エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

蠟梅妖しかり

2017年01月12日 | ポエム
今が見頃の蠟梅は、その香りと云い透明度と云い例えようも無い。
蠟梅の花弁の透明度は、妖しくも媚としている。

言い換えれば「誘う」のである。



ぼくは、限りも無く思慕する以外の鑑賞方法を知らない。
いや、思慕する以外の鑑賞方法は無いのである。







「壇密といふ女優いて蠟梅」







今日の蠟梅は、家の近くの公園にある。
もう暫くすると、秩父の蠟梅が開花情報を伝えてくれるだろう。

情報を手に入れると同時に、ぼくは秩父に出かけるだろう。



蠟梅のかほりは、風呂上がりの君。
甘やかで、しっとりと漂う。
その密やかさが、優れて美しい。



蕾の楚々とした佇まいも良い。
開いたときの、妖しさが伺われてワクワクドキドキする。



      荒 野人

蜜柑

2017年01月11日 | ポエム
柑橘系の実生は、様々あるけれど今が見頃食べ頃である。
今日は、蜜柑だけれどぼくのハードディスクの中には色々溜まっている。
例えば橘の実、例えば橙の実、例えばカボスの実、例えば金柑の実などである。

収穫しない畑も結構ある。
それはそれで、見た目に楽しい。



蜜柑は、やはり撓わである。
蜜柑でも、温州みかんの生っている数は比較的少ない。







「黄昏や蜜柑の玉の仄と白」







この見事な蜜柑色。
けれど、黄昏時の蜜柑は白っぽい。
白く浮き上がって、豊かさが感じられるのである。



今夜は、食後に温州みかんを頂いた。
炬燵を設えていないので、ホカホカ・カーペットの上のテーブルの網かごに載せてある。

それでも、冬らしい風情である。



     荒 野人

薄氷・・・うすらい

2017年01月10日 | ポエム
氷は、毎日水面に張っている。
冬の本番なのだ。
しかし、もう少しすると「春の足音」が聞こえてくるのである。

このところ、寒波がしっかりと列島を覆っている。
氷は、薄くなくそれなりに厚い。
けれど、日が昇ってくると忽ち溶けゆく。
「薄氷」の様になってゆくのである。



そこに俳句の世界が現出する。
「うすらいや〜」と詠み出したくなる。







「薄氷の光は底に届きけり」







寒波が覆っているといえども、関東南部は比較的・・・相対的にと云った方が良いだろう。
相対的に、暖かい。

明日の朝には、シモバシラの観測に行こうと思う。
今しか見られない、自然の成せる芸術的造作である。



     荒 野人

シモバシラ

2017年01月09日 | ポエム
シモバシラの氷花は、見事な造形を示す。
ぼくは、毎年この時期には追っかけてみる。



このシモバシラは、板橋区の赤塚植物園である。
この近在では、一番見事に氷の花が出来る。

観察するなら・・・今のうち。
もう少し経つと、NHKが取材に来る。
そうすると、俄カメラマンが増えて混んでくる。



シモバシラの茎は冬になると枯れてしまうのだけれど、根はその後長い間活動を続ける。
そして、枯れた茎の道管に水が吸い上げられ続ける。



このシモバシラは、見事なまでに長く氷の花が着いている。



外気温が氷点下になると、道管内の水が凍って、茎から滲み出して氷柱ができる。
この現象は、茎の劣化に加え地中の根が凍るまで続くのである。







「茎飾る氷の花のシモバシラ」







しばらくは、楽しめそうである。
ぼくが出かけるもう一カ所は、東久留米の川沿いの野草園にある。
そこは、一株だけだけれど見事に結氷する。




     荒 野人

七草粥

2017年01月08日 | ポエム
誠に粗とした習いである。
昨日が、正月七日。
七草粥を頂く日、であった。

他聞に洩れず、ぼくも七草粥を頂いた。



七日の習わし・・・。
七草粥を頂く。
沐浴して身を清める。
内と外から、清浄する。
正しく、清らかとなって新年を始めるのである。

中国の占書にある、正月七日間の意味合いはこうなっている。
1日 鶏
2日 狗(犬)
3日 猪(豚)
4日 羊
5日 牛
6日 馬
7日 人(人日・じんじつ)
そして、8日は穀物
となっている。







「人日や八日の穀の豊かなれ」







七草粥は、心身を清める。
清楚にする。
贅沢を排す。



だから、祖なのである。



    荒 野人

因に、今日の写真は啄木鳥と苔。
七日の日に映した写真である。