●福田三津夫様
ドキュメンタリー映画「NAGASHIMA〜”かくり”の証言」製作にあたりましては、福田様ご夫妻からの協賛金をいただきましたにもかかわらず、映画完成のお知らせと御礼が遅くなってしまっていて失礼をしています。
秋の農作業の忙しさやその後の学習田の手伝いやプレーパーク開催など次々と行事があったものですから、きちっとご報告が出来ていなかったといまごろ思い、たいへん遅ればせながら添付の報告を作成しました。
北の国では雪の便りが聞かれる季節となりました。師走のお忙しいなか、お身体ご自愛ください。
矢部 顕
友人のみなさまへ
遂に完成! ドキュメンタリー映画
「NAGASHIMA~“かくり”の証言~」
「NAGASHIMA~“かくり”の証言~」製作実行委員会
矢部 顕
●映画冒頭のシーン
濃い青色の未明の海と崩れ落ちた患者収容桟橋
<ナレーション>
波ひとつありません。
浮かんでいると本土まで運んでくれそうな海なのですが、凪いでいても隔ての海です。
今まで誰にも話さなかった。この桟橋から、島にあげられたときのことを。
顔を出さなかった、家族に迷惑がかかるから。
でも、もう時間が残っていません。
あなたにだけは知っていてほしい。
あなたに真実を託します。
* * *
●ドキュメンタリー映画の完成
この度は友人のみなさまから、ドキュメンタリー映画製作にたくさんの協賛金をいただきましたことにあらためて感謝申し上げます。
おかげさまで、ドキュメンタリー「NAGASHIMA~“かくり”の証言~」が遂に完成しました。30人の入所者の証言を集めて、愛生園の四季と織り交ぜた構成になっています。証言に加えて、コロナ禍のさなかではありましたが、菊池恵風園と草津の重監房資料館を取材して、新たな歴史的事実の発見もありました。
上映時間は1時間50分です。
現在は、日本におけるハンセン病の1000年を超す長い歴史(光明皇后の時代から? そういえば光明皇后がハンセン病患者を洗ってあげたといわれる浴室<からぶろ>の建物がある奈良の法華寺に宮崎さんを案内したことを思い出します)の最後の最後の局面です。最後の証言集となることでしょう。みなさん高齢で、証言できる人の最後です。今後はもう不可能でしょう。(証言していただいた方のうちで7名の方はすでにお亡くなりになっています)。
今回、証言の記録が可能になったのは、宮崎賢さんという報道カメラマンなくしては語れません。カメラに顔を向けて語ることは、ハンセン病病歴者にとっては今までに無いことですが、それが可能になったのは証言者の宮崎さんに対する長年のお付き合いの中で生まれた信頼にほかなりません。証言者のことばの奥に長年築いてきた信頼関係を読み取ることが出来ます。40年間にわたっての150を超えるニュース特集の取材、13のドキュメンタリー番組の制作という実績だけでなく、宮崎さんのご人徳があってこそ実現できたことと思います。
●あらためて、撮影・取材・編集・構成担当の
宮崎賢氏を紹介します
宮崎賢さんは、ハンセン病問題に関する取材歴は40年に及び、その間、岡山県の長島愛生園・邑久光明園をはじめ10か所の国立ハンセン病療養所や、「らい菌」の発見者であるアルマウエル・ハンセン医師が生まれたノルウェーのベルゲンやインドを訪れ、内外のハンセン病政策や現状を取材してきました。
これまでにハンセン病ドキュメンタリー13番組、TBS 報道特集、筑紫哲也のニュース23などで全国に発信。ニュース特集は150本を数えます。
この間、1983年「地方の時代」映像祭で大賞2014放送グランプリ特別賞。第43回放送文化基金賞・個人賞。民間放送連盟賞優秀賞4度受賞。2019年報道活動部門(ハンセン病)でギャラクシー大賞などの放送賞多数受賞。
2021年10月15日、日本弁護士連合会人権擁護大会(於:岡山)の特別企画でこのドキュメンタリー映画の上映会がありました。上映に先立って、宮崎さんの挨拶がありましたので以下に紹介します。
●ハンセン病ドキュメンタリー映画「NAGASHIMA~“かくり”の証言」製作意図
宮崎 賢
