「御子(みこ)が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。」(Ⅰテサロニケ1:10新改訳)
やがて来る御怒りとは、黙示録が預言する患難(かんなん)時代を指し、人類歴史の最後に臨(のぞ)むものである。そして、そこから救い出してくださるとは、その直前にキリストの花嫁(はなよめ)である教会が、空中に携(たずさ)え上げられる携挙(けいきょ)をいう。▼この手紙は初めから終りまでキリストの再臨を強調していて、パウロたちが信徒たちに熱誠(ねっせい)をこめて教えさとしたことが想像できる。じつにテサロニケの信徒たちは、使徒の教えにより、この世の終りが近いことと、いっさいの悪が最後に審判されることを知り、きびしい迫害に耐(た)える力が与えられ、希望をもって生きるように変えられたのであった。▼そして、また、このことは同時に、現実に世界滅亡(めつぼう)の危険にさらされつつある現代教会にとり、ひときわ切迫感をもって迫るメッセージともなっている。まさに彼らの再臨待望は私たちと同じだったのだ。「その日は、全地の表(おもて)に住むすべての人に臨むからです。しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断(ゆだん)せずに祈っていなさい。」(ルカ21:35,36同)