『ケーテ・コルヴィッツの肖像』を書店で手の取ったことは何度かありました。ケーテ・コルヴィッツの生涯について実証的にしっかり書かれているなという印象を持ったのですが、丁寧に向き合う心の余裕も時間もありませんんでした。しかし、幸運なことに、連れ合いの福田緑のリーメンシュナイダーの写真展の会期中に彼女宛に著者から贈られてきたのです。私は小躍りしました。
ケーテ・コルヴィッツは二度の世界大戦を経験し一貫して反戦を貫いたドイツの画家であり彫刻家だということで、以前から興味を抱いていました。鈴木東民訳の『ケーテ・コルヴィッツの日記 種子を粉にひくな』(アートダイジェスト社)や『ケーテ・コルヴィッツ版画集』(岩崎美術社)を読んだり、2005年に開催された「ケーテ・コルヴィッツ展」(茨城県つくば美術館)に出かけました。ベルリンにあるケーテ・コルヴィッツ美術館も訪ねたのはその直後でした。
写真展が終わり、様々なことが一段落して、ゆっくり拝読しました。少しずつかみしめながら読み進めると、これは凄い本だなとあらためて実感しました。
『ケーテ・コルヴィッツの日記 種子を粉にひくな』を興味を持って読み通すのは美術に門外漢の私には至難の業でした。『ケーテ・コルヴィッツの肖像』では作家の生涯の仕事・業績の「証言」として的確に引用されてくるのです。どうやら著者の志真斗美恵さんは私どもと同世代、ドイツ文学専攻でドイツ語を教える仕事をしているようです。つまり、ケーテ・コルヴィッツの日記は著者自身の翻訳に違いありません。とても読みやすい文章で、こなれています。
本書はケーテ・コルヴィッツの仕事・業績を時系列で様々なエピソードや日記をちりばめながらわかりやすく整理してくれました。各章のトビラはその時々のケーテ・コルヴィッツの肖像画で飾られています。写真も多くケーテ・コルヴィッツ入門書としても相応しいものです。昨年、4刷発行されたのも頷けるというものです。
ケーテ・コルヴィツと日本や日本人との関係についてもよく調べて書かれているなと思いました。与謝野晶子、千田是也、中野重治、宮本百合子、鈴木東民…が登場するのも本書に深みを与えています。リーメンシュナイダーなど中世ドイツの作家やエルンスト・バルラハの記述も実に興味深かったです。
妻は行っていますが、ケルンのケーテ・コルヴィツ美術館を是非訪れたいと思いました。
それにしても、ケーテ・コルヴィツ全作品集はなぜ出版されないのでしょうか。残念でなりません。
それでは、著者紹介、「はじめに」、目次を見ていただきましょう。
【著者紹介】(奥付より)
志真斗美恵 : 1948年、千葉県生まれ。ドイツ文学専攻。出版社勤務の後、1974年以来、東京女子大学、法政大学、東京理科大学等で非常勤講師としてドイツ語を教える。
著書:『芝寛 ある時代の上海・東京-東亜同文書院と企画院事件』績文堂 2015年
■はじめに
天命をまっとうすることができずに迎える不条理な死--戦争、テロル、あるいは飢餓による死。残された人びとの悲しみを思うとき、ケーテ・コルヴィッ ツの作品がわたしの脳裏に浮かぶ。戦争で息子を奪われた両親の像、敬愛する 人を失った人びとがならぶ〈カール・リープクネヒト追憶像〉。数々の作品は、深い悲しみとともに、その死を胸に刻み生きてゆこうとする意志を表現している。
ケーテ・コルヴィッツは、二度の世界大戦で、二人のペーターを失った。第一 次世界大戦で次男ペーターを、第二次世界大戦で孫のペーターを。
ケーテ・コルヴィッツは、ドイツで戦争と革命の世紀を生きた画家であった。彼女が生まれた一八六七年は、日本では大政奉還・明治維新の年である。ドイツ帝国の誕生(一八七一年)、第一次世界大戦(一九一四~一八年)、ヴァイ マル共和国成立(一九一九年)、ドイツ革命の敗北(一九一九年)、ナチスに よるファシズム支配と戦争の時代(一九三三~四五年)を彼女は生き、戦争が 終結する直前に亡くなった。
