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エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

富岡製糸場跡は世界遺産に相応しい

2011年09月21日 | 旅行
富岡製糸場跡地は、平成19年(2007年)1月30日には「富岡製糸場と絹産業遺産群」(The Tomioka Silk Mill and Related Industrial Heritage)として、日本の世界遺産暫定リストに加えられた。

実に、日本の殖産興業の曙を知らせる建物群である。



富岡製糸場(とみおかせいしじょう、Tomioka Silk Mill )は、群馬県富岡市にある日本初の器械製糸工場である。
官営模範工場の一つであり、明治5年10月4日(1872年11月4日)に操業を開始した・・・とある。

この建物群からは「女工哀史」的な雰囲気は全く感じられない。
女工哀史は、この後この事業が全国に拡がっていくプロセスでの出来事である。



女工哀史というより、労働環境は優れたものであった。
この写真は工場内の診療所である。



工場敷地内の通路は広く明るい。



コンクリート製の水槽も立派である。



建屋と建屋をつなぐ渡り廊下もちゃんと屋根があって、女工たちが雨に濡れたりしないよう配慮が行き届いている。
設計に心配りが溢れているし、気が利いているのである。



建屋の一つひとつがお洒落である。



避雷針である。
フランスからの輸入品である。



女工館の入り口である。
セメント張りであるけれど、スノコが渡してある。



繭の倉庫である。
東置繭所(おきまゆじょ)である。



従って、この建屋が「西置繭所」である。
壮大な建屋である。



今で言う「配送所」でもあろうか。



繰糸所(そうしじょ)である。
ここに女工たちが居並んで繭から生糸を紡いだのである。



こうした機械は全てフランスからの輸入である。
品質が高く、素晴らしい生糸が生産されたのであった。

ここに、数百人の工女が日本全国から集められたのである。
繰り返すけれど、工女の労働環境は充実しており、六工社など後に日本全国に建設された製糸工場に繰糸の方法を伝授する役割も果たしたのであった。

この富岡製糸場が製糸産業のルーツである。



世界遺産に相応しい建屋群であり、かの時代の空気がまだ残っていて香り立っている。






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 荒野人


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