「その傍らではテコア人たちが修復を行ったが、彼らの貴族たちはその上役に頭を下げることはなく、工事に協力しなかった。」(ネヘミヤ記3:5新改訳)
攻撃的な異邦人社会からイスラエルを守るため、エルサレムの城壁を元通りに修復することが急務であった。そこでネヘミヤの檄(げき)に奮い立った人々は、総出で工事に取りかかった。▼ところが魚の門と付近の工事に当たったテコア人(預言者アモスの故郷として有名)の中には、工事に参加するのをいやがる非協力的な人々もいた。貴族階級の人々で心が高ぶっていたため、現場の指揮下に入ることを拒んだのであろう。民族存立の危機だというのに、身分上下を問題にするとは嘆かわしいことである。いつの時代でもこのような頑なな心を抱く人は、周囲の気持ちを暗くさせる。▼さらに五章に行くと、帰還民社会にいつの間にか差別ができ、貧しい人々が富む人々の奴隷にされる事態が生まれていたことがわかる。なんと「さもしい」人間の心理、罪深さであろう。神は他者を差別する生き方をさばかれる、私たちはこのことを心に深く刻むべきである。▼ネヘミヤは工事に参加協力した人々の名を逐一記録した。なかには労働力を補うために、自分の娘たちも一緒に働いたシャルムの家族のことも記されている(12)。永遠の書にそれが記録されたとは、なんと嬉しい事実であろう。反対にテコアの貴族たちは、名前こそ記されなかったが、ネヘミヤにより「工事に協力しなかった」と記録された。彼らは現在に至るまで2,500年間も恥をかき続けている。へりくだって主のみわざに参加しない者はこのようになることがわかる。