「偏見・差別は見えへんけど怖いよ」「ひらかなで“かくり”と書いて背中に貼って歩いてきた人生でした」。長島愛生園に強制隔離されたハンセン病病歴者の証言です。
国の誤った強制隔離政策で、ハンセン病患者を終生強制隔離する「らい予防法」が89年間にわたり存在し、その法律の下で、患者と、その家族は深刻な人生被害を受けました。
国や自治体が戦前戦後、行なった「無らい県運動」は官民一体となってハンセン病患者を地域から、排除し私たち市民も関わり加担。差別や偏見を増幅して行きました。「無らい県運動」で多くのハンセン病患者は故郷を追われ、親子と家族が引き裂かれ、心に深い傷を負った悲しい歴史があります。
長島愛生園では、患者の強制労働や、断種・中絶が強いられ人間扱いされない非人道的な行為が行なわれました。療養所とは名ばかりの収容所でした。昭和16年から昭和20年末までに、1077名が死亡し昭和20年には一年間で332名が栄養失調と重労働で無念のうちに亡くなっていきました。島の納骨堂には死んでもなお故郷に帰れない約3700柱が眠っています。「煙になってはじめて故郷に帰れる」と入所者は証言します。
1996年に「らい予防法」が廃止されてから25年。ハンセン病元患者が熊本地裁に「らい予防法」は憲法違反と国を提訴した「ハンセン病国賠訴訟」で勝訴してから20年が経ちました。
今、ハンセン病国賠訴訟やハンセン病家族訴訟を通じて、国や自治体が行なってきた人権教育や啓発の在り方が、問われています。新型コロナウイルスの感染症患者や家族、医療従事者も、いわれなき差別や誹謗中傷に傷ついています。
ハンセン病で差別され人権を侵害された人たちの教訓を学び改めて人権とは何か、人間の尊厳とはなにかを問い直し、「隔離の記憶」を映像で後世に伝えたいと映画を企画しました。
全国の国立ハンセン病療養所の入所者は今年9月で約970人。平均年齢は90歳に近づいており、証言を聞く機会も終盤になろうとしています。長年交流して来た長島の人たちが、苦難の人生を「若い世代に伝えて欲しい」とカメラの前で語ってくれました。
映画は差別の中、打ちのめされても “力強く尊く”前を向いて歩いてきたハンセン病病歴者の映像証言で構成しました。
映像は時には物を言う。将来映画が心に響き、時を越えても伝わる事を願います。
「人権は侵しても侵されてもいけない」。人間として人間らしく生きられなかったハンセン病病歴者からのメッセージです。
●上映会の感想
日本弁護士連合会人権擁護大会の特別企画での上映会(於:岡山市民会館)は、一般市民にも呼びかけがあり、平日ではありましたが熱心な方々の上映会参加がありました。多くの皆さんから上映後の感想が寄せられましたので紹介します。
◆Aさん(元大学教授)
「国の間違った施策と、『無らい県運動』に加担し、ハンセン病への差別や偏見を増幅させてしまった市民(私たち)の罪。映画は重く悲しい歴史を描きながら、島の美しい自然やそこに生息する鳥や動物(狸・鹿)も描かれ気持ちが和みます。ご存命中親しく交わらせていただいた方々のお姿も編集されていて、懐かしさに胸がいっぱいになりました。
後半では故郷に里帰りして小学生たちと交流される川北さんご夫婦のうれし涙や、大学生・高校生たちの訪問を喜ばれる入所者さんのエアー握手に私も思わずもらい泣き。エンドロールで沢 知恵さんの歌が流れて、さらに涙腺が決壊。
素晴らしい作品に仕上がっていました。これからこの映画が国内・国外に広がりたくさんの人に観ていただけますよう」
◆Bさん(兵庫県から)
「長島愛生園の入所者を中心に、療養所入所者の証言で国のハンセン病患者にたいする『絶対隔離絶滅政策』を告発。人権がないがしろにされていた実態とともに、人権を守る闘いに立ち上がった入所者の姿や、夏祭りなど地域住民との交流も生き生きと描かれています。
新たに発見された資料もあり、貴重な記録映画です。
特に印象に残ったのが、隔離政策を主導、不妊手術を導入した光田健輔医師に対する批判と『戦争はしてはならない』というメッセージです」
◆Cさん(元アナウンサー)
「“かくり”の証言を拝見しました。感動して涙が溢れました。長年築いてこられた信頼関係があってこそのインタビューだと思いました。そして宮崎さんのご経験やご人徳の賜物だと思います。
