アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

333 アチャコの京都観光日誌 逆順の天皇史 95代 花園天皇 妙心寺創建の天皇

2018-04-06 08:14:53 | 日記

逆順でたどる平安京の天皇たち

95代 花園天皇 父や兄に翻弄された天皇

先帝

後二条天皇

次帝

後醍醐天皇(南朝)光厳天皇(北朝)

生年~崩御

1297年 8月14日~1348年12月2日

在位

1308年12月28日~1318年3月29日

在位中年号

延慶・応長・正和・文保

御所

? 上皇になって萩原殿へ

御陵

十楽院上陵

父・母

父 伏見天皇 母 洞院季子


花園天皇真影

花園天皇は、自ら親政を行えた時期はない。即位時は、父の伏見上皇の院政、後半は、兄の後伏見上皇の院政だった。そして盟約通り持明院統の花園天皇は、大覚寺統の後醍醐天皇に譲位する。その後の混乱は今まで書いた。

持明院統の天皇に戻れば自ら院政の希望もあった。因みに後醍醐より9歳若い花園上皇であったからだ。しかし戦乱の世に突入し政治の手腕を振るう事は叶わなかった。それでも甥の光厳天皇を熱心に教育したらしい。

しかし、この天皇の大きな功績は二つある。仏教への関心が深く、特に禅宗に帰依し宗峰妙超や関山慧玄のもと現在の妙心寺を創建した。算盤面と言われる経営上手な妙心寺は、広大な勢力を誇る臨済宗の大本山になる。その礎をつくった天皇だ。また、自らの日記「花園院宸記」全7巻を残している。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての貴重な一次資料となっている。

異属蜂起の相次ぐ世情にあって、ひたすら自重し、文化的・宗教的活動に終始し高いレベルに達したとどの資料にも伝わる。世が世なら聖徳ある天皇として評価されたはずだった。

なお、「神皇正統記」では、『実父伏見天皇の崩御の時も喪に服さず、これは前例のない事。』と、こき下ろしている。南朝方親房公によって不当におとしめられている。

52歳まで宝寿を全うしたが、南北朝の統一は見れなかった。

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番外 日本の伝統とモラル  (男は住みにくい)

2018-04-06 07:59:08 | 日記

大相撲の話題が尽きない。土俵上で倒れた舞鶴市長を介抱した女性に、土俵から降りるようにアナウンスしてしまったらしい。

二階のアナウンス室からは事情が分からず、野次馬が上がっていると勘違いして、仕来たり通りアナウンスしたようだ。

「土俵 女性禁止」の画像検索結果

あれっ?だったら女性にではなく、皆さんにアナウンスすべきではないか?

協会も正式にお詫びした上に、当該女性たちに感謝に意を表明した。

残念なのは、これでまた、土俵の女人禁制が、テレビが一斉に批判し、「それはおかしい!」とやかましい事だ。

女性専用車に男性が乗ったら大騒ぎするご婦人たちが!今度は女性差別だと主張するのだ。

「土俵 女性禁止」の画像検索結果

救命行為は別として、伝統的仕来たりは、その主宰団体に任せるべきだ。他人の家庭の仕来たりをとやかく言うべきではない。世間の常識とは違うチョンマゲを結っている集団に、非常識だと騒ぐではない。そんな頑なな伝統があって良いではないか。

貴女には関係無いですよ!

ここまで来た!男性の危機。

世の男性は、このような女性たちの過剰・過激な論調にもううんざりなのだ。

一部の不埒な男の仕業であり、一方常識的な冷静な女性もいらっしゃる。

もう、企業ではスムーズなコミュニケーションは望めなくなっているのだ。正当な指導もハラスメントになるし、ちょっとした親切はいつセクハラに認定されるか分からないのだ。企業に入っても家庭でのしつけが十分ではない女性も多いが、その様な女性ほどハラスメントに過剰になる傾向がある。確かに家庭で厳しく指導を受けた方は、企業でも厳しさに順応性がある。

企業ホットラインも「タレコミ」の氾濫で人事は疲れている。もういい加減にしてくれ・・・・・。


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