後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔765〕松宮崇之さんの力作、卒論「ある家庭科教師の語りから考える家事参加」がついに届きました。

2025年01月29日 | 図書案内

*1989年発行、なぜかアマゾンで約3万円で販売されているとは驚きです。

   昨年の10月の上旬のことでした。立教大学の4年生、松宮崇之さんが我が家にみえました。拙著『男の家庭科先生』(福田三津夫・福田緑著、冬樹社)を読んで、卒業論文を書くために私にインタビューを申し込んできたのです。
   立教大学はなにかと馴染みがあります。演劇教育の大先輩の冨田博之さんはここで講師をしていたことがありました。彼が教授として白百合女子大学に移った後、立教での講師の後釜に演出家の如月小春さんを指名したことがありました(2人とも随分前に故人になられていますが)。
 如月さんがお元気だった頃、私に電話をかけてきて、立教の教え子の卒論の相談に乗ってくれないかと言われたことがありました。もちろん快諾したのですが、学生の聞きたいことは演劇教育の理論と実践についてでした。我が家で話をしたことがありました。
  今回も立教の松宮君の指導教官の和田悠教授からメールがあり、喜んで彼のインタビューを受けることになったのです。

 彼が知りたかったことは、6年間家庭科教師であった私が、子どもの時や結婚してからもどのような家事をこなしてきたのかということが一つ、他方二つには、家庭科教師としての実践や、性別役割分業に関する子どもたちへのアプローチなどでした。

  インタビューは2,3時間にわたりましたが、それを元に卒論を仕上げたのでした。
 卒論の表紙と骨子は次のとおりです。

 

 彼の文献調べで興味深かったのは、1989年の高校の学習指導要領で家庭科は男女共修になったのですが、2007年の調査では、家庭科の男性教師の最多県は埼玉県の17人、4.7%、次に東京都の10人、3.0%ということでした。意外と男の家庭科先生は多かったのです。
 小中ではもっと少ないのではないでしょうか。私が小学校の家庭科専科になったとき、あの著名な名取弘文さんも同時になったのでした。私の知る限りは、男の家庭科先生は他に小学校で1人(故人)、所沢高校で1人でした。

 彼が資料から明らかにしたのは、男の家庭科先生に習った生徒は、家庭科を両性が学ぶべき教科であるとし、教師は男女に固定する必要はないと回答していることです。
  私の実践では、時間数の関係もあり、現状の男女役割分業の問題点を考えさせるに留めています。それよりも実践したいことは、着るものを自作し、食べ物を調理する楽しさを味わうことを大切にしました。衣食住・家族の領域を「体験」し、「考える」ことは男女関係なくおもしろいということを五感で捉えることでした。

  松宮さんの労作、力作卒論に心から拍手を送りたいと思います。


〔764〕あの「カフェギャラリー縁」で田辺正樹君(ピアノ)と佐々木舞さん(フルート)のミニコンサートが開かれました。

2025年01月26日 | 語り・演劇・音楽

 昨日、2025年1月25日(土)、教え子でピアニストの田辺正樹君とフルート奏者の佐々木舞さんのミニコンサートが開かれました。会場は、連れ合い・福田緑の第3回写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」(2024年10月26日~11月6日)が開催されたカフェギャラリー縁でした。

  私がこのコンサートに立ち寄った話の発端はこうでした。
 私たちが写真展の会場使用のお礼に伺ったところ、オーナーの藤沢さんから、写真展の後で私の教え子が訪ねてきたというのです。それが田辺君でした。2003年度、東村山市立秋津小で2年生を担任した39人の1人でした。それは私が早期退職する2年前のことです。田辺君は縁で私のことを知り、コンサートのことも電話で教えてくれたのです。
  コンサート会場で隣同士になった彼のお婆ちゃんの話によると、田辺君は都立立川高校を出て、東北大学を卒業したそうです。理系の学部だったそうですが、大学で音楽サークルに入って活動し、現在は仙台でピアニストとして活躍しているということでした。

 まずはコンサートのチラシを見てください。建物の上の方に「ギャラリー案内」が写っていますが、左の写真がリーメンシュナイダー展のもので、私たちが自ら貼ったものです。

  開演は午後1時15分、演奏は60分程度だったでしょうか。椅子がぎっしり並べられ、立錐の余地もありません。子どもの時と変わらない優しさに満ちあふれた田辺君のあいさつからコンサートは始まりました。滝廉太郎の「荒城の月」、ユーミンの「春よ来い」、カーペンターズの馴染みやすい曲など古今東西の楽曲がフルートとピアノで奏でられました。田辺君のアレンジの楽曲や自作の曲もあったようです。音の大きさも丁度よく、二人の演奏に全身が包み込まれました。(座席からの撮影のためうまく撮れませんでした。)