かくりの証言から様々なことを学ばせていただきました」
◆Dさん(岡山県から)
「いい映画でした。後半で泣きました。観る人の心に届く作品です。 何より、これだけの入所者の証言を残せたのは貴重です。ありがとうございました。携われて光栄です」
◆Eさん(フリーアナウンサー、東京)
「すばらしい作品を見せていただきましたこと心より感謝いたします。元患者の証言ひとつひとつが胸に迫りました。ことに「隔離」「差別」という言葉への思いに、コロナ禍の今この作品が世に出ることの意義を感じました。
また高校の部活に「ヒューマンライツ部」があるということに大きな希望を感じました。ぜひ若い人たちに見てもらいたい。私の番組でも取り上げていただきます。
取材と制作の労に感服いたします」
◆Fさん(元放送局ディレクター)
「後世に伝える映画だと思った。完成度が高い。 映画に引き込まれ、作品が長く感じなかった」
◆Gさん(会社員)
「高校生がハンセン病問題を学習し未来に伝える活動をしていることに感動した。作品は長く感じなかった。いい映画でした」
◆Hさん(ハンセン病ボランティア)
「いい映画で感動しました。特にラストシーンは素晴らしかったです。この作品を全国の人に観てもらいたいと思った。ご苦労様でした」
◆この他、上映終了後ロビーで弁護士さんから「いい作品でした。感動しました」「素晴らしい作品でした。よくここまで作られましたね」などの声を掛けていただきました。
今、東京・香川・鳥取・岡山・愛媛・静岡・兵庫県などから上映の依頼があります。
これから、ゆっくり伝えていきたいと思います。 宮崎 賢
* * *
●今後に向けて
コロナ禍が落ち着かないと開催が難しいと思いますが、今後は全国各地で自主上映会を開催していただける方やグループを募っています。
ゆっくりと、すこしづつ、あちこちで、上映会が開催されていくことを願っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ご協力ありがとうございました。
ドキュメンタリー映画「NAGASHIMA〜”かくり”の証言」製作にあたりましては、福田様ご夫妻からの協賛金をいただきましたにもかかわらず、映画完成のお知らせと御礼が遅くなってしまっていて失礼をしています。
秋の農作業の忙しさやその後の学習田の手伝いやプレーパーク開催など次々と行事があったものですから、きちっとご報告が出来ていなかったといまごろ思い、たいへん遅ればせながら添付の報告を作成しました。
北の国では雪の便りが聞かれる季節となりました。師走のお忙しいなか、お身体ご自愛ください。
矢部 顕
友人のみなさまへ
遂に完成! ドキュメンタリー映画
「NAGASHIMA~“かくり”の証言~」
「NAGASHIMA~“かくり”の証言~」製作実行委員会
矢部 顕
●映画冒頭のシーン
濃い青色の未明の海と崩れ落ちた患者収容桟橋
<ナレーション>
波ひとつありません。
浮かんでいると本土まで運んでくれそうな海なのですが、凪いでいても隔ての海です。
今まで誰にも話さなかった。この桟橋から、島にあげられたときのことを。
顔を出さなかった、家族に迷惑がかかるから。
でも、もう時間が残っていません。
あなたにだけは知っていてほしい。
あなたに真実を託します。
* * *
●ドキュメンタリー映画の完成
この度は友人のみなさまから、ドキュメンタリー映画製作にたくさんの協賛金をいただきましたことにあらためて感謝申し上げます。
おかげさまで、ドキュメンタリー「NAGASHIMA~“かくり”の証言~」が遂に完成しました。30人の入所者の証言を集めて、愛生園の四季と織り交ぜた構成になっています。証言に加えて、コロナ禍のさなかではありましたが、菊池恵風園と草津の重監房資料館を取材して、新たな歴史的事実の発見もありました。
上映時間は1時間50分です。
現在は、日本におけるハンセン病の1000年を超す長い歴史(光明皇后の時代から? そういえば光明皇后がハンセン病患者を洗ってあげたといわれる浴室<からぶろ>の建物がある奈良の法華寺に宮崎さんを案内したことを思い出します)の最後の最後の局面です。最後の証言集となることでしょう。みなさん高齢で、証言できる人の最後です。今後はもう不可能でしょう。(証言していただいた方のうちで7名の方はすでにお亡くなりになっています)。
