しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <非協力な人々>

2021-02-01 | ネヘミヤ記

「その傍らではテコア人たちが修復を行ったが、彼らの貴族たちはその上役に頭を下げることはなく、工事に協力しなかった。」(ネヘミヤ記3:5新改訳)

攻撃的な異邦人社会からイスラエルを守るため、エルサレムの城壁を元通りに修復することが急務であった。そこでネヘミヤの檄(げき)に奮い立った人々は、総出で工事に取りかかった。▼ところが魚の門と付近の工事に当たったテコア人(預言者アモスの故郷として有名)の中には、工事に参加するのをいやがる非協力的な人々もいた。貴族階級の人々で心が高ぶっていたため、現場の指揮下に入ることを拒んだのであろう。民族存立の危機だというのに、身分上下を問題にするとは嘆かわしいことである。いつの時代でもこのような頑なな心を抱く人は、周囲の気持ちを暗くさせる。▼さらに五章に行くと、帰還民社会にいつの間にか差別ができ、貧しい人々が富む人々の奴隷にされる事態が生まれていたことがわかる。なんと「さもしい」人間の心理、罪深さであろう。神は他者を差別する生き方をさばかれる、私たちはこのことを心に深く刻むべきである。▼ネヘミヤは工事に参加協力した人々の名を逐一記録した。なかには労働力を補うために、自分の娘たちも一緒に働いたシャルムの家族のことも記されている(12)。永遠の書にそれが記録されたとは、なんと嬉しい事実であろう。反対にテコアの貴族たちは、名前こそ記されなかったが、ネヘミヤにより「工事に協力しなかった」と記録された。彼らは現在に至るまで2,500年間も恥をかき続けている。へりくだって主のみわざに参加しない者はこのようになることがわかる。

 

 


朝の露 <ネヘミヤ、エルサレムへ>

2021-01-28 | ネヘミヤ記

「王は私に言った。『では、何を望んでいるのか。』私は天の神に祈ってから、王に答えた。『もしも王が良しとされ、このしもべにご好意をいただけますなら、私をユダの地、私の先祖の墓のある都へ遣わして、それを再建させてください。』」(ネヘミヤ記2:4,5新改訳) 

「私は天の神に祈ってから王に答えた」という表現に、ネヘミヤの敬虔さが良く現れている。彼は短い会話の中にも「天の神がおられ、すべてを支配してくれる」ようにと心で祈りながら王に返事をした。このような思慮深さと信仰があればこそ、大帝国ペルシャの王は好意的にネヘミヤをイスラエルに派遣したのであった。▼また、「旅はどのくらいかかるのか。いつ戻って来るのか」(6)との質問は、王がネヘミヤをどんなに信頼し、手元に置いて来たかの証明であろう。つまり、長年にわたり培われて来た両者の関係が、エルサレム城壁再建という危険に満ちたプロジェクトを成功に導いたのだ。神は今も御自身の広大な計画を、信仰者たちの人間関係によって進めておられる。まさに「己のごとく汝の隣を愛せよ」なのだ。▼さて、エルサレムに帰還したネヘミヤの前に、さっそく敵が現れた。サンバラテ、トビヤ、ゲシェムである。ゲシェムはアラブ人とあるが、今から2,500年も前にアラブ人がすでに存在し、ユダヤ人を憎んでいたとは、現在のパレスチナ情勢のひな型を見るようだ。教会もそうで、心から主に従って行こうとすると、かならず敵対勢力が現れるのであり、これは今も昔も変わらない事実である。「もしあなたがたがこの世のものであったら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではありません。わたしが世からあなたがたを選び出したのです。そのため、世はあなたがたを憎むのです。」(ヨハネ15:19同)

 


朝の露 <涙の断食>

2021-01-27 | ネヘミヤ記

「このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。」(ネヘミヤ記1:4新改訳)

ネヘミヤはペルシャ王アルタクセルクセスに献酌官として仕えていた。王を毒殺などから守る重要な地位で、あつい信頼を受けていたことがわかる。エルサレムと故国を思う心は強く、その荒廃を聞いた彼は数日間嘆き悲しみ、断食して神に祈った。▼ユダヤ人の聖地に対する愛は、私たち異邦人には想像できないものだ。ネヘミヤはペルシャ王宮にいれば、何の心配もなく暮らせたはずだが、エルサレム再建のために身命を投げ打つ決心をして王の許可を願ったのであった。▼彼の聖地帰還に先立ち、学者エズラが十数年前に帰国してユダヤ人社会の霊的、信仰的な改革を進めており、ネヘミヤはそれを応援するかたちで帰ったことになる。といっても地位からいえば、地方総督として赴任したから、立場的には上であった。それでも現地の異邦人たちは全力でエルサレム再建に反対したわけで、ネヘミヤの苦労は大変なものであった。▼神の歴史は聖徒の涙、断食と祈りによって進められる。BC586年、瓦礫の山になったエルサレムの跡に立ち、エレミヤは泣いて祈ったが、その様子が哀歌に記されている。それから70年、ダニエルは捕らわれの地バビロンでエレミヤ記を読んだとき、涙と断食のうちにエルサレムの回復を祈った。そしてキュロス王はユダの民を聖地に返したのであった。さらに80年以上経た時、ネヘミヤは同じく、涙と断食をもって神に請い求めた。その結果、エルサレムに帰還し、城壁を立て直し、ユダヤ社会の再建に心を砕いたのであった。

