アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

433 あちゃこの京都観光日誌 新シリーズ「今からでも行ける京都歳時記」 黄檗宗寺院二つ

2018-09-02 17:54:04 | 日記

 若冲所縁の黄檗宗寺院二つ

「若冲」の画像検索結果若冲

歳時記に関係ないが、海宝寺と石峰寺に行って来た。いずれも黄檗宗のお寺である。隠元隆埼が宇治の黄檗で創建した「禅宗」の一派である。仏教とはそもそもインド・中国渡来の宗教だが、黄檗宗は特に中国風が強い。本山萬福寺の住職は代々中国僧が勤めている。歴史が浅い事もあり黄檗宗寺院は少ない。因みに永平寺の曹洞宗寺院も少なく、京都の禅宗寺院のほとんどは建仁寺を総帥とする「臨済宗」である。

 上 石峰寺 下 海宝寺 のエントランス

さて海宝寺と石峰寺は、伊藤若冲所縁の寺院である。京都検定的には二つセットで覚える寺院である。幸いいずれの寺も伏見区の旧大和街道沿いに南北2キロ以内にある。

①まず石峰寺。

黄檗宗独特の山門をくぐると、狭い境内に鬱蒼と木々が茂る。見どころは、若冲の墓と「五百羅漢の石像」だ。受付などないが無断で入るのも憚れるので、たまたま眼があった女性に300円の拝観料を払う。パンフレットと「地元信用金庫のうちわ」を渡される。うちわはやぶ蚊が多く追い払う為に必需品らしい。その理由は数秒後に鮮烈に分かる。訪れる人の少ない寺の裏山にはここぞとばかり待ち受ける「やぶ蚊の集団」が襲うのだ。

お陰で、慌てて若冲の墓地を見逃す。

御本尊は釈迦如来立像。昭和の放火焼失以前は薬師如来だったらしい。本堂前は黄檗宗特有の黒い石畳に囲まれている。

この後、やぶ蚊でパニック状態に・・・。

晩年の10年をかけて1000体以上を作成したと言う。羅漢さんは仏ではなく修行中の聖人だ。表情豊かな石仏は一つも同じ表情はない。(撮影禁止となっていたので内緒に!)

見逃した若冲の墓石。

親切にも寺の女性がわざわざ案内してくれた。「斗米菴(とべいあん)」若冲は、ここで絵画一枚を米一斗に代えて生活していたという。

帰りに改めて礼を言うに行くと、蚊に刺された無残な私の足(こんな日に限って半ズボン)を見て、キンカンの大型瓶を差し出してくれた。

人情と薬が身に染みた。

②次は、海宝寺。

大丸百貨店の創始者下村氏の菩提寺でもあるが、伊藤若冲晩年の傑作「群鶏図」を書いた時、これを最後に若冲は絵を描かなくなった。従ってその部屋を「若冲筆投げの間」という。お聞きすると見学は出来ないとの事、また「群鶏図」も国立博物館に寄贈したとの事だ。誠に誠実そうな住職だった。次回は必ず「普茶料理」を予約して伺いますと、約束した。

「若冲群鶏図」の画像検索結果群鶏図

下村正啓氏ゆかりのお堂。また伊達政宗の邸宅跡でもある。

中国風の本堂。

正式には海宝禅寺。また黄檗宗独特の精進料理「普茶料理」を伝えるお寺でもある。

住職とやや歓談し詳しく説明いただく。昼食で一人5000円から、精進料理の割に高い?

「普茶料理」の画像検索結果普茶料理

いずれも唐風の匂いがぷんぷんするこじんまりした名刹だった。

 

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする