18番 勧修寺
山科区勧修寺仁王堂町27-6
正式名 亀甲山 勧修寺
宗派 真言宗山階派
別称 山階門跡
本尊 千手観音
開基 醍醐天皇・承俊
東福寺塔頭では、重森三玲の庭のある寺では、傑作「波心の庭」で有名な光明院も見ておきたい。遂に東山区を一旦後にして、そこから南東に数キロ、地下鉄東西線の小野駅から5分ほどの勧修寺を目指す。名神高速道路の高架に接するように建っているのが残念だが、勿論、高速道路はあとから出来たのだが・・・。(笑)
「かんじゅじ」「かじゅうじ」「かんしゅうじ」と幾通りも読み方がある。創建は醍醐天皇だが、天皇生母の藤原胤子追善のお寺である。今昔物語集には以下の話が伝わっている。平安時代初期、藤原北家の高藤が鷹狩りに出かけた折りに、この辺りの豪族宮道弥益(みやじいやます)の邸宅に雨宿りの為に泊まり、その娘列子と一夜の契りを結ぶ。帰宅すると高藤の父は怒って鷹狩りに出る事を禁ずる。その後二人は音信不通であったが、6年後再会するとそこに6歳の女の子がいた。一夜の契りで宿った子であった。この娘が、宇多天皇の女御となり醍醐天皇の生母となった藤原胤子である。まさに高藤の強い胤(子種)のお陰だ。高貴な方の生母や后になった素性の不明な子女には、このような逸話が多い。
通常は、庭園のみの拝観で見られないが、醍醐天皇等身大の千手観音像が御本尊である。庭には、水戸光圀(黄門様)寄贈の勧修寺型燈籠が有名だ。広大な「氷室の池」には蓮や杜若などの季節の花が咲く。平安の昔には、氷が張ってそれを切り出して朝廷に献上したと言うが、現在は薄い氷が張るかも知れないがとても切り出すほどにはならない。因みにその氷の厚さで五穀豊穣を占ったと伝わる。
国宝の有名な「刺繍釈迦如来説法図」は、現在奈良の国立博物館の所蔵で国有財産になっている。また、庭園内の2層の雄大な観音堂は「大悲閣」と言い、屋根の中央に鳳を頂く宝冠造りの立派なものだ。
往時の隆盛を偲びつつ、次は、隋心院へ