後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔754〕新発見! クラウス・スリューテルの彫刻が『世界彫刻美術全集』(小学館1975年)になんと8頁も写真掲載されていました。

2024年12月21日 | 美術鑑賞

  こんなことがあるのですね。普段訪れることのない近隣の東村山中央図書館で開架式の図書を見ているときに思わぬ発見があったのです。クラウス・スリューテルの彫刻が『世界彫刻美術全集』(小学館1975年)に8頁も写真掲載されていました。私にとってはまさに新発見! でした。

 私が、ロマネスクやゴシック彫刻で今一番関心を持っているのはクラウス・スリューテルです。フランドル出身の彫刻家で、フランスのディジョンで活躍しました。緑の『祈りの彫刻』シリーズでたびたび紹介してきたゲルハールト・フォン・ライデンは後期ゴシックの名だたる彫刻家ですが、彼が手本にしたのがスリューテルだと言われています。
  昨年夏、見損なったスリューテルの彫刻を見にディジョンに来夏訪れる予定です。
  「モーゼの井戸」が代表的な作品です。以前『世界美術大全集』(小学館、1995年)で写真2頁を見つけたのですが、今回さらにその前に出版されている写真集を発見しました。それが『世界彫刻美術全集』(第7巻、ゴシック、小学館、1975年)です。 縦42㎝、横30㎝の大型本です。なんと「モーゼの井戸」が8頁にわたって掲載されているのです。
  まだまだ「新発掘」があるものですね。

ついでに『ロマネスク』も借りて2冊をガン見しています。 


〔753〕ふせ由女の「ゆめ通信」最新号(41号、2024年冬号)が届きました。

2024年12月14日 | メール・便り・ミニコミ

 清瀬市議・ふせ由女の事務所に届いたばかりの「ゆめ通信」、どうぞご覧ください。ふせ由女を支援する鎌田慧さんのコラムもどうぞ!

◆世代を結ぶ平和の像
                              鎌田 慧(ルポライター)

 前回、沖縄・読谷村の鍾乳洞「チビチリガマ」での集団死について書
いた。
 米軍侵攻中の悲劇だ。
 が、7年前に起こった、少年たちの破壊行為について、スペースの関
係で書けなかった。戦争中の悲惨がよく伝わっていなかった、もう一つ
の悲劇だった。
 上陸してきた米兵に恐怖して、村の鍾乳洞に避難した住民が恐怖に駆
られ、子どもや家族を自分の手で殺害した。捕虜になるより自決せよ、
というのが日本軍の強制だった。85人の住民が犠牲になった。その現場
は保存されてきていた。

 ところが7年前の9月、洞窟内で、つぼに入っていた遺骨が撒き散ら
され、飾られた折り鶴が引きちぎられる、乱暴狼藉の跡が発見された。
捜査の結果、16歳から19歳の少年たちが「肝試し」をした事件だった。
 さすがに読谷村の少年たちではなかったのが救いだった。
 ガマの入り口にある「世代を結ぶ平和の像」を制作した、彫刻家の金
城実さんが保護観察処分となった4人の少年を預かった。彼には大阪の
高校で教員生活の経験があった。
 読谷村の歴史を教え、反省文を書かせ、石仏(野仏)を集団制作する
ことにした。
 冬の寒い時期に、ガマの前にテントを張って泊まり込み、ほぼ1週間
で12体の石仏を完成させた。それをガマ周辺に安置し「石仏がまた歴史
を結んでいる」と金城さんは言う。
             (11月26日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)

◆死刑残置残酷国家
                                        鎌田 慧(ルポライター)

 最高裁で死刑が確定した袴田巌さんの無実が再審で証明され、死刑制
度への疑間が強まっている。
 与野党の国会議員を含む「日本の死刑制度について考える懇話会」は、
11月中旬、政府に対して「現状のまま存続させてはならない」と死刑制
度を根本的に検討するための、会議の設置を提言した。
 国連総会は1989年に死刑廃止条約を採択。欧州を含む112カ国、米国の
ほぼ半分の州、韓国、ロシアなど中止国もまた多い。

 しかし、日本は世界の常識に逆らう絞首刑残置国。それでもかつては、
死刑囚同士、同じ階で行き来が自由で、歌を歌うなどのレクリエーション
もあった。が、いまは24時間監視、当日の朝、いきなり刑場へ引き立て、
遺書を書く時間さえ奪われる確定死刑囚が、100人以上いる。