  途中飲み物タイムも入り、ゆったりと心穏やかに過ごすことができました。2人のコメントも押しつけがましくなくて、さわやかな感じの雰囲気が醸し出されていました。

 数々の演奏に浸りながら田辺君との2年生の時の1年間を思い出していました。個性豊かな子どもたちと、学級通信「オンリー」(全252号)や学級の学習発表会を核とした演劇教育の実践を展開しました。記憶に深く残る子どもたちで、拙著『いちねんせい-ドラマの教室』では「ことばと心の受け渡し」、『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』では「プロローグ〈ことばと心の受け渡し〉」の項で実践記録として書いています。理論編の『実践的演劇教育論』(以上、晩成書房)では、「私の演劇教育実践史年表」に「オンリー」学級のことを記録に残しました。

  2人でカメラに収まりながら、飯利君とはまだ付き合いがあると田辺君は話していました。 なっちゃん、2人の直也君、真ちゃん、莉帆ちゃん…39人は今どうしているのでしょうか。おそらくみんな田辺君のように素敵な青年になっていることでしょう。
  田辺君、楽しくて心温まるコンサートありがとう!


〔763〕第3回、核兵器禁止条約締結を祝う会( 清瀬駅北口ペデストリアンデッキ)が開かれました。

2025年01月22日 | 市民運動

 

   2025年1月22日、本日、正午を合図に、第3回、核兵器禁止条約締結を祝う会( 清瀬駅北口ペデストリアンデッキ)が鐘や鈴の音と共に開かれました。「みんなが主役」市民の会の主催です。
 2021年、核兵器禁止条約が締結された時、連れ合いは我が家のポスト脇の私設掲示板に「祝・核兵器禁止条約締結」と書き込みました。それから3,4年、色あせたマジックを赤で補修したのがつい先日です。それは改めて核兵器禁止条約締結の初心を思い起こすためでもありました。
 
 昨年の暮れ、さらに嬉しいニュースが飛び込んできました。日本被団協にノーベル平和賞が授与されたのです。ノルーウェーでの代表委員の田中煕巳さん(92歳)の演説をリアルタイムで聞き入ってしまいました。時々新聞に掲載された演説を読み返しています。

「…二つの基本要求を掲げて運動を展開してきました。一つは、日本政府の『戦争の被害は国民が受忍しなければならない』との主張にあらがい、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償わなければならないという運動。二つは、核兵器はきわめて非人道的な殺戮兵器であり人類と共存させてはならない、廃絶しなければならない、という運動です。」 そしてこう断言するのです。
「もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府はまったくしていないという事実をお知りいただきたいと思います。」
  毅然とこう言い切る大先達を誇りに思い、心からの拍手を送ったものでした。

  さて、何人かのアピールにも言及されていましたが、原爆と原発はまさに「地続き」です。ロシアが東海第2原発を標的にしていたことがわかって、さもありなんと思ったものです。核廃絶は原発廃絶でもあるのです。
 今年のさようなら原発全国集会は3月8日(土)です。代々木公園でお目にかかりましょう。


〔762〕『ケストナーの「ほらふき男爵」』(池内紀、泉千穂子訳、筑摩書房)と『独裁者』(エーリヒ・ケストナー、酒寄進一訳、岩波文庫)のこと。

2025年01月19日 | 図書案内

 久し振りにブックオフに行ったところ、目の前に突然『ケストナーの「ほらふき男爵」』が出現しました。「ケストナー」の文字に不意を突かれました。恥ずかしながらこんな本が出版されていることなど知らなかったのです。ケストナー本で自宅にあるのは岩波の「ケストナー少年児童文学」(全9冊)のうち『飛ぶ教室』『エーミールと探偵たち』『点子ちゃんとアントン』の3冊です(髙橋健二訳)。いずれ少しずつケストナーの古本が手に入れば良いなと思っていたのです。いつの日か完読するつもりではあるのです。
 
 『ケストナーの「ほらふき男爵」』などという本が出ていたのですね。よくよくまえがきと解説を読んでびっくりしました。ケストナーは子どもの本を19冊書いているのでが、そのうち再話の仕事は『長靴をはいた猫』『ドンキ・ホーテ』『ガリバー旅行記』『ほらふき男爵』など6冊を数えるそうです。そのすべてを収録したのがこの本でした。そこでタイトルを『ケストナーの「ほらふき男爵」』としたのです。
  「みなさまに」というまえがきにはナチスドイツの焚書の歴史が書かれていました。前ブログの「付記」に書いたことです。今夏一緒にドイツを旅する仲間が以前焚書に関する詩をコピーしてくれたのですが、どこかにしまい込んでしまいました。今「捜索」に全力を挙げているところです。

   『ケストナーの「ほらふき男爵」』は300頁を超える大冊です。じっくり楽しみたいと思います。


   『独裁者』は昨年2月に発行された脚本です。こちらは迷わず新刊を購入しました。役を決めて読み合わせるとおもしろいなと思っているのですが、まだ実現していません。演ってみたい方はどうぞ声をかけてください。お待ちしています!


〔761〕「図書館4館閉館する市政は替えるしかない!」こんな原稿をあるミニコミに投稿しました。

2025年01月18日 | 市民運動

              図書館4館閉館する市政は替えるしかない!
                                           福田三津夫(清瀬・憲法九条を守る会)

 清瀬市も参加する最新の「多摩六都 図書館案内」に「中央・下宿・野塩・竹丘・元町こども図書館は、令和7年3月末で閉館します」とあります。清瀬市立図書館は駅前図書館と南部図書館(「令和8年2月オープン」)の2館のみとなります。つまり6館体制から2館体制に大きく後退することになるのです。しかも南部図書館が完成するまでの9ヶ月間は1館体制なのです。
  ところが市側は市報や「more! KIYOSE」という冊子を緊急発行し、新しい図書館体制の宣伝に躍起となっていますが、元町こども図書館は廃止ではなくあくまで駅前図書館に移転という立場なのです。「図書館案内」との整合性をどのようにとるつもりなのでしょうか。しかも驚くべきことに、編入されたこども図書館では、「飲み物を飲みながら本を読んだり」「電車の発着など駅周辺の様子を見ること」をウリにしているのです。図書館の存在意義をどう考えているのでしょう。

  この異常事態に、さすがにマスコミも騒ぎ始めました。「4館閉館に反対の声 住民投票目指し署名提出」(毎日新聞、2024年12月27日)、「清瀬市4図書館『見直し』=閉館」(朝日新聞、2024年10月3日)。
 私が40年以上住んできた清瀬市の誇りは、緑豊かな街並みと、充実した市民センター・文化施設・スポーツ施設・保養施設などでした。ところがここ2、3年、立科山荘や学校プールの廃止、消費者センターやきよせボランティア・市民活動センターの生涯学習センターへの統合、地域市民センターの役割縮小など、目に余る後退が続いています。そしてその極めつけは3分の2の図書館の閉館です。   
 このあり得ない文化の後退に、清瀬市民は党派を超えて立ち上がりました。住民投票で市民の民意を問うというものでした。住民投票条例を願う署名は7674筆に達し、定足数の6倍を大きく超えました。この市民の提起を市議会がどう応えるかが問われています(この通信が出る頃にはその結論が出ていることでしょう)。

 新年早々本を借りるため閉館間近の中央図書館を訪れたところ、子どもから若者、年配者まで、多くの来館者で賑わっていました。雑誌を読む人、友だちや親子で絵本を手にする人などほほえましい正月の風景がそこにありました。
 図書館は、本を求めるさまざまな人が出会い、交流し、何かを発見していく場でもあります。そもそも本を借りたり勉強をしたりするだけではなく、日本国憲法に定める基本的人権、知る権利や学習権を保障する存在でもあります(『生活と自治』2024年11月号)。
学校図書館はもとより、そうした貴重な場を充実・発展させていかなければならないのです。

 今一番考えなければならないのは、図書館を4館も閉館する市政は替えるしかない!ということです。 

〔付記〕エーリヒ・ケストナーは『エミールと探偵たち』や『飛ぶ教室』などで著名なドイツの児童文学者です。1933年、ブレヒト、トーマス・マン、レマルクらとともに彼らの本が燃やされました。ケストナーはそれにもへこたれずドイツからスイスに移住し、作家活動を続けたが2度にわたってゲシュタボに逮捕されました。ならばということで匿名で子どもの本を書き続けましたが、またもやナチスに発見されということです。そうした中で戦後ケストナーの待望の本の出版が続いたのです。こうした焚書の歴史に我々は何を学ぶべきでしょうか。

 

 清瀬・くらしと平和の会の仲間がこんな「市報・きよせ」を「発掘」してくれました。館長さんの原稿でしょうか、実に意欲に満ちたものになっています。昨年は中央図書館開館50年でしたが、市民にはその事実さえ知らされませんでした。ふせ由女議員が市議会で指摘したとおりです。

特集・中央図書館開館40周年記念


〔760〕澁谷清瀬市長に住民投票条例制定の請願書を提出しましたが、直接は受け取ってもらえませんでした。

2025年01月15日 | 市民運動

    清瀬の地域図書館4館を廃止するという市議会決定に対して、きちんと市民の意見を聞いてほしいということで住民投票を提起して、署名活動を展開してきたことは以前からブログでお知らせしてきました。
 その結果、7674筆の署名が集まりました。住民投票条例を求めるのに必要な有権者50分の1を大きく越えました。これはなんと定足数の6倍以上の数になります。
 
 2025年1月15日(水)。今朝10時、清瀬市役所1階のロビーに参集した市民は一目50人でした。ここで本日の流れを簡単に確認して向かったのは3階の小さな部屋でした。ここは私たち夫婦がコロナのワクチン接種証明をもらいに来たところでした。普段2,3人しか受け付けられないところです。「なんでこんなに狭いところしか用意できないの。」と怒りの声も聞こえてきました。市民を大切にするならもっと広い市長室とか、1階や4階のロビーでもいいのではないでしょうか。


  しかも澁谷市長は所用で受け取れないというのです。請願書を渡す数分間も時間がとれないというのでしょうか。この時間に市民が訪れるということは当然連絡ずみのはずです。そうした行為は市民をないがしろにする市長と思われてしまうのではないでしょうか。

 申し入れの数分後、4階のロビーで簡単な報告会が開かれました。その時に配られたチラシは2種類、「住民投票で夢のある図書館を創るきよせの会」と「夢空間の移設について考える市民の会」のものでした。

  闘いはこれからです。


〔759〕「九条チラシのリニューアル版を作りました。」(腰越で奮闘する畏友、塚越敏雄さんから)

2025年01月14日 | メール・便り・ミニコミ

●9条チラシを11月に作りましたが、ほとんど無くなったため、リニューアル版を作りました。添付します。 今年もよろしくお願いいたします。                     塚越敏雄

◆「曖昧な決着」への疑問
  袴田巌さんの無罪確定に対する検事総長、法務大臣の意見

                             鎌田 慧(ルポライター)

 死刑囚・袴田巌さんの無罪確定は今年の大きな喜びだったが、畝本直
美検事総長は控訴断念後、「証拠を捏造(ねつぞう)と断じたことには強
い不満を抱かざるを得ない」と判決を批判した。年末に発表された最高
検「検証結果」も、捏造説を「不合理」と反論した。自己剔抉(てっけ
つ)の精神がない。

 58年前に発生した殺人事件。今年5月の再審結審時でも、検察は死刑
を求刑した。論拠の供述調書ばかりか、最重要な衣類5点とその端切れ
が、捜査官による「捏造」とされて、面目を失ったのは理解できないわ
けではない。
 しかし、ひとりの人間を死刑にするかしないか、人間社会での最大の
決断である。依拠した証拠がでっち上げだったなら、罪は深い。まして
国家の決定である。

 捏造でなかったとしたなら、無罪決定は誤判となる。決定に対して検
察側が控訴しなかったのは「長期間にわたり法的地位が不安定な状況に
置かれてきた。その状況が継続するのは相当ではない」(検事総長)。
法務大臣も同じ意見だった。
 検事総長も法務大臣も、有罪と思いつつ、「無罪を否定するものでは
ない」(「検証結果」)。
 暖昧なままの決着。これで幕引きにするつもりか。
 「疑わしきは罰せず」は冤罪を防ぐための裁判の鉄則だが「過ちて改
めざる、これを過ちという」の精神が必要だ。狭山事件など、まだ寛罪
事件は多い。
         (2024年12月31日「東京新聞」朝刊15面「本音のコラム」より)

◆新年の希(ねが)い
  狭山事件の再審開始を
                                   鎌田 慧(ルポライター)

 新年を迎えて日本の現状を考えると、軍備増強・兵器輸出、さらには
集団的自衛権行使と敵基地攻撃能力の保有まで、平和憲法に背く米国へ
の追随政策が甚だしい。
 米軍が自衛隊を軍事支配する危険性が強まっている。一方で、民間企
業の日本製鉄によるUSスチールの買収は大統領命令で中止された。
 力関係の象徴といえる。トランプ政権になったら、もっと露骨な、や
らずぶったくりになりそうだ。

 さて、今年こそ狭山事件の再審開始につなげたい。新たな証拠の鑑定
人尋間が早く実施されるよう、もう少し力を出そう。冤罪者の石川一雄
さんは86歳になる。なんとか元気なうちに無罪になってほしい。
 石川さんが殺害し、女子高校生の自宅へ脅迫状を持って行ったとされ
ている。
 しかし、当時、非識字者だった石川さんが脅迫状を書くなど、本人に
も想像できない行為だった。一審は死刑判決。が、石川さんはけろりと
していた。身に覚えがなかったからだ。

 袴田巌さんは一審死刑判決から無罪判決まで56年もかかった。この非
情と恐怖の歳月は、精神的な拷間であり、人間性無視の極限だった。
 わたしたちは講談や芝居の影響か、親の仇(あだ)を返す敵(かたき)討
ちの思想や主人の復讐をする忠臣蔵の思想に影響されすぎている。
 戦争も死刑制度も勧善懲悪の人殺しなのだ。
        (1月7日「東京新聞」朝刊17面「本音のコラム」より)


〔758〕自閉症の概念を覆される『声なき声で語る-ボクが過ごした日々、その世界と自閉症』(ティト・ラジャルシ・ムコパディアイ、石田遊子訳、エスコアール)

2025年01月10日 | 図書案内

   この本を手に取るきっかけになったのは、訳者の石田遊子さんが私の妻の高校時代の友人だったからでした。千葉県立船橋高校の仲良しグループ数人の一人で、私も2、3回お会いしたことがあります。ちなみに、船橋高校といえば立憲民主党の野田佳彦党首は彼女たちの後輩ということになるようです。
  石田さんの略歴を読んで私との接点が多いのに驚きました。彼女が卒業した千葉大学教育学部は私が同時に受験したところで、入学していればそこで出会っていた可能性もありました。さらに彼女は白梅学園短期大学専攻科講師ということで、白梅学園大学非常勤講師の私とどこかですれ違っていたかも知れません。

