アジカンの『砂の上』の歌詞にある「10年後」。
震災前、「10年なんてあっという間」とはわかっているようで、
でもそれはきっと自分の中でどこかリアリティのない、遠い未来だった。
だけど今は、それはリアルな現在の続きとして私の前にある。
10年後、できるだけ後悔しないように、今生きている。
以下、読むひとのことは全く考慮には入れていない個人的な思い。
原発の放射能問題について。
感情として「被災地のことを考えたら」と思うことを間違いとは思わないし、私もそのように感じることは毎日です。
けれど、現実として、被災地の悲惨な現状と放射性物質のことに関しては、
別の問題として捉え考えなければならないのだと思います。
今、本当のことを伝えようとしている人たちがいます。
しかし、ある人の言葉を借りれば、そういう人たちが今「迫害されている」。
『ミスト』という映画があります。
設定が滑稽で失笑してしまうシュールなものですが、でも、印象に残っているシーンがあります。
真実を伝えようとしている少数派が、その現実を信じたくない多数派に暴行を受けるシーンです。
今、同じことが日本に起こっているのだと思います。
個人的な印象ですが。
なんて、もともと個人的意見をアップするブログという場所でこんなことを断らなくてもいいか。
ずっと触れることを避けてきたことに触れようと思います。
真実を知った上で生き方を考えるとき。
原発の情報を震災直後にいただいたとき、私はそう感じました。
末期ガンの告知に似ていると思いました。
平たく言えばQOLの問題です。
少なくとも私はそう捉えました。
目先の放射線の恐怖云々ではなく、もっと先を見つめていかなければならないと。
昨日、その情報をくださっているひとと思いを吐き出し合うことができて、少し楽になりました。
発信する側の思いと、受け取る側の思いは必ずしも一致しない。
わかっていたようで、わかっていなかった。
発信するのを私はとうにやめています。
そのことに罪悪感もあります。
けれど割り切り、自分と周りのことだけ考えます。まあもともとか。
この国に生きている限り、政府の判断のもとで生活していくしかない。
ある意味すでに日本は大連立を組んでいるのだと思います。
政府とマスコミと。すべてが与党。
だから、自衛出来る範囲で自衛するしかない。
マスク。
帰宅後のシャワーと着替え。
換気はせず洗濯物は部屋干し。
湿気がこもるので除湿器を購入し稼働。
水の確保。
産地の確認。
ひょっとしたら無駄なのかもしれない。焼け石に水かもしれない。
でも、一個人としてでの範囲でも、手を尽くしたなら、その先に何が待っていても、
運命として受け入れ、人生を幸せなものとして終えることができます。
私にとって、人生でもっとも大切なことは、どんな形であれ、まず自分自身が幸せだと思えることです。
自己犠牲を美しいと思う心は捨てました。
私自身が幸せだと感じることが、親や周りの大切な人にとっての幸せだと思うからです。
こんなことをつづると、まるで絶望しているみたいな印象かもしれませんが、
私はいたって前向きです。
腹を括って、しなやかに生きていきます。
こちらでは桜が咲いています。
スプリング、ハズ、カム。