彼女は、版画を中心にして、素描、彫刻の分野で五〇年以上にわたる活動を続 けた。その生涯に創造した版画作品は二七五点、そのほかに多数の素描や下絵、そして色彩の施された作品と十数点の彫刻がある。その数は、多いとはい えないかもしれない。だが彼女にとって、生きることは、作品を創造すること であった。どのように困難なときでも、彼女はけっして絵画や彫刻から離れなかった。彼女の祖父は言った--「才能は、同時に使命である」と。
ケーテ・コルヴィッツは思索する芸術家であった。創造の過程で彼女は思考を 深めていく。作品を完成させるまで何年も、何十年もかけるのは、稀ではなか った。その長い時間のなかで、彼女は、たえず作品をそのときの現在の光のな かで検証した。少女時代から晩年に至るまで一〇〇点あまりにのぼる自画像 は、彼女が自己を凝視するなかから創作する作家であった証でもある。
ケーテ・コルヴィッツは文章を書く人でもあった。自画像を描くだけでなく、文章でも自分を語っている。本を読み、日記を書き、絶えず自分をみつめた。少女時代は『回想』(一九二三年)に、画学生の時代をへて版画家として四〇 歳になるまでは『若いころの思い出』(一九四一年)にまとめられている。一 九〇八年から書きはじめた日記は、十冊、一五〇〇ページにのぼり、率直で飾 り気なく、また自己に対して容赦ない批判の刃を向けている。それは、個人的 日録にとどまることなく、作業日誌的要素も持ちあわせていて、彼女の作品をみるときの補助線となってくれる。
ケーテ・コルヴィッツが没して六〇年。いまなお世界各地で戦禍は絶えない。 戦争による死者はなくならない。飢えもなくならない。世界六〇億の人びとのうち、八億人以上の人びとが飢餓状態にある。彼女が版画や彫刻で描いた現実 は変わっていない。イラクで戦死したアメリカ兵の母親の悲しみは、九十数年 前のケーテのそれと同じである。戦場でわが子をさがす母親も、戦争のために 寡婦となった妊婦も数知れない。「平和主義」――それは彼女が死を前にした ときの言葉である。ケーテ・コルヴィッツの作品は、いまも平和を考えるため の手がかりになるとわたしは確信している。
ケーテ・コルヴィッツの仕事は、彼女が生きた時代ときりはなして考えること はできない。彼女自身が書き残した日記・回想・手紙をてがかりに、激動の時 代とかかわりつづけてきた彼女の足跡をたどり、ケーテ・コルヴィッツの生涯 をいまからわたしなりに綴ってみたい。作品を時代のなかに位置づけ、言葉で ケーテ・コルヴィッツの肖像を描いてみようと思う。
■目 次
1 画家をめざして――自由の風
「自由教団」の影響 ケーニヒスベルクの風にふかれて 画家をめざして 女子美術学校へ 婚約、そしてミュンヘン 習作〈ジェルミナール〉
2 『織工たちの蜂起』――連なっていく記憶
カールとの結婚 ハウプトマン『織工たち』の衝撃 家庭と創作活動の両 立 連作版画『織工たちの蜂起』 「社会派」芸術家と呼ばれて 〈あま たの血を流すものたち、おお民衆よ〉 もうひとつの機織労働の記憶――ゴ ッホ マルクス、ハイネ、フライリヒラート、ハウプトマン
3 『農民戦争』――主題と技法の追求
ベルリン分離派への参加 『農民戦争』の制作 一九〇四年--「パリは わたしを魅了した」 ロダン訪問 一九〇七年--イタリア滞在 農民戦 争の時代の画家たち
4 貧しい人びとの素描――表現主義運動の渦中で
『ジンプリチシムス』での仕事 生活と創作の苦悩 表現主義運動の高揚 〈三月の墓地〉
5 ペーターの戦死――一九一四年十月
戦争への熱狂 「私の仕事」--記念碑の制作 デーメル批判
6 カール・リープクネヒト追憶像――悲しみの転換
初の芸術アカデミー女性会員に 〈カール・リープクネヒト追憶像〉制作へ バルラハ木版画の衝撃
7 ポスターの制作――「人民の代弁者」
混迷する時代のなかで 「反革命が動きだした」 「この時代のなかで人び とに働きかけたい」 インフレの進行と飢餓 二度と戦争をするな!
