しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <大首長ゴグ>

2023-03-21 | エゼキエル
「おまえはわたしの民イスラエルを攻めに上り、地をおおう雲のようになる。終わりの日に、そのことは起こる。ゴグよ、わたしはおまえに、わたしの地を攻めさせる。それは、わたしがおまえを使って、国々の目の前にわたしが聖であることを示し、彼らがわたしを知るためだ。」(エゼキエル38:16新改訳)

北方の大国メシェクとトバルの大首長(だいしゅちょう)ゴグとはだれを指すのだろうか。多くの人たちはロシアとその配下(はいか)の国々と考えている。そのときが来るまで正確なことはわからないが、とにかくおどろくような大軍を編成(へんせい)してイスラエルにおそいかかる勢力なのであろう。「地をおおう雲のようになる」(9,16)とあるので、5万や10万ではないと思われる。一国だけでは不可能で、イラン、リビア、エチオピアや東部ヨーロッパ、中央アジアの同盟国(どうめいこく)も加わるとみてよい。▼神は昔から預言者たちを使って長年にわたり、ゴグの軍隊がイスラエルに襲来(しゅうらい)すると予告しておられた(17)。アッシリアやバビロン帝国も考えられるが、ゴグは首長と呼ばれており、王ではない。人民の中から選ばれた統率者(とうそつしゃ)という意味で首長といわれるのかもしれないが、それ以上くわしいことは不明。▼ともあれ、患難時代の最後には全世界の軍隊が聖地に攻め寄せると預言され、その中核を成すのがゴグ連合軍なのであろうか。いずれにせよ、人類歴史始まって以来の戦乱であり、主の御介入(ごかいにゅう)によって終わることはたしかだ。

朝の露 <しもべダビデ>

2023-03-20 | エゼキエル
「わたしのしもべダビデが彼らの王となり、彼ら全体のただ一人の牧者となる。彼らはわたしの定めに従って歩み、わたしの掟(おきて)を守り行う。」(エゼキエル37:24新改訳)

このダビデとは再臨したもうイエス・キリストを指す。イスラエルは患難時代の最後に世界中から攻められ、さながら枯骨(ここつ)の谷のように絶望的状況に追い込まれる。しかしキリストが来られ、彼らに代わって敵軍を全滅させ、続いて民族の回心と千年王国が始まるのである。艱難時代は世界が戦乱のちまたになるので、地球は原爆投下直後の広島のように、焼けただれ、目も当てられない廃墟(はいきょ)になるにちがいない。▼だが、再臨されたイエス・キリストによって、みごとに回復し、いやされ、エデンの園に変わるであろう。▼「そのとき、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の目は開けられる。そのとき、足のなえた者は鹿のように飛びはね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒れ地に川が流れるからだ。焼けた地は沢となり、うるおいのない地は水の湧くところとなり、ジャッカルの伏したねぐらは葦やパピルスの茂みとなる。」(イザヤ35:5~7同)そのとき生きていた人々は、主イエスがもじどおり、全能者、いやし主であられることを目の当たりにし、声の限りほめたたえ、賛美するであろう。こうして千年王国が始まるのである。▼そのあと、古い天地が過ぎ去り、最後の審判、新天新地の出現となる。永遠の都エルサレムは、黙示録によれば十二の門を持ち、それにはイスラエル各部族の名前が刻(きざ)まれている(黙示録21:12)。また土台石には主イエスの十二弟子の名が刻まれており、旧新約の聖徒たちが一体になった宝石の都であることがわかる。その王こそダビデの子孫と自ら名乗られるイエス・キリストで、終末の歴史はそのときに向かって、着々と進みつつある。だから私たちは、世界がどんなに混乱と戦いの様相を呈しても恐れる必要はない。


朝の露 <イスラエルの回復>

2023-03-16 | エゼキエル
「わたしはあなたがたを諸国の間から導き出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。」(エゼキエル36:24新改訳)

