アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

579 アチャコの京都日誌 新シリーズ京都100寺巡礼 33番 宝積寺(宝寺)

2019-03-26 13:03:14 | 日記

33番 宝積寺

 

乙訓郡大山崎町大字大山崎字銭原1

山号  天王山

宗派  真言宗智山派

開基  行基・聖武天皇

本尊  十一面観音

別称  宝寺

 宝積寺12.jpg

ここから大山崎方面から西山地域を目指す。京都駅から15分ほどでJR大山崎駅に着く。駅前には、国宝の茶室がある「妙喜庵」の脇をすり抜けて、東海道線の踏切を渡る。阪神間の基幹鉄道だけに、複々線に貨物専用線路もあり50メーター近い長い踏切だ。足の弱いご老人は急いで渡る。踏切を渡ると、宝積寺の参道がすぐに始まる。山崎の合戦で有名な天王山の登山道にほぼ重なるので、ずっと登りが続く。一汗かいたころで、山門にたどり着く。

 奈良時代の創建で、開基は行基である。この辺りの土木工事に大きく貢献した高僧である。時の天皇である聖武天皇が、夢のお告げにより「打出」と「小槌」を賜り皇位についたと伝わる事から、「宝寺」と呼ばれる。重要文化財の「五重塔」通称「秀吉一夜造りの塔」が見たくて来た。また御本尊の十一面観音像など、寺宝が多い。

 

これが三重塔だが、逓減率の少ない美しい姿だ。逓減率とは、多重塔の屋根の幅が、構造上上になるほど小さくなるのが普通だが、その小さくなる度合いを、逓減率という。ほぼ同じ大きさで上層に至るので、存在感が大きく感じる。東寺の五重塔や、仁和寺の五重塔が美しいのは、下から上まで屋根の幅が余り変わらず、この逓減率が小さいからだ。秀吉は、この塔から天王山の戦いの状況を見ていたのだろうか。しかし、塔の創建は、1603年となっている。関ケ原の戦いが、1600年だから、それ以前に秀吉は亡くなっている。宝積寺の「秀吉一夜造りの塔」は、秀吉死後の創建だった。建てたのはどこの秀吉か。日本史上、秀吉と言えば豊臣秀吉以外に誰がいるのか。天王山のふもとにあるこの宝積寺の塔が、秀吉の功績に因み、そう呼んだ。それはそれでいい事か。京都や大阪の各地での、太閤伝説が嘘も真も含めて、色々根付いていることに思いをはせながら次に向かう。因みに、本堂の裏から、天王山山頂まではあとわずか、余裕のある方は山頂を目指すのも良い。また、周辺にはサントリー工場やごま油搾油発祥の地「離宮八幡」など見どころが多い。

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