  さて『声なき声で語る-ボクが過ごした日々、その世界と自閉症』の話になります。
 著者のティト・ラジャルシ・ムコパディアイさんは、インドに住む自閉症の青年です。この本では自身の成長を客観的俯瞰的にしかも克明に綴っています。その表現力や描写力は半端ではありません。自閉症の概念を覆されるほどです。前半の「声なき声」は8歳ぐらいに書いたというからさらに驚愕させられます。母親のマソさんは「マソ・メソット」の創始者で、母子二人のやり取りが彼の成長に大きく影響したようです。イギリスのBBC放送も彼のことをドキュメンタリーで取り上げました。

  自閉症の当事者が綴る希有な「成長記録」として読ませてもらいました。


〔757〕前田憲二映画監督の『祭祀と異界-渡来の祭りと精霊への行脚』(現代書館)と季刊「はぬるはうす」を堪能しています。

2025年01月06日 | 図書案内

   清瀬市議のふせ由女を支援する清瀬・くらしと平和の会の総会と「望年会」が12月末に旭が丘団地の集会所で開かれました。
  この会には毎年のように著名な前田憲二映画監督(清瀬在住)が参加してくれています。昨年もその例に漏れませんでした。
  前田監督の映画作品は「神々の履歴書」と「百萬人の身世打鈴」を見たことがありますが、いずれの作品も現地調査を入念に行って、実証的で説得力のある映像に仕上げられていることに定評があります。まさに「力作」「労作」以外のことばが見つかりません。
  以前にも季刊「はぬるはうす」(ハヌルハウス運営委員会:前田憲二編集・発行)をいただいたことがありますが、今回も最新82号をいただきました。

  前田監督の、ノーベル文学賞受賞者、ハン・ガンさんの父親に会った話や、和田春樹さんの「日韓、日朝関係はいまや混沌とした状況にある」という文章に心引かれました。

 前田監督には2021年7月4日に講演をお願いしたことがあります。その時にご著書『祭祀と異界-渡来の祭りと精霊への行脚』(現代書館)購入し、達筆のサインをいただきました。季刊「はぬるはうす」などの原稿を凝縮した、朝鮮と日本の関係性を考察する労作です。
  世界が揺れ動く年の初めにこうした本を熟読することも私にとって貴重な体験です。


〔756〕年末から年始にかけて繰り返し眺めていたのが『寺社の装飾彫刻』(若林純撮影・構成、日貿出版社)シリーズでした。

2025年01月04日 | 図書案内

  久し振りに清瀬市中央図書館(3月で閉館)を覗いたところ、なんと『寺社の装飾彫刻』シリーズを「発見」しました。清瀬市はお金がないので蔵書が多くないといわれているのに、1冊4000円近くする本が揃っていたのです。
  ちなみに『寺社の装飾彫刻』シリーズは全8冊ですが、地域ごとの『寺社の装飾彫刻』は6冊になっています(関東編上下、中部編、近畿編、北海道・東北・北陸編、中国・四国・九州・沖縄編)。「日蓮宗寺院」編と総集編的な「宮彫り-壮麗なる超絶技巧を訪ねて」を加えると全8冊ということになります。
  正月を控えて、図書館にあった7巻(近畿編は貸し出し中)を借りることにしました。その理由はブログ読者にはおわかりと思いますが、暮れの石川雲蝶と小林源太郎を巡る旅で日本の装飾彫刻に興味を持ったからでした。

  暇を見つけてはこの7冊の写真を隅から隅まで眺め回し、そんなに多くはない文章を丁寧に読み込みました。その結果、どうしても訪ねてみたい社寺が浮かび上がってきました。
以下の通りです。

■寺社の装飾彫刻(拝観希望)

・柴又帝釈天・題経寺(日蓮宗)…10人の彫り師による競作、最高傑作と言われる!
・田無神社(西東京市)…彫り師は嶋村俊表
・川越氷川神社…牛若伝説、嶋村俊表
・下教来石諏訪神社(山梨・北杜市)…長足人物が奇妙
・行元寺(千葉・いすみ市)…北斎のグレートウエイブに影響を与えたとも言われる。
・有明山神社(安曇野市)…二十四孝行受乳
・願王寺(飯田市)…二十四孝行受乳
・真天厨子(飯田市)…二十四孝行受乳・長足人物が奇妙
・神崎神社(鳥取・琴浦町)…多龍表現がおもしろい。
・箸蔵寺(徳島・三好市)…多龍表現がおもしろい。
・寺久保熊野神社(佐野市)…ドラマチックな牛若伝説
・瑞龍寺(富山・南砺市)…井波彫刻

■装飾彫刻のテーマは?
・二十四孝行、農村風景、力神、霊獣、七福神の宴、牛若伝説、日蓮伝説、道元伝説…

  これらのシリーズのうち、1冊だけ手元に置きたいと思い、アマゾンで古本を手に入れました。それがこの本です。
  今春、新潟雲蝶、仏都会津の旅を予定しています。ご一緒しませんか。


