アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

341 アチャコの京都観光日誌 逆順の天皇史 89代 後深草天皇 のちのふこうさ?

2018-04-16 10:02:25 | 日記


逆順でたどる平安京の天皇たち

89代 後深草天皇 4歳で即位

在位期間
1246年2月16日 - 1260年1月9日
寛元4年1月29日 - 正元元年11月26日

即位礼

寛元4年3月11日1246年3月29日

大嘗祭

寛元4年11月24日1247年1月2日

元号

寛元
宝治
康元
正嘉
正元

追号

後深草院
嘉元2年7月17日1304年8月18日)追号勅定

摂政

一条実経近衛兼経鷹司兼平

関白

鷹司兼平

先代

後嵯峨天皇

次代

亀山天皇


誕生

寛元元年6月10日1243年6月28日
今出川殿

崩御

嘉元2年7月16日1304年8月17日
二条富小路殿

大喪儀

嘉元2年7月17日(1304年8月18日

陵所

深草北陵

久仁(ひさひと)
寛元元年6月28日(1243年7月16日)命名

別称

常磐井殿、富小路殿

元服

建長5年1月3日1253年2月2日

父親

後嵯峨天皇

母親

西園寺姞子(大宮院)

中宮

西園寺公子(東二条院)

子女

伏見天皇
久明親王
ほか(后妃・皇子女節参照)

皇居

冷泉富小路殿
閑院
冷泉万里小路殿

 


改めて皇位継承をご覧いただくことにする。


①   後嵯峨天皇

  | 

(持明院統) (大覚寺統)

 ②後深草天皇  ③亀山天皇

   |      |

 ⑤伏見天皇   ④後宇多天皇

   |      |

 ⑥後伏見天皇  ⑦後二条天皇

   |      |

 ⑧花園天皇   ⑨後醍醐天皇(南朝第1代)正式皇統

   |

 ⑩光厳天皇(北朝第1代)

諸悪の根源?は、後嵯峨天皇である。今回の後深草天皇には何の罪もない。4歳で即位し17歳で上皇になった。天皇在位中は、完全に後嵯峨上皇の院政である。特に自らの意志で残した功績はない。書くべき事項は、二つだけ。

まず、3代後の伏見天皇の時に、やっと自らの院政を行い、「治天の君」の地位を得る。その皇太子、鎌倉将軍とすべて自分の系統(持明院統)にすることが出来た。しかし、わずか2年で出家している。

62歳という当時では長命だった

あとは、膨大な荘園を相続した事だ。後白河上皇の皇女、宣陽門院が相続した「長講堂荘園」のほぼすべてを、父後嵯峨から相続した。後嵯峨は、皇位という権力は、弟亀山天皇優位に相続したが、経済的には兄後深草天皇に譲っている。その後の持明院統の経済的基盤がここにある。

なお、後深草天皇は、仁明天皇の異名深草天皇に由来している。勿論、仁明天皇の父は嵯峨天皇だ。いずれも御陵が深草にある。また、後深草は、「ごふこうさ」と読める。「御不幸さ」と同音なので、「後(のち)のふこうさ」と読むのが通例だ。昔の人は、「意味の異なる同音」を物凄く意識していた。

次回は、いよいよ後嵯峨天皇。これで南北朝時代まで続く2系列対立の時代を書き終えれる。(汗)

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