今回、証言の記録が可能になったのは、宮崎賢さんという報道カメラマンなくしては語れません。カメラに顔を向けて語ることは、ハンセン病病歴者にとっては今までに無いことですが、それが可能になったのは証言者の宮崎さんに対する長年のお付き合いの中で生まれた信頼にほかなりません。証言者のことばの奥に長年築いてきた信頼関係を読み取ることが出来ます。40年間にわたっての150を超えるニュース特集の取材、13のドキュメンタリー番組の制作という実績だけでなく、宮崎さんのご人徳があってこそ実現できたことと思います。
●あらためて、撮影・取材・編集・構成担当の
宮崎賢氏を紹介します
宮崎賢さんは、ハンセン病問題に関する取材歴は40年に及び、その間、岡山県の長島愛生園・邑久光明園をはじめ10か所の国立ハンセン病療養所や、「らい菌」の発見者であるアルマウエル・ハンセン医師が生まれたノルウェーのベルゲンやインドを訪れ、内外のハンセン病政策や現状を取材してきました。
これまでにハンセン病ドキュメンタリー13番組、TBS 報道特集、筑紫哲也のニュース23などで全国に発信。ニュース特集は150本を数えます。
この間、1983年「地方の時代」映像祭で大賞2014放送グランプリ特別賞。第43回放送文化基金賞・個人賞。民間放送連盟賞優秀賞4度受賞。2019年報道活動部門(ハンセン病)でギャラクシー大賞などの放送賞多数受賞。
2021年10月15日、日本弁護士連合会人権擁護大会(於:岡山)の特別企画でこのドキュメンタリー映画の上映会がありました。上映に先立って、宮崎さんの挨拶がありましたので以下に紹介します。
●ハンセン病ドキュメンタリー映画「NAGASHIMA~“かくり”の証言」製作意図
宮崎 賢
「偏見・差別は見えへんけど怖いよ」「ひらかなで“かくり”と書いて背中に貼って歩いてきた人生でした」。長島愛生園に強制隔離されたハンセン病病歴者の証言です。
国の誤った強制隔離政策で、ハンセン病患者を終生強制隔離する「らい予防法」が89年間にわたり存在し、その法律の下で、患者と、その家族は深刻な人生被害を受けました。
国や自治体が戦前戦後、行なった「無らい県運動」は官民一体となってハンセン病患者を地域から、排除し私たち市民も関わり加担。差別や偏見を増幅して行きました。「無らい県運動」で多くのハンセン病患者は故郷を追われ、親子と家族が引き裂かれ、心に深い傷を負った悲しい歴史があります。
長島愛生園では、患者の強制労働や、断種・中絶が強いられ人間扱いされない非人道的な行為が行なわれました。療養所とは名ばかりの収容所でした。昭和16年から昭和20年末までに、1077名が死亡し昭和20年には一年間で332名が栄養失調と重労働で無念のうちに亡くなっていきました。島の納骨堂には死んでもなお故郷に帰れない約3700柱が眠っています。「煙になってはじめて故郷に帰れる」と入所者は証言します。
1996年に「らい予防法」が廃止されてから25年。ハンセン病元患者が熊本地裁に「らい予防法」は憲法違反と国を提訴した「ハンセン病国賠訴訟」で勝訴してから20年が経ちました。
今、ハンセン病国賠訴訟やハンセン病家族訴訟を通じて、国や自治体が行なってきた人権教育や啓発の在り方が、問われています。新型コロナウイルスの感染症患者や家族、医療従事者も、いわれなき差別や誹謗中傷に傷ついています。
ハンセン病で差別され人権を侵害された人たちの教訓を学び改めて人権とは何か、人間の尊厳とはなにかを問い直し、「隔離の記憶」を映像で後世に伝えたいと映画を企画しました。
全国の国立ハンセン病療養所の入所者は今年9月で約970人。平均年齢は90歳に近づいており、証言を聞く機会も終盤になろうとしています。長年交流して来た長島の人たちが、苦難の人生を「若い世代に伝えて欲しい」とカメラの前で語ってくれました。
映画は差別の中、打ちのめされても “力強く尊く”前を向いて歩いてきたハンセン病病歴者の映像証言で構成しました。