〔755〕4館閉鎖の清瀬市立図書館問題の続報です。住民投票目指した署名は、定足数の約7倍に達し提出されました。

2024年12月29日 | 市民運動

 あろう事か、来年4月から清瀬市立図書館が6館のうち4館廃止されることは以前のブログでお伝えしたとおりです。しかも残りの1館(南部図書館)はしばらくの間、建て替えで使用できません。つまり来年4月からは駅前図書館だけしか使用できません。ふせ由女市議はこの事態を評して、古代中国の焚書坑儒やナチスドイツの焚書事件になぞらえました。はじめはなんと大げさな言い回しと思っていたのですが、あながちこれは間違えた表現ではないと今は思っています。
  このことに多くの市民が怒り心頭に発しました。そして住民投票で意見を聞いてほしいと、署名活動を全市で展開しました。11月の約1ヶ月間でした。署名を集める受任者はなんと360人、8218筆もの署名が集まりました。これは定足数の約7倍になります。
 私どもチーム福田もこれに取り組み77筆集めることができました。ほぼ戸別訪問中心でしたが、とても好意的な方が多かったです。居住地の近くでは9割ほどの方が書いてくれました。
  来年1月に市長にこれを提出します(1月15日)。市長はこれを議会に諮り、可決されれば住民投票が実施されます。

 これらの清瀬市民の取り組みを毎日新聞が取り上げてくれました。
 私たちの運動はまだまだ続きます。


◆菊池事件と差別    
 冤罪のまま死刑執行された何人もの人→立ち上がった「菊池事件」の遺族
                                    鎌田 慧    沈思実行(222)

 袴田事件の無罪判決の後、冤罪への関心が高まっている。冤罪は松川
事件のような政治的なフレームアップ(でっち上げ)以外は、たった1人
が被害を受けているので、社会的な関心は低く、司法制度の犠牲者とし
て闇に葬られてきた。
 袴田巌さんは逮捕から58年経って、無実が認められた。狭山事件の石川
一雄さんは61年が過ぎても、まだ殺人犯の汚名を雪いでいない。
 冤罪のまま死刑執行されたなん人かのうち、59年が経ってようやく遺族
が再審請求したのが、「菊池事件」である。被害者がハンセン病患者だっ
たので、差別の真っ只中にいて社会的に立ち上がれなかった。差別の重層
性が幾重にも絡みついている。
 熊本のハンセン病施設「菊池恵楓園」に収容されるのに抵抗していた
Fさんは、収容を勧奨していた役場職員宅に、ダイナマイトが投げつけ
られた事件の犯人にされ、否認しながらも10年の刑を受けた。しかし、
園内の代用拘置所だったので脱走できた。
 その脱走中に、同人物の役場職員が全身二十数カ所に刺傷を受けて死亡
する事件が発生する。それもFさんの犯行とされ、警察はFさんを捜索、
発見、逃亡する背後からピストルを発射して倒した。飛びかからなかった
のは、ハンセン病を恐れてのことだった。
 恵楓園内の「特別法廷」は消毒液の臭いが立ち込め、出張してきた検事
や裁判官は、白い予防服、ゴム手袋、ゴム長靴の扮装、証拠物件は火箸
で摘んでの裁判だった。菊池事件再審弁護団発行のパンフレット『菊池
事件』(百円)に、ある教誨師の言葉がある。「どうか許してほしい、
1人の人間として扱わなかったことを…私たちはボロ雑巾の様に彼を
扱ったのです」
 裁判は非公開だった。憲法に保障された公開原則の「裁判を受ける
権利」は奪われたままだった。
 銃撃された痛みのまま取り調べが行われ、供述書の署名も警察官が
行った。証拠も親戚の供述も捏造だった。再審請求中に、福岡刑務所に
移送され、すぐに処刑された。今、遺族がようやく、前面に出て最新を
訴えるようになった。
     (12月18日(水) 週刊新社会第1383号より)

◆NHK経営委の放送法違反
  安倍首相(当時)の任命責任も厳しく間い直されるべき

                               前川喜平(現代教育行政研究会代表)

 かんぽ生命保険が18万件以上の不正契約を行った事件。いち早く報じ
たのは2018年4月のNHK「クローズアップ現代+」だった。その続編
のためSNSで情報提供を求めると、日本郵政から圧力がかかった。
続編は延期され、その間に被害者は増え続けた。
 NHK会長への圧力だけでは足りないと見た日本郵政は、鈴木康雄上
級副社長(当時)とNHK経営委員会の森下俊三委員長代行(当時。の
ち委員長)の人脈を通じ、経営委員会に抗議の書面を送る。
 応じた経営委員会は10月、上田良一会長(当時)に異例の厳重注意を
行った。これはガバナンスに名を借りた番組編集への干渉であり、放送
法違反の行為だった。

