逆順でたどる平安京の天皇たち
89代 後深草天皇 4歳で即位
即位礼 |
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大嘗祭 |
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元号 |
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追号 |
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鷹司兼平 |
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先代 |
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次代 |
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誕生 |
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崩御 |
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大喪儀 |
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陵所 |
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諱 |
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別称 |
常磐井殿、富小路殿 |
元服 |
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父親 |
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母親 |
西園寺姞子(大宮院) |
中宮 |
西園寺公子(東二条院) |
子女 |
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皇居 |
冷泉富小路殿 |
改めて皇位継承をご覧いただくことにする。
① 後嵯峨天皇
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(持明院統) (大覚寺統)
②後深草天皇 ③亀山天皇
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⑤伏見天皇 ④後宇多天皇
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⑥後伏見天皇 ⑦後二条天皇
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⑧花園天皇 ⑨後醍醐天皇(南朝第1代)正式皇統
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⑩光厳天皇(北朝第1代)
諸悪の根源?は、後嵯峨天皇である。今回の後深草天皇には何の罪もない。4歳で即位し17歳で上皇になった。天皇在位中は、完全に後嵯峨上皇の院政である。特に自らの意志で残した功績はない。書くべき事項は、二つだけ。
まず、3代後の伏見天皇の時に、やっと自らの院政を行い、「治天の君」の地位を得る。その皇太子、鎌倉将軍とすべて自分の系統(持明院統)にすることが出来た。しかし、わずか2年で出家している。
あとは、膨大な荘園を相続した事だ。後白河上皇の皇女、宣陽門院が相続した「長講堂荘園」のほぼすべてを、父後嵯峨から相続した。後嵯峨は、皇位という権力は、弟亀山天皇優位に相続したが、経済的には兄後深草天皇に譲っている。その後の持明院統の経済的基盤がここにある。
なお、後深草天皇は、仁明天皇の異名深草天皇に由来している。勿論、仁明天皇の父は嵯峨天皇だ。いずれも御陵が深草にある。また、後深草は、「ごふこうさ」と読める。「御不幸さ」と同音なので、「後(のち)のふこうさ」と読むのが通例だ。昔の人は、「意味の異なる同音」を物凄く意識していた。
次回は、いよいよ後嵯峨天皇。これで南北朝時代まで続く2系列対立の時代を書き終えれる。(汗)