 

 


朝の露 ネヘミヤ記13章 <妥協との戦い>

2016-08-01 | ネヘミヤ記

なす花「 イスラエルの王ソロモンは、このことによって罪を犯したではないか。多くの国々のうちで彼のような王はいなかった。彼は神に愛され神は彼をイスラエル全土を治める王としたのに外国の女たちが彼に罪を犯させてしまった。」(ネヘミヤ記13:26新改訳)

ネヘミヤの戦いを一口に言えば、信仰的妥協との戦いだったといえよう。異教徒の海に囲まれている点は、私たち日本のキリスト者も似ているから、ネヘミヤが直面した困難は私たちのそれでもある。▼とくに結婚においては、同じ信仰者の中から相手を見つけようとすると、困難をおぼえることが少なくない。しかしそれだからといって、さっさと未信者と結婚すれば、その後の生活において、異教の習俗に妥協しなければ、やっていけなくなる場合が出てくる。ネヘミヤのような不退転の信仰が、私たちにも求められているといえよう。▼私たちの神は全能であり、活きておられる神である。このお方にどこまでもよりすがり、祈り求めていくなら、答えを現されるはずだ。

ネヘミヤが立て直したエルサレムの城壁や各種の制度と、やがて現れる新天新地の都エルサレムには共通点がいくつかある。そのひとつは、汚れた者は決して都に入れない、という点である。「都の門は一日中決して閉じることがない。そこには夜がないからである。・・・しかし、すべて汚れた者や、憎むべきことと偽りとを行う者は、決して都に入れない。小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが、入ることができる。」(黙示録21:2527)▼ネヘミヤ時代のエルサレムには、異邦人と雑婚した者、正式に名簿に登録されていない者は居住できなかった。そのように、永遠のエルサレムには「小羊のいのちの書に名が書いてある者だけが」入れるのである。だから私たちの人生の最高最大の目標は、この都に住むことでなければならない。その意味で主イエスが、「ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい」(ルカ10:20)と言われたことは、もっとも大切なこととして心に刻むべきである。


朝の露 ネヘミヤ記12章 <聖別したささげ物>

2016-07-28 | ネヘミヤ記

ひまわり「ゼルバベルの時代とネヘミヤの時代には、イスラエル人はみな、歌うたいと門衛のために定められた日当を支給していた。彼らはまた、レビ人には聖別したささげ物を与え、レビ人はその聖別したささげ物をアロンの子孫に渡していた。」(ネヘミヤ記12:47新改訳)

エルサレム神殿での各種奉仕は霊的なものであり、それだけに国民に信仰と敬虔がなければレビ人や祭司たちの生活は支えられなかった。▼そこでネヘミヤはダビデの時代に定められた聖歌隊や門衛の務めにも手当てを支給し、彼らが余念なく奉仕できるようにしたわけである。だが次章にあるように、ネヘミヤがエルサレムを留守にすると、たちまち機構はゆるみ、レビ人たちは経済的に困り、自宅に帰ってしまったのである。このことから、民の指導者が真に敬虔で実行力のあることがどんなに大切かわかる。▼教会も状況は同じといえよう。羊たちがみことばの奉仕に全力を傾ける牧師や伝道者を大切にしていくとき、その祝福は巡り巡ってかならず自分たちに帰ってくる。神は活けるお方だからだ。

ネヘミヤが城壁を再建してから4世紀、支配者はペルシャからギリシャ、そしてローマに変わった。エドム人ヘロデはユダヤ王となり、神殿を日光東照宮のようにきらびやかで豪華なものに改修したが、そこを支配した聖職者たちは主イエスが言われたように、神殿を「強盗の巣」に変容させたのである。▼とはいえ、敬虔な流れは続いていた。エルサレムにはメシヤの来臨を待ち望む多くの人々がおり、信仰生活を維持していた。シメオン老人は、救い主に会うまであなたは死なない、と神の御声を聞いており、実際そのとおり生後8日目のイエスに出会った。アンナという老女は80年以上神殿から離れず、断食と祈祷をもって主にお仕えし、やはりマリヤに抱かれたイエスに会い、エルサレム中の再臨待望者にこのことを知らせたのであった。▼今もそうである。世界の教会が全体的にみてどのように変節しても、御霊に導かれ、主を待ち望む人たちが絶えることはないであろう。その日が到来するまで。