 11月下旬、国連人権理事会に任命された「拷間」「恣意的処刑」など
6テーマの「特別報告者」が連名で、日本政府に対して、日本の死刑制
度は国際法に違反する疑いがある、として執行停止の検討を求める通報
を行った(「朝日新聞」12月7日)。
 国の「非人道性」が批判されたのだが、政府は「制度の是非は自国で
考えるべき問題だ」と回答したという。
 「余計なお世話だ」という反論のようだが、私には「敵は殺せ」「悪
い奴は抹殺せよ」との仇(あだ)討ち、戦争の思想は認められない。
       (12月10日「東京新聞」朝刊19面「本音のコラム」より)


〔752〕「腰越9条ニュース220号ができましたので、お送りします。」(塚越敏雄さんから)

2024年12月10日 | メール・便り・ミニコミ

●いつもお世話になります。腰越9条ニュース220号ができましたので、お送りします。          塚越敏雄

 

◆原発推進への変節
  首相が政治力維持のため危険覚悟の原発を進める

                    鎌田 慧(ルポライター)

 「国民全体の福祉をのみ念じて国政の方向を定め、論議を尽くしてい
くように努めたい」とは言論人であり、戦後、首相になった石橋湛山内
閣の施政方針演説の一節。それを石破茂首相が先月末、所信表明演説の
結語に引用した。
 少数与党の首相だからなのか、「他党にも丁寧に意見を聞」く、それ
が 「基本方針」という。石橋湛山、大平正芳、宮沢喜一以来の「保守リ
ベラル」を標榜(ひょうぼう)し、日米地位協定の改定を主張していたが、
所信表明では一切触れず「我が国の防衛力の抜本的強化を着実に進め
る」と言うだけだ。

 一言も触れなかったのは、総裁選前に「依存度をゼロに近づける」と
歯切れのよかった自らの原発政策。
 一切語らなかったこともあってか、国民民主党の玉木雄一郎代表、異
例にも先月末、首相官邸に赴き、次期エネルギー基本計画に「原発の新
増設」を入れるように要請した。
 自民党自体が「可能な限り低減させる」としていた原発政策。2022年
に岸田政権が「安全性が確認された原発の最大限活用」に大転換した。

 原発消極論者の石破氏に、玉木氏が閣外協力を条件に「原発の新増
設」を持ちかけたようだ。
 野党の国民民主党代表が、電機産業の労組が推す原発新増設を首相に
進言し、首相が政治力維持のために、危険覚悟の原発を進める。
 退廃というべきか。
       (12月3日「東京新聞」朝刊21面「本音のコラム」より)


〔751〕3日目、足を伸ばす人が少ない栃尾の雲蝶作品群、凄い彫刻が待っていました。〈雲蝶の旅 その5、最終回〉

2024年11月27日 | 美術鑑賞

   いよいよ新潟滞在最終日です。雲蝶の三大彫刻群を有する永林寺、西福寺、本成寺を堪能し、さて最終日は二,三箇所寄り道をして、早めに帰途につこうと思っていましたが、大きく予定を変更する事態が起こってしまいました。素晴らしい雲蝶作品群に出会ってしまったのです。

  まずは栃堀区事務所に電話連絡し、神社の入口を開けておいてもらうことになりました。貴渡神社(長岡市)へ直行です。
  地元の大きな神社ではなく、小ぶりの可愛らしい神社が目差す所でした。風雨から庇護したり、外部の人が入れぬように囲われていました。
  向拝の獅子や貘や龍、手挟の松の枝に停まる鳩と雀を見て、素人ながら、これは充実期の雲蝶の作品に違いないと直感しました。さらに素晴らしいのが「桑負いから機織りに至までの様子」です。優雅な曲線を多用した心温まる庶民の暮らしが活写されています。後期ゴシック彫刻の作家、ダニエル・マオホを想起させます。


  明るい日差しの中で、2人で舐めるように撮影させてもらいました。
  栃堀区事務所にお礼に出向くと、区長さんがいらしていろいろお話をうかがうことができました。その時にいただいたチラシを紹介しましょう。

  次に向かったのは、同地区の曹源寺でした。こちらも電話で連絡し、快く迎え入れてくれました。ご住職にご挨拶した後、お連れ合いが実に丁寧にいろいろ教えてくれました。
 広い畳敷きの間に欄間が8箇所ぐらい、そのうち2箇所は雲蝶作、他は小林源太郎作で、内陣には他の作家の作品もあまた掲げられています。
  東京出身のお連れ合いと親しく話を交わしました。贅沢な時間を共有できました。

