「さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。」(ヨハネ16:11新改訳)
まもなく十字架につけられるという時、主は弟子たちにその真相を告げられた。表面的にみれば、ユダヤ人議会(サンヒドリン)で「神をけがす者」として有罪になり、ローマ総督(そうとく)ピラトにも反乱罪(はんらんざい)で死刑を宣告(せんこく)されたイエスは、極悪人(ごくあくにん)と同じように扱われ、十字架刑になった。誰の目にもみじめで哀(あわ)れな敗北者の姿と映(うつ)ったにちがいない。▼だがこの世の判断はそうであっても、天においては反対であった。神の敵として狡猾(こうかつ)な計略(けいりゃく)と反逆のかぎりをつくしているサタンに永遠の死を宣言したのが、ほかならぬイエスの十字架である。かつてエデンの園で、神は蛇に「わたしは敵意(てきい)を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ」(創世記3:15同)と仰(おお)せられたが、何千年ものあいだ綿密(めんみつ)に計画されてきた神のご計画が、いま実行に移され、サタンがさばかれ、その知恵の中枢(ちゅうすう)である彼の頭がイエスによって砕かれ、生命をうばわれることになった。じつにキリストのおことばはその宣言なのである。