逆順でたどる平安京の天皇たち
第85代 仲恭天皇 (廃帝)
御真影なし
先代 |
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次代 |
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誕生 |
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崩御 |
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陵所 |
九條陵 |
諱 |
懐成 |
父親 |
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母親 |
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子女 |
この天皇は誠に気の毒だ。別称が、九条廃帝、後廃帝、はたまた半帝。
先代の順徳天皇が、父後鳥羽上皇の倒幕の実行により急遽譲位した結果即位したのだ。即位したのかどうかも不確かだ。即位の礼も大嘗祭も行われた記録はない。当然、乱後、幕府の命により退位・譲位させられた。無論3歳の幼児ではすべてが自らの判断ではない。
ここまで摂関家の九条家がバックにいたが、倒幕の計画を西園寺公経が密告した事から、これより摂関家の外にあった(精華家)西園寺家の時代が来る。勿論すべて藤原氏の流れではあるが・・・。
承久の変を「神皇正統記」は、どう書いているか。後白河法皇の時代以降政権が乱れたが、源頼朝が戦乱の無い世の中に統一した。臣下ではあるが、頼朝の威光が天下を治めたのだと言い。その後頼朝の妻政子及び、北条家などの陪臣が政治を専横したが、倒幕はまだ神意に基づくものではなかったと言っている。つまり、後鳥羽院は世間(神意)を読み誤ったと断じている。一方、後醍醐天皇は、誠に思慮深く正統な天皇として、世の中を天皇親政に導いたと絶賛している。
仲恭天皇については、一行のみ。
『廃帝。懐成親王、順徳院の太子。御母は東一条院藤原立子で、故摂政太政大臣良経の娘。』
と、だけ書かれているのみ。
平家と共に、瀬戸の海に身を沈めた安徳天皇もそうだが、幼くして自分の判断ではなく政治にほんろうされた天皇だった。
ただし、お種は残しておられる。16歳で亡くなる直前おひとりだけ皇女を残している。
男子の証、生殖のお勤めは果たしていた。せめてもの救いだ。