  最後に向かったのは、秋葉三尺坊奥の院。
  雲蝶は烏天狗の3枚、源太郎が他の彫刻を担当した共同制作といわれています。金網に囲われているため、撮影は難しいのですが、いつの日か、許可をいただいて、入口の鍵を開けて中に入り、写真を撮りたいものです。
  紛う方なき雲蝶の代表作に違いありません。

  予定よりだいぶ遅れて帰途につきました。
 資料を読み直し、訪問し損なった社寺に気がつきました。
 次の国内旅行は、春頃、新潟から会津方面になりそうです。


〔750〕2日目、雲蝶最初の逗留地、本成寺とその塔頭、さらに五十嵐神社を巡りました。〈雲蝶の旅 その4〉

2024年11月27日 | 美術鑑賞

  越後路2日目、まずは開館直後で入館者無人の十日町市博物館に立ち寄り、国宝の火炎土器などを心安らかに堪能することができました。民宿のご主人の推薦の博物館でした。
  そしていよいよ本成寺(三条市)へ向かいます。
 雲蝶が江戸から最初に向かったのは本成寺でした。ここに長期滞在し、本成寺とその塔頭に多くの作品を残しています。残念ながら本成寺の作品はほとんどが灰燼に帰してしまいました。しかしながらその塔頭には多くの作品が現存していると聞きます。

  紅葉真っ盛りの越後路をマイカーで順調に走ります。


  黄葉が敷き詰められた本成寺境内にしばし佇みましたが、一転、拝観中止の掲示に我々は落胆するのでした。しかしここは元々焼け残った赤牛だけの拝観とか、それで500円とはなんでなのでしょう。たぶん他に見どころがいっぱいあるに違いありません。
 ならば気を取り戻して、雲蝶の墓を探すしかありません。しかしこれが難儀でした。ドイツのニュルンベルクでファイト・シュトースの墓探しの困難さを思い出しました。
  親切な寺の受付でヒントをもらい、ようやく探し出しました。

 はてさて、ここからが我らの旅の醍醐味、『越後の名匠 石川雲蝶』(木原尚)を頼りに6つの塔頭を巡ります。外観は自由に拝観可能という所が多く、感謝しながら撮影させてもらいました。「要連絡」のところは、意を決して、ラジオ深夜便で好評だった緑に門前で電話してもらいました。「東京から雲蝶作品を拝観しに来たのですが、拝観は可能でしょうか。」というのが電話のポイントです。
  ファーストアタックの蓮如院で「軌跡」が起こりました。快く迎え入れてくれた座敷には猿の置物と雲蝶の位牌が鎮座していました。撮影もオーケーということで感激しながらカメラを構えました。わずかですがお布施をして寺を後にしました。


 要住院は作品が出展中、青蓮華院は所在がわからず、蓮如院、静明院、久成院、本照院は訪れる人もなくゆったりとカメラを構えました。どこでも、雲蝶の技の冴えに圧倒されるばかりです。

  本成寺近辺では観光客らしき人に出会ったのは1人の男性と2人組の女性だけでした。穏やかな日和に充実感いっぱいの我ら2人でした。
  余勢を駆って同じ三条市の五十嵐神社に向かいます。近くの駐車場に車を止めて、急な坂を上って五十嵐神社に辿り着いたところ、明かりは付いているものの誰もいません。開け放した堂内に入るも雲蝶作品は見当たりません。しかし、よく見ると、壁のかなり上の方に3枚の欄間彫刻が見つかりました。獅子と鳳凰でしょうか、あとは暗さも手伝ってしかとは確認できません。

  しかし、満足してホテルルートイン見附に向かうのでした。

  2000年になってからの国内古寺古仏巡り、さらにはドイツを中心とした後期ゴシック彫刻巡り、そして今回の雲蝶巡り、それぞれに共通する出合いの新鮮さ、私たちを興奮させる何物かがあるなあと実感するのでした。


〔749〕1日目の続き、西福寺・龍谷寺を巡りました。〈雲蝶の旅 その3〉

2024年11月26日 | 美術鑑賞

  雲蝶観光の最大の目玉はなんと言っても西福寺です。永林寺からの車移動は容易かったです。赤や黄色の紅葉を楽しみながら車を走らせました。信号が少なく、車もまばらなのでのんびりしたものです。意外と制限速度は50㎞が多かったです。
  西福寺の駐車場にはすでに2台の車が置いてあり、すぐに観光バスが到着し、その賑わいはかなりのものでした。


  駐車場脇の鐘楼の彫刻に早速目が行きました。小林源太郎の秀作です。その向こう側にお目当ての開山堂が鎮座していました。向拝は雲蝶の傑作です。しばし写真撮影に勤しんで、観光客を避けるようにおもむろに受付に向かいました。

