Haste not, Rest not

二度と返ってこない今の自分の気持ちを積み重ねる部屋。

ついき

2012-10-28 23:03:06 | 仕事
私が
「この人はすごい」とか、
「この人みたいに仕事できるようになりたい」
と思うような人が、
辞めることを選択する職場は、
やっぱりいい職場ではないんだと思う。
セクションや年齢、立場に関わらず。

おつかれ!

2012-10-28 22:57:50 | 仕事
きょーは自分がんばった!

よくやった自分!

帰りの電車なう。

定時17時30分ですけどね!



なんだか最近(って前からだけど最近特に)鬱憤たまって箱で、

もう管理者さんに不平不満愚痴言いたいことぜーんぶ言っちゃった。

管理者さんうんうんって聞いてくれるからついつい話しちゃう。

管理者さんも鬱憤たまって箱みたい。



あー、飲みたいな。
ショートは(常勤同士は特に)シフト合わないから難しい。

要は、あたしは今の会社の体制やら施設長のやりかたには、
ついていけませんってことです。

すり減るだけすり減って、
何も返ってこないよ。
疲弊するだけ。

パートで継ぎ接ぎ人員増やしたって、
軸になる人間が少数派だったら、

結局は一部の人間だけに負担がのしかかるんだよねー。

しかも、その数少ない軸をあっちゅーまにいとも簡単によそに異動させちゃうしね。
私のだいすきな人ばかり抜けていく。
終わってるわ。
ショートをなんだと思ってるの?
やっと育てたと思った人をどんどん抜けさせてはまた新しい人を育てて。
同じことの繰り返し。
もう疲れた。
こんなんじゃいつまでもスタートラインだ。
サービスの向上なんてとてもじゃないけど望めやしない。





次の夏のボーナスまではがんばろう。

で、有給消化して、
彼と夏休み合わせて旅行して、
母親とも旅行して、
やめよう。
と決めています、勝手に。

もーうんざり。

本当は春に辞めたかったけど、
有給楽しくなかったら意味がない。

今までがんばったんだから、数ヶ月くらいは我慢の子。

次の職場の最低条件は
○夜勤がないこと
○夏か冬にまとまったお休みがあること(3日~5日とかでいいから)
 →つまり月9休のシフト制はアウト。
○家から今の職場よりは近いこと

かな。
これしくじると正社員捨てて転職する意味ないんだよな。



とにかくもう夜勤は勘弁。
事故発生時真夜中に自分の運転で病院受診とか勘弁。
センサー重なって頭痛がするとか勘弁。



あと半年…
有給だけを楽しみにがんばる。

この仕事は好きなんだけどな。

好きだからよけいに許せないこともあるしね。

転職したって、似たような職場かもしれないけれど、

条件がクリアできれば身体はだいぶ楽になる気がする。

はじまり

2012-10-27 23:19:22 | たいせつなひと
端末の写真をさかのぼって眺めていたら。



あなたに見せようと思って撮った写真。



空のせまい東京からやって来たあなたに、

空がでっかく広がる景色を見せたくて。



日付を見たら、私たちが出会った3日後でした。



あのとき、私たちの3年後がこうなっているなんて、

想像もしてなかったな。



3ヶ月後には東京に帰るひと。

その後はきっと会うこともないひと。

の、はずでした。



そうならなくてよかった。

それからも色々あったけれど、

その色々のたびに、さよならを選ばなくてよかった。



あの頃と、あなたを想う気持ちだけは、
今も変わりません。



あなたも、そうだといいな。



今も、「必然」と、思ってくれていますか?



私は、「偶然」と、言い張っていたけれど。



今でも、すべては「偶然」と、思っているけれど。



でも、この出会いだけは例外で、

「必然」だったと、

「必然」であってほしいと、

思うようになりました。



そして、

自分がそう思うなら、きっと、「そう」なんだとも。






















なんだか急にセンチメンタルな気持ちになったのは、

秋の夜の肌寒さと、
治りかけの風邪のせい、ってことにしよう。

毎日一緒にいるし、

今さら言うことでもない気がして、

こんな風にしか、いつも気持ちを伝えられないけれど。

伝えようと思ったときくらいは、

できるだけ伝えたいから。



出会ってから、ずっと、ありがとう。

B'z LIVE-GYM 2012 -Into Free- EXTRA

2012-10-22 13:08:26 | お出かけ

 

彼がいつの間に(笑)ゲットしていた今回のライブチケット♪

ありがたや~。

チケットというか、今回はQRコードでチケットと交換、

しかも写真付き身分証明書も提示という厳重っぷり!

ホントに確認するのかなあ…??と疑問をもちつつの出発。

 

天気は快晴…ではなく、残念ながら富士山は拝めなかったけど、

いい景色の道中♪

 

 

 

上河内SAにて。ギョーザの木??

