろー。
多めに作って明日も出勤前に食べよー。
お豆腐買わなきゃ♫

ゴッチの日記 転載

2013-03-19 11:10:28 | 人生

あれから2年
(2013/03/11 06:21)

 震災から2年が経った。

 当時、都内のリハーサルスタジオで感じた揺れは、はっきりと生まれて初めて感じる種類の振動だった。建物の外に避難しながら、小さい頃から心配されていた東海地震のことも思った。とにかくどこかで、とてつもない地震が起きたのだということは分かった。路上では電線がヒュンヒュンと音をたてて揺れていた。

 スタジオのロビーに戻ってテレビを点けたところまでははっきり覚えていて、あとはフジテレビの近くから黒煙が上がっている映像が焼き付いている。どの時間から日本の地図が津波警報や注意報を示す赤や黄色のラインで囲まれたのかは覚えていなくて、どこの町かは知らないけれど、漁船が押し寄せる波をかき分けながら川を遡上するように進んでいる映像と、港や水産加工会社などのカゴが流されていく映像も頭のなかに今でも残っている。その映像をみたときは「うわー!」と思ったけれど、実際の揺れからはしばらく時間が経っていたので、沿岸部の人たちはどこかに避難しているだろうと思っていた。そして、夕方前にマネージャーの車に乗り合わせて、自宅へ向かった。

 高速は通行止め。仕方がないので下道で自宅に向かった。横浜に入ったあたりで日が暮れて、三浦半島の先まで真っ暗であることが分かってとても驚いた。コンビニくらいしか電気が点いていないブロックもあって、人がぞろぞろ歩いていた。道路も大渋滞で、俺はコンビニに車を寄せてもらって、パンと水を買った。コンビニはまだそれほど混んではいなかった。

 自宅のまわりは真っ暗だった。信号さえも点いておらず、家にいても落ち着かないので近所の体育館に避難した。体育館は通路や別室までひとで溢れていた。炊出しの冷たい具無しチャーハンのパックをもらって食べ、毛布を借りて白いマットを旅行でやってきたが電車が止まって帰られなくなったという老人男性とシェアして、横になった。老人はそのあと、車で迎えにきた友人の家に行くといって帰っていった。俺は横になったが、マットは固いし、寒いし、なにより不安で、まったく寝られなかった。3時まで起きていると町に電気が戻り、どうやら自宅付近の停電も解消されたようだったので、自宅に戻って休んだ。

 次の日の朝になって、本当の被害が露になり始めた。TVでは、建物の上やグラウンドでSOSサインを出しているひとたちの映像が放送されていた。俺はソファーに横になったまま、動けなくなってしまった。急激なストレスからか、ズーンと後頭部を締め付けるような頭痛に襲われて、その日のリハーサルは休ませてもらった。ニュースをずっとみていたはずなのだけど、細部が抜け落ちている。何か変なスイッチが入ったのか、そこから数日であったことの前後関係を上手に記憶していない。何が先で、何が後だったか、まったく思い出せない。とにかく大きな戸惑いの中にいたことだけは感覚として残っている。


 2年後の今日は、昨年と同じく日比谷公園で行われた追悼イベントに出演した。会場に着くと様々なスピーチが行われていて、やや震災よりも原発問題に寄った雰囲気に違和感を感じた。今日くらい、震災のことだけ考えてもいいんじゃないかと思ったりもした。後のトークセッションや夕方に参加した講演会でも、なんとなく3月11日に話す内容としてふさわしいのかどうかという逡巡があった。もちろん、役割はまっとうしたのだけれど。

 2時46分に黙祷。脳裏に大船渡や陸前高田、気仙沼、石巻、仙台の荒浜地区、南相馬の萱浜、行ったことのある場所の風景が浮かんだ。それは一瞬だし、いろいろ混じり合って鮮明なものではないけれど、塊として目蓋の裏側に浮かんだ。俺はグーっと胸が苦しくなって、「逃げろ、逃げろ」と繰り返し心の中で唱えた。あの日のあの時間を思って、それから起きたことを思って、「逃げろ、逃げろ」と何度も思った。それは届くはずのない言葉だけれど、もしかしたら、時間や空間を越えてあの日のどこかの誰かに届くかもしれない。笑われてしまうかもしれないけれどそうやって念じた。追悼のために鳴らされた鐘の音を聞きながら、大きな「震災」のなかであった喪失の数々をまとめて祈るというよりは、モニュメントとしての2時46分を思うと反射的にそうなってしまう。去年もそうだった。静かに祈りたいのだけれど、「逃げろ」という言葉が強い後悔や悲しみとともに浮かんできてしまう。

 まだ、自分は戸惑ったままなんだと思う。

 また現地に行くことがあれば、それぞれの町の、それぞれの場所で手を合わせたいと思う。静かに祈りたい。3月11日。