  見どころはなんと言っても開山堂の内部です。スイッチで音声が流れる仕組みになっています。
  圧倒的な迫力の彫刻は、2体の仁王像と天井の「道元禅師猛虎調伏の図」、なるほど「越後のミケランジェロ」の面目躍如といったところです。いくつかのグループをやり過ごし、ゆったり椅子に佇んでいました。 

 ここで拝観券と写真集(大判、60頁,2000円)を紹介しましょう。

  この日はもう一箇所、小雨がぱらつく中、龍谷寺を目差しました。

 龍谷寺の訪問客は我々のみ。寺の行事と重なりつつも雲蝶作品まで導いてくれました。雲蝶が手がけたのは欄間2枚、裏にも超絶技巧の深彫りが施されていました。ただ、部屋の中が薄暗くて、よく見えなかったのが残念なことでした。

  清瀬に戻ってきて、また西福寺に行かなくてはと思ったのは、いずれも雲蝶作の火除け地蔵と「寒山拾得」と「羅漢様と虎」の絵を見落としてきたからでした。何事も1回行っただけではわかりませんね。


〔748〕1日目、いきなり雲蝶彫刻のハイライト、永林寺・西福寺・龍谷寺を巡りました。〈雲蝶の旅 その2〉

2024年11月26日 | 美術鑑賞

  雲蝶が江戸から越後にやって来て、最初に滞在し、彫刻の仕事に着手したのは本成寺(三条市)とその塔頭群だったようです。その本成寺は残念ながら火災(放火と言われている)に遭い消失しました。雲蝶の作品はほぼ塔頭に残るだけです。
 雲蝶の活動舞台はその本成寺と永林寺及び西福寺(魚沼市)です。永林寺と西福寺は最も多く雲蝶作品が残る場として拝観の目玉です。

  第1日目は永林寺と西福寺、そして雲蝶作品の貴重な欄間を残す龍谷寺を巡りました。
  優雅で美しい天女像で有名な永林寺には、雲蝶は13年間滞在し、百数点の彫刻、絵画を残しています。雲蝶ファンにとっては垂涎の寺なのに、しんしんと冷える寺には我々の他だけもいませんでした。しばらくして2組の観覧者がありましたが。
  まずはパンフレットと購入した小冊子(34頁、500円)を紹介しましょう。

  「建物内の撮影は一切禁止」です。外国の美術館・博物館は私的利用に限りほぼ撮影は許されています。昨年再訪したルーヴルや大英博物館しかりです。限定箇所での撮影が許可されるなど、少しずつ日本も変わってきていますがね。
  ここの雲蝶作品の数は半端ではありません。パンフによればその数は25を数えます。どういう並びになっているのか、順番が定かではありません。しかし、誰もいないのを幸いに、順番通り、あっちに行ったりこっちに行ったり、右往左往しました。でも充実感はたっぷり、雲蝶は凄い!  天女像は雲蝶の最高傑作の1つですね。


  この永林寺の本堂は雲蝶がプロデュースした最後の現存する建物だそうです。
  『私の恋した雲蝶さま』(中島すい子、現代書館、2014年)を再読することにしましょう。著者は南魚沼市在住の観光ガイド、運寵愛に溢れるエッセイ集と言えます。魚沼地区の雲蝶作品を中心に語っています。

  西福寺・龍谷寺については次のブログに掲載します。


〔747〕紅葉絶景の越後路、石川雲蝶・小林源太郎の超絶技巧にただただ魅せられました。〈雲蝶の旅 その1〉

2024年11月25日 | 美術鑑賞

  2024 年11 月18 日。実に久しぶりの国内旅行に夫婦で出掛けました。かつてはよく利用した関越自動車道を経由しての2泊3日の旅でした。
  国内旅行なら行きたいと念願していたのは2箇所、仏都会津(古寺、さざえ堂、大内宿など)と出雲地方(出雲大社や一畑寺など)でした。そこに猛然と「割り込んできた」のが越後新潟です。前ブログにも書きましたが、石川雲蝶・小林源太郎の彫刻や絵画を拝観したいからでした。
  どんな旅行だったのか、連れ合いが概略をコンパクトに押さえてくれました。


  雲蝶の旅                                 福田緑

〔2024 年11 月18 日~ 20 日〕
11 月18 日(月曜日)  1日目
清瀬を7:08出発→ 途中で休憩を一度取る→堀之内IC で高速を下りる。

(1)永林寺 魚沼市10:55着
・演奏する天女像が有名
・欄間には鳥や様々な物語が描かれ、合計25点の絵画・彫刻がある。
・作品番号が実際の位置とバラバラで見つけにくかったのが残念
・蛙と牛の置物だけは撫でることができる。
・内部撮影一切禁止(販売用冊子あり)
・拝観客は最初私たちだけだったが後から二組ほど来た。
〒949-7403 魚沼市根小屋1765  ☎025-794-2266 拝観・見学可

