しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <ヨナタンの息子メフィボシェテ>

2025-02-11 | Ⅱサムエル記
「ツィバは王に言った。『王さま。あなたが、このしもべに申しつけられたとおりに、このしもべはいたします。』こうして、メフィボシェテは王の息子たちのひとりのように、王の食卓で食事をすることになった。」(Ⅱサムエル9:11新改訳)

周囲の敵との戦争が一段落し、王国が安定してきたとき、ダビデはヨナタンと結んだ契約を思い出し、サウル一族を顧みる心を起こした。▼調べると、ヨナタンには両足の萎(な)えた一人息子がおり、メフィボシェテという名であった。ダビデは彼を自分の前に呼び出した。それが本章である。▼メフィボシェテは呼び出されたとき、不安を感じたかもしれない。なにしろサウル一族はダビデをさんざん苦しめたからだ。ところが王は彼を息子のように扱い、食卓でいっしょに食事する者のひとりとした。米国大統領の食事会に乞食(こじき)が招かれたに等しい、いやそれ以上の扱いである。「なぜ、死んだ犬にひとしい私を顧みてくださるのですか」と、メフィボシェテがおどろいたのも無理はなかった。これはひとえに、ダビデとヨナタンが交わした誓いによるものだった(→Ⅰサムエル20章)。▼やがて主がおいでくださったとき、これと同じことが私たちにおきるだろう。「さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい」(マタイ25:34同)。そのとき、おどろきと喜びが天地をゆるがすにちがいない。ただし、その反対も起きることを心にとめておく必要がある。「のろわれた者ども。わたしから離れ、悪魔とその使いのために用意された永遠の火に入れ。おまえたちはわたしが空腹であったときに食べ物をくれず、渇いていたときに飲ませず、わたしが旅人であったときに宿を貸さず、裸のときに服を着せず、病気のときや牢にいたときに訪ねてくれなかった。」(マタイ25:41~43同)