エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

冬日和

2017年01月19日 | ポエム
正しく、いまは寒の内。
寒さがいや増す、のである。
かてて加えて、明日は南岸低気圧が列島を掠める。

けれど、昨日・今日と比較的暖かかった。
今朝・・・実はシモバシラの観測に出かけるつもりだった。
この暖かさ・・・断念したのであった。



このところ、ブログの更新を怠っていた。
病院通いが続いていて、その気にならなかったのである。

昨日、順天堂病院のお茶の水本院で半年の定期の診断があった。
一昨年のオペ後の経過は、極めて良好と言われた。
「先生、どうやら命長らえたのですね」
「完璧、ですよ」
と先生。



安堵のあまり、地下鉄駅二つ先の後楽園で下車。
『小石川後楽園」で散策となった。







「優しい手採血技師の手冬日和」







今日から、身体を厭いつつ生きてゆく。
俳句の道をもう少し、極める努力もしたいのである。



孫たちの行く末も、もう少し見守りたい。
そんな、気分である。



    荒 野人

霜柱

2017年01月16日 | ポエム
霜柱とシモバシラは「似て非なるもの」と紹介した。
その証左をお示ししようと思っている。

先ずは「シモバシラ」。



次いで「霜柱」。



如何であろうか。

ぼくは、この霜柱が好きだ。
もちろん、シモバシラが嫌いな訳では無い。
毀れ物を扱うように、大事に観察する。

けれど、霜柱はズンズン踏みしめる。
踏んだ音を楽しめる。







「透きとほりやがて溶け初む霜柱」







昨日の朝は、霜柱が綺麗だった。
昼前の陽射しを受けて、キラキラと輝いた。

こんな綺麗な霜柱・・・ぼくは到底、踏んで遊ぶ気にならなかった。
大寒波の賜物である。



そう思わなければ、この寒さは『うっちゃる事」が出来ない。



     荒 野人

シモバシラ・・・似て非なるもの

2017年01月15日 | ポエム
シモバシラは霜柱とは、似て非なるものである。
未だに、シモバシラを霜柱と同じものだと思っている方が居られる。

違う違う・・・。
シモバシラはシモバシラであって、霜柱ではないのだ。



この氷の花をつけた茎は、紫蘇科の植物である。
その名前も「シモバシラ」である。

昨日も書いたけれど、条件が合わなければこの氷花のは出会えない。
運である。

運であるけれど、条件を冷静に見極めて出かける事tになる。
それでも、出会えない事があるのである。







「透きとほり忽ち溶けるシモバラ」








デリケートな花、である。
毀れ易く溶け易い。

そっと見極めつつ、静かに帰る。
静かに観察して、速やかにその花から離れる。

少しでも陽が当たると、忽ちに溶けゆくのだ。
そこの儚さが、とても良い。
今冬、もう一度は観察に出かけなければなるまい。
ぼくも、いつまでも元気ではないからである。



     荒 野人

薄氷

2017年01月14日 | ポエム
今冬、最大の寒波が列島を覆わんとしている。
列島が大雪だと云うのに、関東南部だけが晴れもしくは曇りとなっている。
ニュースは、しかし大雪情報に限られている。
東京に棲む身としては、少しばかり肩身が狭い・・・。



そんな中、今朝は今冬二度目になるシモバシラに会った。
二日前、植物園に出かけたけれどシモバシラは立っていなかった。
運が良ければ、といった案配である。



公園の池に、薄氷が張っている。
印象としては、シャーベット状。
現(うつつ)の世界が、結界の彼方に映るのである。







「薄氷や現世と来世揺れ惑う」







ぼくは『薄氷」が大好きである。
夢現(ゆめうつつ)の中にたゆたう氷の様が良いのである。


    荒 野人

寒木瓜の花

2017年01月13日 | ポエム
寒木瓜の花は、淡淡として在る。
寒木瓜は、温暖化によって年中花をつけている印象がある。
けれど、季節のメリハリ俳句によって担保するしかあるまい。



とりわけ、寒木瓜の花は淡淡としている。
けれども、赤い寒木瓜の花は君の唇だ。







「寒木瓜や淡ゝ時空駆け抜ける」







こうして、ぼくは寒木瓜を愛でつつ時間を超えてゆくのだ。



そう、時空の旅人となって思いを語彙に馳せる。
言の葉を紡ぐ事の難しさに打ちのめされつつ、句作を続けるのだ。



哀しくも、歓喜に満ちた刹那を享け留める。
手の平が、充血するほど刹那は重たいのだ。



     荒 野人