(2)西福寺 魚沼市12:20着
・開山堂では女声のアナウンスを繰り返し聞くことができる。
・開山堂の天井には道元の物語彫刻があり、龍も彫られていた。
・開山堂の入口に大きな仁王像が一対立っている。
・内部撮影禁止(販売用冊子あり)
・観光客がバスで大勢来ていた。
〒946-0033 魚沼市大浦174  ☎025-792-3032  拝観・見学可

(3)龍谷寺 南魚沼市14:16着
・欄間彫刻2枚と障子を見る。
・内部撮影禁止
〒949-7251 南魚沼市大﨑3455  ☎025-779-2020  拝観・見学可
この後、魚沼から十日町の越後妻有農家民宿萬代へ行き、1泊
〒949-8615 十日町市中条甲1369  ☎ 090-3145-0106  FAX 025-757-1524
*食事が美味しい!

11 月19 日(火曜日)  2日目
(1)十日町市博物館
・国宝の火炎形土器40数点あり。
・展示に工夫がされていて見応えがある。
(2)本成寺 三条市
・雲蝶が住み込みで彫刻をしていた寺だが、焼けた後残ったのは赤牛のみ
・赤牛は行事のため拝観できず、雲蝶のお墓は見ることができた。
〒946-0033 三条市西本成寺1-1-20  ☎0256ー32-0008
拝観・見学要連絡(団体のみ受付)

(3)本成寺の塔頭(外観はどこも可能、内部拝観に要連絡のものだけ☎)
・蓮如院、猿の置物・雲蝶の位牌 ☎0256-32-5203
・要住院(ようじゅういん)作品出展中 ☎0256-33-1886
・静明院(じょうみょういん)軒の上と両脇に彫刻、獅子・本を読む老人など ☎0256-33-3103
・久成院門に獅子、亀の彫刻  ☎0256-32-4866
・本照院門に獅子、飛龍の彫刻 ☎0256-32-5220
・青蓮華院は見つからず ☎0256-34-2688

(4)五十嵐神社15:05着
・3枚の欄間彫刻、獅子と鳳凰はわかるが、あと一つはわからない。
『越後の名匠 石川雲蝶』(木原尚)の37頁と違う作品があった。
〒955-0107 三条市飯田 ☎0256-46-4007
この後、ホテルルートイン見附(中之島見附インター下車)で1泊、お風呂が良かった。
〒954ー0112 新潟県見附市上新田町160 − 1  

11 月20 日(水曜日)  3日目
(1)貴渡(たかのり)神社 長岡市10:18着
・栃尾郷織物発祥の神様を祀る神社織物ができるまでの様子を彫っている。
・人物の表情がとてもよく彫られていて温かみがある。
・栃堀区事務所に駐車、すぐ近く
〒940-0145 長岡市栃堀4344  ☎0258-52-3521

(2)曹源寺 長岡市11:35着
・上記貴渡神社から乗車32分で着く。
・広い畳敷きの間に欄間が8箇所? そのうち2箇所は雲蝶作、他は小林源太郎作、作者不明も多数
・住職のお連れ合いが東京の方
・欄間彫刻を撮影(撮影OK )
・彼女の案内で奥の大きな地蔵尊のある一角へ
〒940-0241 長岡市北荷頃769甲 ☎0258-52-2791

(3)秋葉三尺坊奥の院へ12:58着
・雲蝶は烏天狗の3枚、源太郎が他の彫刻を担当した共同制作らしい。
・周囲を金網で囲っているため撮影には大変不向き、一眼レフなら編み目を通して撮影できたかもしれず、三脚を持ってもう一度訪ねたい神社。可能なら連絡をして門を開けていただきたいものだが…。
〒940-0227 長岡市谷内2(秋葉公園内)  ☎0258-52-2318(常安寺)
・近くの食堂で昼食をとり、清瀬に帰宅、午後7時頃


   旅の様子を資料や写真を元に3回のブログで紹介していきたいと思います。
 その前に押さえておきたいのは、今回の旅のバイブル『越後の名匠 石川雲蝶』(木原尚、新潟日報事業社)です。お勧めの1冊です。


〔746〕3回も来場の方、雲蝶で談論風発の方、写真集4冊買ってくださった方…豊かな交流づくしの写真展でした。

2024年11月16日 | 美術鑑賞

 12日間の写真展で210人の方が来場されました。奇しくも2回とも500人いらした以前の写真展にも劣らないほどの豊かな交流がそこここで展開されました。連れ合いの福田緑が以下のようにその出会いを書いています。

▶心に残る愛のエピソード(その2)*福田緑のブログより

 連れ合いも受付の友人たちも深く感銘を受けた一人のお客様がいます。

 その方は11月4日にいらして、その後は最終日まで毎日ギャラリーに見えたのでした。しかも4日になんと写真集4巻まとめてご購入! 背中のリュックに3冊、手許に1冊お持ち帰りになりました。その理由が入院中のお連れ合いに見せてあげたいとのこと。お連れ合いは現在気官切開・胃瘻で寝たきりだそうですが、若い頃から絵を描き、結婚前に一人でヨーロッパを回った時には感想を度々彼にハガキで送ってきたとのこと。そのハガキをコピーしてお持ちになっていて三津夫と私に「よかったら読んでください」とおっしゃいます。そのお連れ合いが町や美術館を訪ねては心弾ませている様子が細かな文字でビッシリ書かれていて、それをご丁寧にワープロかパソコンで打ち直し、両方とも見せてくださいました。幸いあまりお客様が見えなかった時間帯でしたのでじっくり拝見し、その文面は、入院して絵筆を取れなくなったお連れ合いの若かりし頃を想像させてくれる内容で深い感銘を受けました。しかも、そのお連れ合いと一緒に私の写真集を見て楽しみたいという思いが伝わってきて、ご夫妻の愛情の深さを感じ取ったのでした。ありがとうございます。

 

365. 福田緑写真展No.3 「リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」終了! - リーメンシュナイダーを歩く 

365. 福田緑写真展No.3 「リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」終了! - リーメンシュナイダーを歩く 

▶写真展は無事終了いたしました。❤この彫刻は聖バルバラのレプリカで、留学時代にヴュルツブルクで購入してきました。菩提樹で作られていて、その手触りを味わっていただく...

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  次に紹介したいのは、「石川雲蝶で談論風発の方」です。近隣の所沢市にお住まいの女性でした。とてもお元気な方で、どうしたことか、彫刻繋がりで雲蝶の話題になったのです。なんと2,3日前に新潟に旅行されて雲蝶作品に感銘を受けたということでした。ギャラリー2回目の来場のとき雲蝶に関する資料を多数貸してくださったのでした。


 実は我々は、この写真展を終えて、1、2週間後に雲蝶作品を訪ねる2泊の個人旅行に出かける計画でした。
  当然話題沸騰、談論風発の賑やかなおしゃべりになったことはご想像の通りです。

 実は近場の田無神社にも素晴らしい彫刻があるということをこの方は教えてくれました。「天才嶋村俊表の彫刻」です。田無神社社報もいただきました。拝観可能になったときには是非訪ねたいと思います。

 そしてなんと、写真集2-5巻4冊を纏めて買ってくださった方が3人もいらっしゃいました(1巻は完売)。感謝に堪えません。


〔745〕袴田事件の次は狭山事件ですね。再審無罪を勝ち取りましょう。

2024年11月15日 | 図書案内

  70年代の後半に埼玉県狭山市に引っ越しました。新規入居した狭山台ハイツは狭山事件現場に囲まれた地点に位置していました。石川一雄さんの家、犯人を取り逃がしたお茶畑、被害者が殺害された畑にとり囲まれたようなところでした。
 月に1回ぐらいだったでしょうか、狭山事件の現地見学会が開かれ、参加しました。石川さんは間違いなく無罪だなと確信したのは、石川さんの小さな家に入ったときでした。警察が3度目の捜索で、入口すぐの鴨居の上から、脅迫状を書くのに使われた万年筆が発見されたというのです。
  鴨居は小学生でも手が届く低いところでした。捜査の専門家の刑事が見逃すはずはありません。しかも脅迫状のインクの色と違っていました。脅迫状は、ほとんど学校に通っていなかった石川さんに書けるはずがありません。稚拙を装った比較的学識の高い者の仕業と思われます。

 袴田さんに続いて、石川さんの再審無罪を勝ち取りたいものです。

  最後に、くまもと「狭山事件」を考える住民の会の学習資料と、「止めろ!東電福島放射能汚染水海洋投棄!!」のパンフレットを紹介します。


〔744〕「小学校5年生は総合学習の時間にお米つくりをしています。」(矢部顕さんのお便り)