 

 

 

ライブ前の腹ごしらえ。

本場仙台の牛タン☆

仙台駅近くの利久にて。ちょっといいお肉を頼んでみた!

芯タン?っていうみたい。レアでジューシー♪

 

 

 

こっちは彼が注文したセット。

牛タンステーキがめっちゃ美味でした!

大満足♪♪

 

 

 

ライブ会場到着~!!!!

今回は急遽だし、ツアートラックないかなー??と歩いていたら、人だかりが!

かっこいい~☆

逆光でうまく撮れなかったのが残念。。

 

 

 

178ナンバー♪

駐車場にもわんさかいた!笑

 

 

 

ひととおりツアーグッズを見て、チャリティのブレスレットをゲット。

がんばれ東北!

 

そういえば、高速道路のところどころで、

「ありがとう日本 がんばります東北」

みたいな垂れ幕があって、印象的でした。

 

開場まで待つあいだ、思いのほか寒かった!さすが東北…

 

いよいよ入場!とQRコードと免許証を準備。

いかにも「学生」さんのスタッフが、スーツ姿でずらっと。。

ていうか、うちらが並んで待ってる間に説明受けてるし 笑

これ、エラーとか起こすんでないの…と一抹の不安。

コード読むためのコンピュータは30台くらい並んでました。

 

わたしたちは先頭近くに並んでいたんだけど、いざコンピュータ前へ。

端から3番目のところへ直行。

コードを読み込んで、そして免許証もしっかり確認してました。

よし、チケット発券!

と思いきや、、いきなりのエラー 笑

せっかく先頭近くだったのに、タイムロス。。。がいん。

ていうか、スタッフの女の子、気丈に見せてたけど、テンパっただろうなあ…笑

 

 

 

そして入場~!

チケットは、スタンド席でした。。しゅん。

でも、ライブのプレミア度を考えたら、

来れただけでわたしとしては奇跡だったのでよし!

 

開演までの間、お互いにFBと格闘。笑

電波がよくなくてバグもありなかなかアップロードされず、いー!となる。

チェックインするとなぜか横浜になるという。。なぜ!?

ていうか、普段からFBバグ多すぎっ!

でも、おかげで開演まで全く退屈せず。笑

 

いよいよ開演!

小さい会場だからか、バックスクリーンがなく、

オペラグラスにいっぱいお世話になりました。

いつもの派手な演出がなく、

ライブハウスみたいに普通に登場したのが逆に新鮮 笑

 

以下セトリ↓

1 Love Bomb(愛のバクダン 英語ver.)

2 GO FOR IT, BABY-キオクの山脈-

3 ultra soul(英語ver.)

4 Splash(英語ver.)

5 Brighter Day

6 Easy come, Easy go!

7 MOTEL

8 もう一度キスしたかった

9 愛しい人よ Good Night...

10 ZERO

11 ミエナイチカラ~INVISIBLE ONE~

12 ねがい

13 Into Free -Dangan-

14 juice(英語ver.)

15 IT'S SHOWTIME!!

16 衝動

*アンコール*

17 Home(英語ver.)

18 HEAT

19 BLOWIN'

 

定番曲ばっかりでサイコーでした☆

衝動が聴けたのはうれしかったなー♪

ZEROから最高潮で、

次のミエナイチカラからはずっと涙ぼろぼろでした。

彼が好きなEasy come,..が聴けたのも嬉しかった!

てか、前半からめっちゃ飛ばしてて、

稲葉さんはいつもそうだけど、

声がめっちゃキレてて声量ハンパない!

そしてまっちゃん社長のギターも最高にクールでした!

で、もちろんドラムのシェーンのパフォーマンスはものすごい圧倒感。

毎度ながら、夢のようだったー。

思い出してもため息が出ます。

 

 

 

そして、20時過ぎ終演。

駐車場を出て、高速に乗ったのが21時半。

それから彼の運転で千葉へ。

私は0時くらいから寝てしまいました…

自宅に着いたのは3時前。

彼もさすがにきつそうでした。。

今日も仕事だけど、体大丈夫かな??

 

 

 

 

 

いつも素敵な時間をありがとう。

あなたといると、楽しい思い出がどんどん増えてくよ。

ほんとにほんとに、ありがとう。

 

 


いのちのさけび

2012-10-15 17:08:33 | 放射能
木下黄太ブログより転載



↓↓↓↓↓↓

茨城から沖縄に避難した十五歳の 高校一年女子生徒が恩師にあてた手 紙。という記事が、去年の年末にあ りました。この女子生徒が、もう一 度、皆さんに書いた文章です。

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こんばんは。関東から西に高校1年の9月 に移住しました。 移住のきっかけは、母の言葉でした。

震災から半年間はまったくの無頓着で、 放射能についても全然興味もなく、普通 に高校に入学して 普通に雨にも打たれ、自転車で通学して ました。

その年の7月ごろから、母の仕事関係の人 から 放射能について詳しく聞かされ、どんな に恐ろしい事態か、 必死に調べました。

調べていくうちに、自分の今まで何も知 らなかった 愚かさに気付かされ、ここにはもう住め ないんじゃないかと 思うようになりました。

調度その頃、母の頭痛がすごくひどくな り、仕事も ろくにできず、病院へ行っても何の異常 もないとしか 判断されずに首をかしげることが多々あ りました。

私自身、ただの大げさなことだろうと気 にも留めて いませんでしたが、放射能について知っ た時、 これもその症状なのかなと疑い始めまし た。

そして自分の体の変化にも気づきます。

私は大して体をこわしたりしないし、鼻 血も出ない 健康な体でしたが、母と同じ7月ごろに喉 が腫れて 学校を休むことがありました。

ただの風邪かなと思っていましたが、そ のあとに 10年以上も出なかった鼻血が出るように なり、 すごく驚いたのを覚えています。

放射能について調べているうちに、自分 と同じ 症状の子供が何人もいるということがわ かり、 自分の症状も被爆に近いものなのかなと 思いました。

でもその時点ではあまり深くも考えず、 本当の 放射能の恐ろしさをまだ理解できていま せんでした。

母から西に避難しよう、と言われたとき も バカじゃないのと最初は思っていたけれ ど 母の辛そうな姿を間近で見て、避難する ことを決めました。

避難してから、もともとアトピーを持っ ている私ですが 両腕と胸に赤い湿疹がたくさん出てきま した。

アトピーかと思っていたけれど今までに 見たことのない もので、すごくショックを受けてつらか ったです。

そして同じような湿疹が出ている人もた くさん いることも分かりました。

そして熱も出て、風邪だと思っていた喉 の腫れが 甲状腺とリンパ腺の腫れだということも 病院で調べて分かりました。

その後、チェルノブイリハートという映 画を見て 自分に起こっている症状が将来、どんな 病気に つながるのかということを知った時、 ショックと驚きと怒りと悲しみでいっぱ いでした。

それと同時に自分は逃げられたけど まだ関東にいるたくさんの友達のことが すごく 心配になり、ブログを通して地元の友達 に 訴えかけました。

するとみんなからの返信は、

「親が公務員で動けないから」
「親に放射能に対する不安を言っても相 手にしてくれない」
「どうせ自分は子供産めないから」 「震災の犠牲者になるんだね」
「あなたは逃げられてよかったね」
「今が良ければいい」
「どうせ死ぬなら今いる場所で死にたい 」

高校生である彼女たちの声はとても 諦めに近いものでした。

私たち高校生は意思がしっかりあるにも 関わらず 大人になりきれないで、自分たちだけで 動くことはできません。

親の力がないと自分たちの将来や、自分 の将来の子供を守れません。

誰も経験したことのない出来事ですから 、 誰もどれだけ恐ろしいことになるかなん て想像できないのは 当たり前だと思います。

だから動きたくても動けない人がたくさ んいることも よく分かっています。

それでも、子供の命を大人が守らなくて 誰が守るんですか?

どうして親の選択一つで私たち子供の 未来が奪われなくちゃならないんですか ?

すっごく、口惜しいです。

私は家族に恵まれて、親に理解力があっ て 行動力があって本当に幸せだと思います 。

でもだからこそ、動けずにいる友達や関 東にいる 子供たちを一人でも多く助けたいです。

無力なのはわかっているし、私一人が何 かを 言ったところで大人がまともに聞いてく れないのも 経験しました。

それでもわかってくれる大人もたくさん います。

そんな人たちに私は救われ、もっと 私たち若い世代が声をあげるべきなのだ と 思うようになりました。

きっと私と同じ考えを持っている高校生 や 若い人たちはたくさんいます。

ただ声にできないだけで。

もっと子供の心の声を聞いてください! もっと子供の未来を本気で考えてくださ い! もっと大人だからこそできることをして ください!

私だって、できることならこんなふうに 叫ぶだけじゃなくて行動して少しでも日 本の 大人が変わる何かをしたいです。

でもまずは私たちの声を少しでも聞いて ください。

もし、今はまだ小さいあなたのお子さん が 将来白血病やがんになったとき、 「どうしてあの時逃げてくれなかったの ?」 と言われたらどうしますか?

悔やんでも悔やみきれないし遅いです。

今が今の私たちの未来をつくることを 忘れないでください。

お願いします。

少しでも私たち子供の声が心に響くこと を 願っています。

日本を、日本の子供たちを救ってほしい です。

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↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑


こどもたちの未来を奪う権利は、誰にもない。
たとえ親にも。