8 木版画連作『戦争』――「苦しみは真暗闇だ」
長い歳月を込めて 生命を宿すもの ロマン・ロランへの手紙
9 国境を越えて――スメドレーと魯迅
スメドレーとの友情 魯迅『ケーテ・コルヴィッツ版画選集』出版
10 記念碑〈父と母〉の像――平和の希求
『プロレタリアート』 ペーターの墓地へ 革命十周年のモスクワ 記 念碑の完成 墓地への設置 記念碑の変転
11 最後の連作『死』――ナチス支配の時代
兄コンラートの死 ナチス支配の時代 三人展--ナーゲル、ツィレ、コ ルヴィッツ レリーフ〈御手に抱かれ安らかに憩いたまえ〉 最後の連作 『死』 ゲシュタポの尋問
12 種を粉に挽いてはならない――孤独と希望と
彫刻に没頭 〈ピエタ〉 ケーテの〈嘆き〉とバルラハの〈漂う天使〉 〈たがいに握りあう手〉 夫カールの死と〈別れ〉 〈種を粉に挽いて はならない〉 孫ペーターの戦死 平和主義の思想
●エピローグ 励まし――日本の人びとに
一九二八年--千田是也「ケエテ・コルヰッツ」
一九三六年--中野重治 と『ケーテ・コルヴィッツ版画選集』
一九四一年--宮本百合子「ケーテ ・コルヴィッツの画業」
一九五三年――鈴木東民『ケーテ・コルヴィッツ の日記 種子を粉にひくな』
あとがきにかえて--自画像のことなど
ケーテ・コルヴィッツは二度の世界大戦を経験し一貫して反戦を貫いたドイツの画家であり彫刻家だということで、以前から興味を抱いていました。鈴木東民訳の『ケーテ・コルヴィッツの日記 種子を粉にひくな』(アートダイジェスト社)や『ケーテ・コルヴィッツ版画集』(岩崎美術社)を読んだり、2005年に開催された「ケーテ・コルヴィッツ展」(茨城県つくば美術館)に出かけました。ベルリンにあるケーテ・コルヴィッツ美術館も訪ねたのはその直後でした。
写真展が終わり、様々なことが一段落して、ゆっくり拝読しました。少しずつかみしめながら読み進めると、これは凄い本だなとあらためて実感しました。
『ケーテ・コルヴィッツの日記 種子を粉にひくな』を興味を持って読み通すのは美術に門外漢の私には至難の業でした。『ケーテ・コルヴィッツの肖像』では作家の生涯の仕事・業績の「証言」として的確に引用されてくるのです。どうやら著者の志真斗美恵さんは私どもと同世代、ドイツ文学専攻でドイツ語を教える仕事をしているようです。つまり、ケーテ・コルヴィッツの日記は著者自身の翻訳に違いありません。とても読みやすい文章で、こなれています。
本書はケーテ・コルヴィッツの仕事・業績を時系列で様々なエピソードや日記をちりばめながらわかりやすく整理してくれました。各章のトビラはその時々のケーテ・コルヴィッツの肖像画で飾られています。写真も多くケーテ・コルヴィッツ入門書としても相応しいものです。昨年、4刷発行されたのも頷けるというものです。
ケーテ・コルヴィツと日本や日本人との関係についてもよく調べて書かれているなと思いました。与謝野晶子、千田是也、中野重治、宮本百合子、鈴木東民…が登場するのも本書に深みを与えています。リーメンシュナイダーなど中世ドイツの作家やエルンスト・バルラハの記述も実に興味深かったです。
妻は行っていますが、ケルンのケーテ・コルヴィツ美術館を是非訪れたいと思いました。
それにしても、ケーテ・コルヴィツ全作品集はなぜ出版されないのでしょうか。残念でなりません。