2024年11月15日 | メール・便り・ミニコミ

   矢部顕さんからいつものようにお元気なメールでの便りが届きました。

福田三津夫様

●小学校5年生は総合学習の時間にお米つくりをしています。
11月5日、稲刈りをして竿掛けをして、天日干しをした後、
11月11日、足ふみ脱穀機で脱穀し、唐箕で選別をしました。
籾摺をしたところ玄米60kgの収穫がありました。

写真を添付します。
私は稲作体験を指導する農家のおじいさんなのです。

●また、11月13日は、小学校6年生の亀山城跡清掃と歴史講話
がありまして、八丈島から贈られた蘇鉄を見ながら講話を
聴いてもらったその演題は「八丈島赦免花伝説」でした。
講話をする人は亀山城跡保存会事務局長の私でした。

レジュメを添付します。

●11月15日(土)は小学校の体育館で、五次元キーボードを駆使して、
ひとりでオーケストラの演奏をするコンサートがあります。
タイトルは「宇喜多家をめぐる歌物語」。
曲目は、宇喜多直家によせて、秀家によせて、豪姫によせて、などで
作曲も彼がしています。

●11月17日(日)には、亀山城跡プレーパーク(冒険遊び場)を開催します。
プレーパーク運動は、デンマークから輸入されたとのことで、その導入には
門脇厚司さん(『子どもの社会力』岩波新書著者、かつてラボで一緒に仕事
をさせてもらった)も関わっていたとのことです。

プレーパークというカタカナが気に入りませんが、なんのことはない、
私が子どものころに亀山城跡の林で遊んでいた遊びの再現です。

ということで、10月の忙しいお米の収穫作業が終わったと思ったら、
このところ、上記のような活動で忙しくしています。

矢部 顕


亀山城跡保存会子どもクラブ(浮田小学校6年生)
亀山城跡清掃と歴史講座
                      八丈島赦免花伝説
                      ―亀山城に移植された蘇鉄に花が咲いた―

                                                                        2024.11.13.
                                                              亀山城跡保存会事務局長
                                                                       矢部 顕

1. 八丈島から蘇鉄が贈られてきた
  ①贈り主 宇喜多秀家顕彰会「八丈島久福会」
  ②植樹式 2019年(令和元年)10月14日 
  ③蘇鉄に花が咲いた 2019年11月

2. 八丈島赦免花伝説
  ①秀家遠島(1606年)以降、260年間で1898人が流罪で八丈島へ島流し
  ②宗福寺(秀家菩提寺)の蘇鉄に花が咲く―赦免状が届く前触れ
  ③文政年間69人、天保年間41人、弘化年間64人、嘉永年間34人、・・・
   計10回 計741人に赦免状が届いた
  ④しかし、秀家、その末裔には赦免状は届かなかった
  ⑤明治政府による明治元年の恩赦によって

3. 加賀前田家の支援
  ①豪姫の八丈島への同行は許されず、実家の加賀前田家に戻った
  ②豪姫の秀家への食料支援の計画は、徳川から最初許されなかった
  ③豪姫のキリスト教棄教が条件だった
  ④江戸時代260年間、前田家は食料を送り続けた
    日本の歴史上たぐい稀な出来事

4. 宇喜多家の家老・明石掃部
  ①謎のキリシタン武将  黒田官兵衛の影響?
  ②城下の民2000人?を洗礼
  ③豪姫のキリスト教への帰依は?
  ③秀家を支えた後までも
  ④大坂の陣にキリシタン武将として参戦
   
5. 秀家生誕450年を記念して
  ①子どもの交流
    秀家生誕の地の浮田小学校と秀家終焉の地の
            八丈島大賀郷小学校との交流が始まった     
  ②360年の時空を越えた
     生きた歴史が続く 


〔743〕あの瀧沢敬三さんが7人のお仲間と写真展にやって来られました。

2024年11月11日 | 美術鑑賞

  瀧沢敬三さんのご著書はブログ〔725〕で紹介しました。


 その瀧沢さんが写真展に7人のお仲間を連れてやって来られました。緑の写真展ではかつてない最大の「ツアー」でした。
  連れ合いの福田緑が一通り展示物を案内した後、真ん中のテーブルを挟んで8人が椅子に座わられるや、立たたれるやら。
 私たち2人からは後期ゴシックの彫刻のことを中心に話しました。熱心に耳を傾けて下さいました。そして来場者の皆様にもいろいろ質問も投げかけました。どのような方々がお越しになっているのか興味があったからでした。「リーメンシュナイダー展」への「策略」なども授けていただきました。
 しばし話題沸騰、さながら大人の寺子屋状態と相成ったのでした。皆さんは小一時間滞在されたでしょうか。その後階下のカフェに移動されて食事をされたようでした。
 思いも寄らなかった大人数での写真展訪問、感謝の一言しかありません。

