アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

351 あちゃこの京都観光手帳  逆にたどる平安京の天皇 81代 安徳天皇 最も気の毒な天皇

2018-04-28 08:27:47 | 日記

81代 安徳天皇 涙なしには語れない。

元号 治承
養和
寿永
元暦
先代 高倉天皇
次代 後鳥羽天皇

誕生 1178年12月22日
崩御 1185年4月25日
壇ノ浦
陵所 阿彌陀寺陵
言仁
別称 水天皇大神
父親 高倉天皇
母親 平徳子
皇居 大内裏福原宮


筆者は歴史上もっとも不幸な天皇と認定する。平家物語は筆者のバイブルだ。吉川英治の新平家物語から始まり、あらゆる平家物語を読んできたが、作者や翻訳者の感情が最も入るのが「屋島・壇ノ浦」である。その中でも安徳天皇の入水場面は名文が登場する。文学者の腕の見せ所だ。そして筆者は必ず泣く。「安徳」という最大限の諡号を贈られた天皇はどんな思いだったか?安(安らかな)徳(徳を備えた)天皇だ。ご本人は悲しいかな生まれたと同時に皇太子になり、2歳で即位。ご自身の意志どころか記憶にも残っていなかったと想像する。

母、徳子。

野山を駆けて遊んだこともなく。恋愛も結婚も無論女性も知らず。当然、政治の何たるかも知らず、平清盛その人に存在そのものを支配された短い、本当に短い一生だった。

Taira no Kiyomori,TenshiSekkanMiei.jpg祖父 清盛。

平家滅亡時の天皇は、平家の滅亡と共に瀬戸の海に入水した。

その悲劇の場面を再現する。天皇が移動中、一時的に御在所とするところを「行宮」という。一の谷・屋島を経て今は、壇ノ浦の海上「御座船」が行宮である。祖母二位尼(平時子)に抱きかかえられ最期を迎えていた。6歳になっていた天皇は、「どこに連れられるのか」と、問う。「君は前世の修行によって天子としてお生まれになられましたが、悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました。この世は辛く厭わしいところですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです」と、言い聞かし、涙ながらに、船上にて、伊勢神宮に向けて遥拝し、そして西方浄土の方に手を合わせ、二位尼が最後に「波の下にも都のそろう。」(波の下にも都がございます。)と、海に飛び込む。

「壇ノ浦」の画像検索結果

歴史上ただ一人入水自殺さされた天皇である。

母の建礼門院は、長い髪の毛を源氏の兵に引っ掛けられ救われた。その後「大原御幸」により、後白河法皇に再開する。

また、安徳天皇は、平安京時代における唯一の遷都の詔を発した天皇だ。平城京~平安京そして東京へと都が遷る訳だが、この時一時福原京(神戸)に遷都している。勿論、清盛の政治的判断だが、後白河上皇も三種の神器と共に移っているので、立派な遷都である。

また、京の都を放棄した時に、後鳥羽天皇がすぐ即位しているので、平家滅亡による安徳入水までの2年間は、天皇が2名存在する異常な事態でもあった。


次も平家に翻弄された高倉天皇へ

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