イスラエル民族はやがてみな聖地に帰還(きかん)すると神は宣言される。なぜなら、彼らは自分の自発的意志でそうするというより、全能の神自身の力により、世界各地から導き出されるからだ。▼現在、イスラエルに住むユダヤ人は約六百数十万人だが、世界にはそれ以上のユダヤ人が離散(りさん)した状態で住んでいると推定される。その上、十二部族全体でははるかに大勢であろう。その正確な数と地域は誰にもわからず、ただ神だけがご存じにちがいない。その人々が神のふしぎな力によって、終りの時代に聖地へ帰って来るとは人間には理解できないことだが、確実に起きるのである。▼おそらくそれは、地上に再臨されるメシアが、ゴルゴタで十字架につけられたナザレのイエスそのお方であると認め、涙とともに悔い改めるときであろう。「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える」(26同)と記されていることが実現するときで、世界中のイスラエル人たちが、涙とともにエルサレムで王となったイエス・キリストのところへ帰還するのである。▼それはイスラエル民族が正しいからではなく、彼らを選んだ神の御心が不変であり、ご自身の約束に対し誠実(せいじつ)なお方であることを世界に示すためにほかならない。このようにして、世界中の人々が、歴史を完全な正義といつくしみにより導くお方を見て、賛美と栄光を献げることになり、地上千年王国が始まるにちがいない。そのときは、日一日と近づいている。


朝の露 <エドムに臨む審判>

2023-03-15 | エゼキエル
「神である主はこう言われる。セイルの山よ。わたしはおまえを敵とする。わたしはおまえに手を伸ばし、おまえを全き荒廃(こうはい)の地とする。」(エゼキエル35:3新改訳)

ここはエドム人へのひじょうにきびしい審判を記した章である。イスラエルと兄弟関係にあるエドム、周知(しゅうち)のように彼らはヤコブの兄エサウの子孫だった。▼エサウは神に対する信仰を軽視し、祝福を失ったが反省せず、反対に弟ヤコブをねたみ、憎しみをもってあしらい、イスラエルの不幸を喜んだ。それどころかユダ王国が滅ぼされるときには快哉(かいさい)を叫び、その避難民(ひなんみん)たちをかくまうどころか切り殺したとは・・。なんと血も涙もない仕打(しう)ちであろう。結局それは、イスラエルを選んだ神、またエサウ一族に相続地としてセイル山を与えてくださった神に真向(まっこう)から反抗する行為だった。だから神はエドムの完全な滅亡と荒廃を宣言されたのである。▼私たちも同じで、兄弟をあなどり、その不幸を喜ぶなら、神ご自身に復讐(ふくしゅう)されることを覚悟(かくご)しなければならない。喜ぶ者と共に喜び、泣く者とともに泣く生き方こそ喜ばれる道である。「愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。『復讐はわたしのもの、わたしが報復する。』主はそう言われます。次のようにも書かれています。『もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。』悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:19~21同)

朝の露 <わたしの羊>

2023-03-14 | エゼキエル
「わたしの羊はすべての山々、すべての高い丘をさまよった。わたしの羊は地の全面に散らされ、尋(たず)ね求める者もなく、捜(さが)す者もない。」(エゼキエル34:6新改訳)

イスラエル王国時代の五百年間、人々は次第(しだい)に律法を行わなくなり、道徳的に堕落(だらく)し、腐敗(ふはい)していった。預言者たちが立ち上がり、神はこう言われると叫んだが、人々はいやがり、肉欲と偶像礼拝にふけることを求め、かえって預言者たちを迫害したのであった。神はどれほど悲しまれたことか。▼主イエスの時代もそうだった。エルサレムに豪華(ごうか)な神殿があり、祭司、パリサイ人たちは神に仕え、人々を教えていた。しかしそれは表面的・偽善的(ぎぜんてき)宗教儀式であって一般民衆、病者、社会の底辺に生きる人たちは見捨てられ、イスラエル全土をあてどなくさ迷う羊の群れだったのだ。ナザレのイエスはそれをごらんになって悲しみ、心を痛め、町々村々を巡回(じゅんかい)して神の国の福音を伝え、病者をいやされた。主こそが真の牧者、見張り人であられた。▼主は今も、ご自身を信じる者に対しては、永遠の牧者であられる。「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っており、わたしのものは、わたしを知っています。ちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じです。また、わたしは羊たちのために自分のいのちを捨てます。」(ヨハネ10:14同)