それでは、著者紹介、「はじめに」、目次を見ていただきましょう。
【著者紹介】(奥付より)
志真斗美恵 : 1948年、千葉県生まれ。ドイツ文学専攻。出版社勤務の後、1974年以来、東京女子大学、法政大学、東京理科大学等で非常勤講師としてドイツ語を教える。
著書:『芝寛 ある時代の上海・東京-東亜同文書院と企画院事件』績文堂 2015年
■はじめに
天命をまっとうすることができずに迎える不条理な死--戦争、テロル、あるいは飢餓による死。残された人びとの悲しみを思うとき、ケーテ・コルヴィッ ツの作品がわたしの脳裏に浮かぶ。戦争で息子を奪われた両親の像、敬愛する 人を失った人びとがならぶ〈カール・リープクネヒト追憶像〉。数々の作品は、深い悲しみとともに、その死を胸に刻み生きてゆこうとする意志を表現している。
ケーテ・コルヴィッツは、二度の世界大戦で、二人のペーターを失った。第一 次世界大戦で次男ペーターを、第二次世界大戦で孫のペーターを。
ケーテ・コルヴィッツは、ドイツで戦争と革命の世紀を生きた画家であった。彼女が生まれた一八六七年は、日本では大政奉還・明治維新の年である。ドイツ帝国の誕生(一八七一年)、第一次世界大戦(一九一四~一八年)、ヴァイ マル共和国成立(一九一九年)、ドイツ革命の敗北(一九一九年)、ナチスに よるファシズム支配と戦争の時代(一九三三~四五年)を彼女は生き、戦争が 終結する直前に亡くなった。
彼女は、版画を中心にして、素描、彫刻の分野で五〇年以上にわたる活動を続 けた。その生涯に創造した版画作品は二七五点、そのほかに多数の素描や下絵、そして色彩の施された作品と十数点の彫刻がある。その数は、多いとはい えないかもしれない。だが彼女にとって、生きることは、作品を創造すること であった。どのように困難なときでも、彼女はけっして絵画や彫刻から離れなかった。彼女の祖父は言った--「才能は、同時に使命である」と。
ケーテ・コルヴィッツは思索する芸術家であった。創造の過程で彼女は思考を 深めていく。作品を完成させるまで何年も、何十年もかけるのは、稀ではなか った。その長い時間のなかで、彼女は、たえず作品をそのときの現在の光のな かで検証した。少女時代から晩年に至るまで一〇〇点あまりにのぼる自画像 は、彼女が自己を凝視するなかから創作する作家であった証でもある。
ケーテ・コルヴィッツは文章を書く人でもあった。自画像を描くだけでなく、文章でも自分を語っている。本を読み、日記を書き、絶えず自分をみつめた。少女時代は『回想』(一九二三年)に、画学生の時代をへて版画家として四〇 歳になるまでは『若いころの思い出』(一九四一年)にまとめられている。一 九〇八年から書きはじめた日記は、十冊、一五〇〇ページにのぼり、率直で飾 り気なく、また自己に対して容赦ない批判の刃を向けている。それは、個人的 日録にとどまることなく、作業日誌的要素も持ちあわせていて、彼女の作品をみるときの補助線となってくれる。
ケーテ・コルヴィッツが没して六〇年。いまなお世界各地で戦禍は絶えない。 戦争による死者はなくならない。飢えもなくならない。世界六〇億の人びとのうち、八億人以上の人びとが飢餓状態にある。彼女が版画や彫刻で描いた現実 は変わっていない。イラクで戦死したアメリカ兵の母親の悲しみは、九十数年 前のケーテのそれと同じである。戦場でわが子をさがす母親も、戦争のために 寡婦となった妊婦も数知れない。「平和主義」――それは彼女が死を前にした ときの言葉である。ケーテ・コルヴィッツの作品は、いまも平和を考えるため の手がかりになるとわたしは確信している。