 この厳重注意に関する議事録の全面開示などを求めて、市民グループ
がNHKと森下氏を提訴したのは2021年6月。その控訴審が17日、原告
の実質完全勝訴と言える和解で終結した。
 NHKは厳重注意に関する議事録をホームページで公表。森下氏は98
万円の解決金を払うことになった。
 議事録を読めば、森下氏や石原進委員長(当時)が日本郵政の側に
立って番組の内容や取材方法への批判を繰り返していたことが分かる。
 現場を守る防波堤たるべき経営委員会が、逆に現場に圧力をかけたこ
とは糾弾に値する。
 安倍晋三首相(当時)の任命責任も厳しく間い直されるべきだ。
              (12月22日「東京新聞」朝刊17面「本音のコラム」より)


〔754〕新発見! クラウス・スリューテルの彫刻が『世界彫刻美術全集』(小学館1975年)になんと8頁も写真掲載されていました。

2024年12月21日 | 美術鑑賞

  こんなことがあるのですね。普段訪れることのない近隣の東村山中央図書館で開架式の図書を見ているときに思わぬ発見があったのです。クラウス・スリューテルの彫刻が『世界彫刻美術全集』(小学館1975年)に8頁も写真掲載されていました。私にとってはまさに新発見! でした。

 私が、ロマネスクやゴシック彫刻で今一番関心を持っているのはクラウス・スリューテルです。フランドル出身の彫刻家で、フランスのディジョンで活躍しました。緑の『祈りの彫刻』シリーズでたびたび紹介してきたゲルハールト・フォン・ライデンは後期ゴシックの名だたる彫刻家ですが、彼が手本にしたのがスリューテルだと言われています。
  昨年夏、見損なったスリューテルの彫刻を見にディジョンに来夏訪れる予定です。
  「モーゼの井戸」が代表的な作品です。以前『世界美術大全集』(小学館、1995年)で写真2頁を見つけたのですが、今回さらにその前に出版されている写真集を発見しました。それが『世界彫刻美術全集』(第7巻、ゴシック、小学館、1975年)です。 縦42㎝、横30㎝の大型本です。なんと「モーゼの井戸」が8頁にわたって掲載されているのです。
  まだまだ「新発掘」があるものですね。

ついでに『ロマネスク』も借りて2冊をガン見しています。 


〔753〕ふせ由女の「ゆめ通信」最新号(41号、2024年冬号)が届きました。

2024年12月14日 | メール・便り・ミニコミ

 清瀬市議・ふせ由女の事務所に届いたばかりの「ゆめ通信」、どうぞご覧ください。ふせ由女を支援する鎌田慧さんのコラムもどうぞ!

◆世代を結ぶ平和の像
                              鎌田 慧(ルポライター)

 前回、沖縄・読谷村の鍾乳洞「チビチリガマ」での集団死について書
いた。
 米軍侵攻中の悲劇だ。
 が、7年前に起こった、少年たちの破壊行為について、スペースの関
係で書けなかった。戦争中の悲惨がよく伝わっていなかった、もう一つ
の悲劇だった。
 上陸してきた米兵に恐怖して、村の鍾乳洞に避難した住民が恐怖に駆
られ、子どもや家族を自分の手で殺害した。捕虜になるより自決せよ、
というのが日本軍の強制だった。85人の住民が犠牲になった。その現場
は保存されてきていた。

 ところが7年前の9月、洞窟内で、つぼに入っていた遺骨が撒き散ら
され、飾られた折り鶴が引きちぎられる、乱暴狼藉の跡が発見された。
捜査の結果、16歳から19歳の少年たちが「肝試し」をした事件だった。
 さすがに読谷村の少年たちではなかったのが救いだった。
 ガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」を制作した、彫刻家の金
城実さんが保護観察処分となった4人の少年を預かった。彼には大阪の
高校で教員生活の経験があった。
 読谷村の歴史を教え、反省文を書かせ、石仏(野仏)を集団制作する
ことにした。
 冬の寒い時期に、ガマの前にテントを張って泊まり込み、ほぼ1週間
で12体の石仏を完成させた。それをガマ周辺に安置し「石仏がまた歴史
を結んでいる」と金城さんは言う。
             (11月26日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)

◆死刑残置残酷国家
                                        鎌田 慧(ルポライター)

 最高裁で死刑が確定した袴田巌さんの無実が再審で証明され、死刑制
度への疑間が強まっている。
 与野党の国会議員を含む「日本の死刑制度について考える懇話会」は、
11月中旬、政府に対して「現状のまま存続させてはならない」と死刑制
度を根本的に検討するための、会議の設置を提言した。
 国連総会は1989年に死刑廃止条約を採択。欧州を含む112カ国、米国の
ほぼ半分の州、韓国、ロシアなど中止国もまた多い。

 しかし、日本は世界の常識に逆らう絞首刑残置国。それでもかつては、
死刑囚同士、同じ階で行き来が自由で、歌を歌うなどのレクリエーション
もあった。が、いまは24時間監視、当日の朝、いきなり刑場へ引き立て、
遺書を書く時間さえ奪われる確定死刑囚が、100人以上いる。