 瀧沢さんから日を置かずドイツ語のご著書が送られてきました。以前出版された『西方見聞録』(全4巻、日本自費出版大賞入賞)の第2巻『西ドイツ一周研究旅行記』をドイツ語に翻訳されたもので、ドイツで出版されています。この本は、ドイツ人デザイナーのリサ・アイトさんがドイツの「造本・装幀コンクール」の該当部門へ応募し、入賞したということでした。
 この本にまつわる様々な資料も封入されていました。ここでは日独教会機関誌への報告を紹介します。

 お手紙には次のようにあります。
「このたびは大勢でおじゃまし、他のお客様にご迷惑をおかけしたのではないかと心を痛めております。全員皆、普段体験できない新鮮な感動を受け大満足の一日でした。
 『人生は出会い』ひたすら感謝です!」
 
   こちらこそ、いろいろ教えていただき感謝申しあげます。ありがとうございました。


〔742〕第3回福田緑写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」を終え、「没後500年・リーメンシュナイダー展」開催の夢へ邁進します。

2024年11月10日 | 美術鑑賞

  2024年10月26日(土)から11月6日(水)まで、第3回福田緑写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち」が、西武池袋線秋津駅徒歩1分のカフェギャラリー縁(えん)で開催されました。


 来場者は1,2回目のそれぞれ約500人に比べると、今回の210人はやや減少しましたが、その分ゆったりとした雰囲気の中で、丁寧で充実した交流がそこここで展開されました。来場者と私ども主催者の満足度はマックスと言って良いと思います。なんと3回も足を運んでくださった方、さらに2回という方も数人いらっしゃいました。

  写真展の充実感を日々感じるなかで、ある確固たる念いが大きく頭をもたげてきました。それは日本で「没後500年・リーメンシュナイダー展」を開催したいという願いです。
 常々緑はあと2回は写真展をやりたいと言っています。7年後の2031年、第5回写真展は、「リーメンシュナイダー没後500年」と銘打って開催したいということでした。
  私はもちろんそれには賛成なのですが、いっそのこと「没後500年・リーメンシュナイダー展」をどこかで開いてもらえないかと思いついたのです。たとえば、国立西洋美術館とか、東京芸術大学美術館とか、大それたことを思いつきで周囲の仲間に吹聴してみました。同時に第5回写真展を開催するというのがおもしろいのではないかと考えたのです。
  こうした考えを様々な来場者(美術館でボランティアをされている方、研究者、様々な美術愛好家、ルポライター、大学教授など)に打ち明けたところ、様々な反応、情報が伝わってきました。ひょっとしたらできるかも知れないと、いまは思い始めています。

  そこでまずは少し調べてみました。いままでにどれくらいリーメンシュナイダーの作品が日本に来ているかということです。見落とししている展覧会がありましたら教えて下さい。
 新たな目標が生まれて楽しくなってきました!

 

                  来日リーメンシュナイダー作品一覧

●デューラーとドイツ・ルネッサンス展(1972年、国立西洋美術館、京都国立近代美術館)
・クリスマスの情景、十字架のキリスト 2点

●ドイツ美術展 中世から近世へ(1984年、国立西洋美術館)
・三王の礼拝、テューリンゲンの聖エリーザベト、聖ラウレンティウスと聖ステファヌス(周辺作家)  3点

●大英博物館の至宝展(2003,2004年、東京都美術館など4館)
・東方三博士礼拝を表した木製祭壇彫刻 1点

●ベルリン国立美術館展(2012年、国立西洋美術館、九州国立博物館)
・聖母戴冠、奏楽天使、龍を退治する馬上のゲオルギウス 3点


〔741〕「久々に、新しい憲法チラシができましたので、お送りします。」(塚越敏雄さんより)

2024年11月10日 | メール・便り・ミニコミ

●おはようございます。久々に、新しい憲法チラシができましたので、お送りします。                     塚越敏雄

 

 


〔740〕清瀬市議・ふせ由女の「ゆめ通信」(40号、2024年秋号)は図書館を3分の1に減らす市の暴挙と、鎌田慧さんの講演「ハンセン病と私」特集です。

2024年11月07日 | メール・便り・ミニコミ

  内容は表題の通りですが、じっくり読んでください。
 図書館削減暴挙は現在進行形です。いずれ「反攻」の市民運動を報告したいと思います。