さて、旧市街広場から教会を左に、パリ通りを行くと「ヨゼフォフ」とよばれる、かつてユダヤ人居住地区だった地域があります。ちなみに「パり通り」とは、19世紀末に衛生状態の悪い街を浄化し、並木通りをつくったところアールヌーヴォーの建物の街並みが生まれ、現在ではブランドショップが並ぶショッピング街になっているそうです。
13世紀半ばにボヘミア王・オタカル2世がユダヤ人の保護政策をとったことから、多くのユダヤ人がプラハに移り、中世最大のユダヤ人居住地区が生まれました。
写真が切れていますが、左の看板に緑色の「ワニ」と「ラコステ」の文字
(左の写真)左のユダヤの赤い旗の建物が地区集会場、右の塀が「シナゴーク」とよばれる礼拝の場、正面の屋根に雪をのせた建物が「儀式の家」・・・(右の写真)「儀式の家」の前にも大勢の観光客でした・・・ロシア人の団体観光客で、ロシアの景気のよさを感じさせました。
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