映像は時には物を言う。将来映画が心に響き、時を越えても伝わる事を願います。
「人権は侵しても侵されてもいけない」。人間として人間らしく生きられなかったハンセン病病歴者からのメッセージです。
●上映会の感想
日本弁護士連合会人権擁護大会の特別企画での上映会(於:岡山市民会館)は、一般市民にも呼びかけがあり、平日ではありましたが熱心な方々の上映会参加がありました。多くの皆さんから上映後の感想が寄せられましたので紹介します。
◆Aさん(元大学教授)
「国の間違った施策と、『無らい県運動』に加担し、ハンセン病への差別や偏見を増幅させてしまった市民(私たち)の罪。映画は重く悲しい歴史を描きながら、島の美しい自然やそこに生息する鳥や動物(狸・鹿)も描かれ気持ちが和みます。ご存命中親しく交わらせていただいた方々のお姿も編集されていて、懐かしさに胸がいっぱいになりました。
後半では故郷に里帰りして小学生たちと交流される川北さんご夫婦のうれし涙や、大学生・高校生たちの訪問を喜ばれる入所者さんのエアー握手に私も思わずもらい泣き。エンドロールで沢 知恵さんの歌が流れて、さらに涙腺が決壊。
素晴らしい作品に仕上がっていました。これからこの映画が国内・国外に広がりたくさんの人に観ていただけますよう」
◆Bさん(兵庫県から)
「長島愛生園の入所者を中心に、療養所入所者の証言で国のハンセン病患者にたいする『絶対隔離絶滅政策』を告発。人権がないがしろにされていた実態とともに、人権を守る闘いに立ち上がった入所者の姿や、夏祭りなど地域住民との交流も生き生きと描かれています。
新たに発見された資料もあり、貴重な記録映画です。
特に印象に残ったのが、隔離政策を主導、不妊手術を導入した光田健輔医師に対する批判と『戦争はしてはならない』というメッセージです」
◆Cさん(元アナウンサー)
「“かくり”の証言を拝見しました。感動して涙が溢れました。長年築いてこられた信頼関係があってこそのインタビューだと思いました。そして宮崎さんのご経験やご人徳の賜物だと思います。
かくりの証言から様々なことを学ばせていただきました」
◆Dさん(岡山県から)
「いい映画でした。後半で泣きました。観る人の心に届く作品です。 何より、これだけの入所者の証言を残せたのは貴重です。ありがとうございました。携われて光栄です」
◆Eさん(フリーアナウンサー、東京)
「すばらしい作品を見せていただきましたこと心より感謝いたします。元患者の証言ひとつひとつが胸に迫りました。ことに「隔離」「差別」という言葉への思いに、コロナ禍の今この作品が世に出ることの意義を感じました。
また高校の部活に「ヒューマンライツ部」があるということに大きな希望を感じました。ぜひ若い人たちに見てもらいたい。私の番組でも取り上げていただきます。
取材と制作の労に感服いたします」
◆Fさん(元放送局ディレクター)
「後世に伝える映画だと思った。完成度が高い。 映画に引き込まれ、作品が長く感じなかった」
◆Gさん(会社員)
「高校生がハンセン病問題を学習し未来に伝える活動をしていることに感動した。作品は長く感じなかった。いい映画でした」
◆Hさん(ハンセン病ボランティア)
「いい映画で感動しました。特にラストシーンは素晴らしかったです。この作品を全国の人に観てもらいたいと思った。ご苦労様でした」
◆この他、上映終了後ロビーで弁護士さんから「いい作品でした。感動しました」「素晴らしい作品でした。よくここまで作られましたね」などの声を掛けていただきました。
今、東京・香川・鳥取・岡山・愛媛・静岡・兵庫県などから上映の依頼があります。
これから、ゆっくり伝えていきたいと思います。 宮崎 賢
* * *
●今後に向けて
コロナ禍が落ち着かないと開催が難しいと思いますが、今後は全国各地で自主上映会を開催していただける方やグループを募っています。
ゆっくりと、すこしづつ、あちこちで、上映会が開催されていくことを願っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ご協力ありがとうございました。