「また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたはこのことを信じますか。」(ヨハネ11:26新改訳)
永遠に決して死ぬことがないとは、私たちの心臓や呼吸が永久に停止しない、という意味よりもさらに深い事実を言っていると思う。▼それはすなわち、ひとたび主イエスを信じるなら、彼はもはや永遠に主の臨在(りんざい)から切り離されない、ということであろう。ダビデは歌った。「私はどこへ行けるでしょう。あなたの御霊から離れて、どこへ逃れられるでしょう。あなたの御前を離れて。 たとえ私が天に上ってもそこにあなたはおられ、私がよみに床(とこ)を設けても、そこにあなたはおられます。」(詩篇139:7,8同)▼もし私たちが今、信仰によってイエスを救い主と信じるなら、「死を超えた神の愛」という絆(きずな)で固く結ばれる。それは肉体が消滅(しょうめつ)しても、天地宇宙が崩壊(ほうかい)しても、決してなくならない絆である。それこそが、永遠に決して死ぬことがないとの意味ではあるまいか。だからこそ、ラザロの墓の前に立たれたイエス・キリストは、よみがえりそのものであられたのだ。