 11月下旬、国連人権理事会に任命された「拷間」「恣意的処刑」など
6テーマの「特別報告者」が連名で、日本政府に対して、日本の死刑制
度は国際法に違反する疑いがある、として執行停止の検討を求める通報
を行った(「朝日新聞」12月7日)。
 国の「非人道性」が批判されたのだが、政府は「制度の是非は自国で
考えるべき問題だ」と回答したという。
 「余計なお世話だ」という反論のようだが、私には「敵は殺せ」「悪
い奴は抹殺せよ」との仇(あだ)討ち、戦争の思想は認められない。
       (12月10日「東京新聞」朝刊19面「本音のコラム」より)


〔752〕「腰越9条ニュース220号ができましたので、お送りします。」(塚越敏雄さんから)

2024年12月10日 | メール・便り・ミニコミ

●いつもお世話になります。腰越9条ニュース220号ができましたので、お送りします。          塚越敏雄

 

◆原発推進への変節
  首相が政治力維持のため危険覚悟の原発を進める

                    鎌田 慧(ルポライター)

 「国民全体の福祉をのみ念じて国政の方向を定め、論議を尽くしてい
くように努めたい」とは言論人であり、戦後、首相になった石橋湛山内
閣の施政方針演説の一節。それを石破茂首相が先月末、所信表明演説の
結語に引用した。
 少数与党の首相だからなのか、「他党にも丁寧に意見を聞」く、それ
が 「基本方針」という。石橋湛山、大平正芳、宮沢喜一以来の「保守リ
ベラル」を標榜(ひょうぼう)し、日米地位協定の改定を主張していたが、
所信表明では一切触れず「我が国の防衛力の抜本的強化を着実に進め
る」と言うだけだ。

 一言も触れなかったのは、総裁選前に「依存度をゼロに近づける」と
歯切れのよかった自らの原発政策。
 一切語らなかったこともあってか、国民民主党の玉木雄一郎代表、異
例にも先月末、首相官邸に赴き、次期エネルギー基本計画に「原発の新
増設」を入れるように要請した。
 自民党自体が「可能な限り低減させる」としていた原発政策。2022年
に岸田政権が「安全性が確認された原発の最大限活用」に大転換した。

 原発消極論者の石破氏に、玉木氏が閣外協力を条件に「原発の新増
設」を持ちかけたようだ。
 野党の国民民主党代表が、電機産業の労組が推す原発新増設を首相に
進言し、首相が政治力維持のために、危険覚悟の原発を進める。
 退廃というべきか。
       (12月3日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)


〔751〕3日目、足を伸ばす人が少ない栃尾の雲蝶作品群、凄い彫刻が待っていました。〈雲蝶の旅 その5、最終回〉

2024年11月27日 | 美術鑑賞

   いよいよ新潟滞在最終日です。雲蝶の三大彫刻群を有する永林寺、西福寺、本成寺を堪能し、さて最終日は二,三箇所寄り道をして、早めに帰途につこうと思っていましたが、大きく予定を変更する事態が起こってしまいました。素晴らしい雲蝶作品群に出会ってしまったのです。

  まずは栃堀区事務所に電話連絡し、神社の入口を開けておいてもらうことになりました。貴渡神社(長岡市)へ直行です。
  地元の大きな神社ではなく、小ぶりの可愛らしい神社が目差す所でした。風雨から庇護したり、外部の人が入れぬように囲われていました。
  向拝の獅子や貘や龍、手挟の松の枝に停まる鳩と雀を見て、素人ながら、これは充実期の雲蝶の作品に違いないと直感しました。さらに素晴らしいのが「桑負いから機織りに至までの様子」です。優雅な曲線を多用した心温まる庶民の暮らしが活写されています。後期ゴシック彫刻の作家、ダニエル・マオホを想起させます。


  明るい日差しの中で、2人で舐めるように撮影させてもらいました。
  栃堀区事務所にお礼に出向くと、区長さんがいらしていろいろお話をうかがうことができました。その時にいただいたチラシを紹介しましょう。

  次に向かったのは、同地区の曹源寺でした。こちらも電話で連絡し、快く迎え入れてくれました。ご住職にご挨拶した後、お連れ合いが実に丁寧にいろいろ教えてくれました。
 広い畳敷きの間に欄間が8箇所ぐらい、そのうち2箇所は雲蝶作、他は小林源太郎作で、内陣には他の作家の作品もあまた掲げられています。
  東京出身のお連れ合いと親しく話を交わしました。贅沢な時間を共有できました。

  最後に向かったのは、秋葉三尺坊奥の院。
  雲蝶は烏天狗の3枚、源太郎が他の彫刻を担当した共同制作といわれています。金網に囲われているため、撮影は難しいのですが、いつの日か、許可をいただいて、入口の鍵を開けて中に入り、写真を撮りたいものです。
  紛う方なき雲蝶の代表作に違いありません。

  予定よりだいぶ遅れて帰途につきました。
 資料を読み直し、訪問し損なった社寺に気がつきました。
 次の国内旅行は、春頃、新潟から会津方面になりそうです。