ケーテ・コルヴィッツの仕事は、彼女が生きた時代ときりはなして考えること はできない。彼女自身が書き残した日記・回想・手紙をてがかりに、激動の時 代とかかわりつづけてきた彼女の足跡をたどり、ケーテ・コルヴィッツの生涯 をいまからわたしなりに綴ってみたい。作品を時代のなかに位置づけ、言葉で ケーテ・コルヴィッツの肖像を描いてみようと思う。
■目 次
1 画家をめざして――自由の風
「自由教団」の影響 ケーニヒスベルクの風にふかれて 画家をめざして 女子美術学校へ 婚約、そしてミュンヘン 習作〈ジェルミナール〉
2 『織工たちの蜂起』――連なっていく記憶
カールとの結婚 ハウプトマン『織工たち』の衝撃 家庭と創作活動の両 立 連作版画『織工たちの蜂起』 「社会派」芸術家と呼ばれて 〈あま たの血を流すものたち、おお民衆よ〉 もうひとつの機織労働の記憶――ゴ ッホ マルクス、ハイネ、フライリヒラート、ハウプトマン
3 『農民戦争』――主題と技法の追求
ベルリン分離派への参加 『農民戦争』の制作 一九〇四年--「パリは わたしを魅了した」 ロダン訪問 一九〇七年--イタリア滞在 農民戦 争の時代の画家たち
4 貧しい人びとの素描――表現主義運動の渦中で
『ジンプリチシムス』での仕事 生活と創作の苦悩 表現主義運動の高揚 〈三月の墓地〉
5 ペーターの戦死――一九一四年十月
戦争への熱狂 「私の仕事」--記念碑の制作 デーメル批判
6 カール・リープクネヒト追憶像――悲しみの転換
初の芸術アカデミー女性会員に 〈カール・リープクネヒト追憶像〉制作へ バルラハ木版画の衝撃
7 ポスターの制作――「人民の代弁者」
混迷する時代のなかで 「反革命が動きだした」 「この時代のなかで人び とに働きかけたい」 インフレの進行と飢餓 二度と戦争をするな!
8 木版画連作『戦争』――「苦しみは真暗闇だ」
長い歳月を込めて 生命を宿すもの ロマン・ロランへの手紙
9 国境を越えて――スメドレーと魯迅
スメドレーとの友情 魯迅『ケーテ・コルヴィッツ版画選集』出版
10 記念碑〈父と母〉の像――平和の希求
『プロレタリアート』 ペーターの墓地へ 革命十周年のモスクワ 記 念碑の完成 墓地への設置 記念碑の変転
11 最後の連作『死』――ナチス支配の時代
兄コンラートの死 ナチス支配の時代 三人展--ナーゲル、ツィレ、コ ルヴィッツ レリーフ〈御手に抱かれ安らかに憩いたまえ〉 最後の連作 『死』 ゲシュタポの尋問
12 種を粉に挽いてはならない――孤独と希望と
彫刻に没頭 〈ピエタ〉 ケーテの〈嘆き〉とバルラハの〈漂う天使〉 〈たがいに握りあう手〉 夫カールの死と〈別れ〉 〈種を粉に挽いて はならない〉 孫ペーターの戦死 平和主義の思想
●エピローグ 励まし――日本の人びとに
一九二八年--千田是也「ケエテ・コルヰッツ」
一九三六年--中野重治 と『ケーテ・コルヴィッツ版画選集』
一九四一年--宮本百合子「ケーテ ・コルヴィッツの画業」
一九五三年――鈴木東民『ケーテ・コルヴィッツ の日記 種子を粉にひくな』
あとがきにかえて--自画像のことなど