ニューヨークタイムズ紙に「世界の三宅」が核兵器のない世界の実現にむけてオバマ大統領を広島に招待したいという記事を寄稿しました。
世界中をゆるがしたオバマ大統領のプラハでの演説に、被爆国の生んだ国際的デザイナーが一人のヒバクシャとして応えたもの。以下に記事が掲載されています。
A Flash of Memory :http://www.nytimes.com/2009/07/14/opinion/14miyake.html
僭越ですけれど、掲載されたものを自分なりに日本語にしてみました。本文の英語は一生氏の日本人スタッフが翻訳したものです(記事の末尾に記載)
閃光の記憶
東京発
4月にオバマ大統領が、核兵器のない世界の平和と安全を追求することを誓った。彼は単に核兵器の削減ではなく、廃絶をよびかけた。彼の言葉は私の心に深く埋もれていたあるものをよびさました、それは今まで話し合うことを避けてきたものだった。
私は、おそらく今や、かつてより一層、オバマ氏が「閃光」と呼んだものから生き残ったものの一人として、語るべき人格的、道徳的責任があることを理解した。
1945年8月6日、最初の原子爆弾が私のふるさと、広島に落とされた。私はそこにいた、わずか7歳だった。眼を閉じると今でも、かつて誰も経験したことのなかったものがよみがえってくる:真っ赤な光、黒い雲がすぐにやってきて、人々はあらゆる方向に走り、死に物狂いで逃げようとしたーそれが私の記憶のすべてだ。
3年を経ずに、母は被爆により亡くなった。これまでその日の記憶や考えを誰にも語ることをしてこなかった。たとえ不運であろうとも、それらを後景におしやり、破壊的ではなく創造的であるもの、美と喜びをもたらすものを考えることをむしろ選んだ。
私は衣服のデザイン分野にひきつけられた、いく分それが創造的な形式で近代的、楽天的だったからだと思う。決して自らの過去に規定されないようにした。「原子爆弾から生き残ったデザイナー」というレッテルを張られたくなかった、それゆえ、広島についての質問はいつも避けてきたのだ。それらにはふれたくなかったのだ。
しかし、今や、私たちは世界から核兵器をまさに取り除くのかどうか、議論しなければならない課題であると理解している。8月6日の世界平和デー、宿命の日の式典にオバマ氏を招待しようという運動が広島で起こっている。承諾してくれることを期待する。 私の望みは、過去にとどまるのではなく、アメリカ大統領の目標は将来の核戦争の廃絶のために働くことだと、世界中にサインを送ることだという要求に突き動かされている。
先週、ロシアとアメリカは核軍備の縮小に合意をした。これは重要なことだ。しかし、我々はだまされない。一人、一国のみで核戦争を止めさせることはできない。
日本では、隣国北朝鮮の核武装によって不断の恐怖にさらされている。また、他国による核技術の獲得などの報告も存在する。それゆえ、平和へのどんな希望も世界中の人々の声をオバマ大統領に届けなくてはならない。
もしオバマ氏が広島の平和橋を渡ることが実現すれば、ーその手すりは日系アメリカ人彫刻家、イサム・ノグチのデザインによるものだが、彼は東西を結び、また人間がお互いに憎しみを乗りこる思い出の人としてー核の脅威から免れる世界を創造していく、現実の、そして象徴としての歩みになるだろう。一歩一歩が世界平和を現実のものにするものだ。
*三宅一生は服飾デザイナー。この記事は彼の日本人スタッフによる翻訳
(ニューヨークタイムス・7月13日)
世界中をゆるがしたオバマ大統領のプラハでの演説に、被爆国の生んだ国際的デザイナーが一人のヒバクシャとして応えたもの。以下に記事が掲載されています。
A Flash of Memory :http://www.nytimes.com/2009/07/14/opinion/14miyake.html
僭越ですけれど、掲載されたものを自分なりに日本語にしてみました。本文の英語は一生氏の日本人スタッフが翻訳したものです(記事の末尾に記載)
閃光の記憶
東京発
4月にオバマ大統領が、核兵器のない世界の平和と安全を追求することを誓った。彼は単に核兵器の削減ではなく、廃絶をよびかけた。彼の言葉は私の心に深く埋もれていたあるものをよびさました、それは今まで話し合うことを避けてきたものだった。
私は、おそらく今や、かつてより一層、オバマ氏が「閃光」と呼んだものから生き残ったものの一人として、語るべき人格的、道徳的責任があることを理解した。
1945年8月6日、最初の原子爆弾が私のふるさと、広島に落とされた。私はそこにいた、わずか7歳だった。眼を閉じると今でも、かつて誰も経験したことのなかったものがよみがえってくる:真っ赤な光、黒い雲がすぐにやってきて、人々はあらゆる方向に走り、死に物狂いで逃げようとしたーそれが私の記憶のすべてだ。
3年を経ずに、母は被爆により亡くなった。これまでその日の記憶や考えを誰にも語ることをしてこなかった。たとえ不運であろうとも、それらを後景におしやり、破壊的ではなく創造的であるもの、美と喜びをもたらすものを考えることをむしろ選んだ。
私は衣服のデザイン分野にひきつけられた、いく分それが創造的な形式で近代的、楽天的だったからだと思う。決して自らの過去に規定されないようにした。「原子爆弾から生き残ったデザイナー」というレッテルを張られたくなかった、それゆえ、広島についての質問はいつも避けてきたのだ。それらにはふれたくなかったのだ。
しかし、今や、私たちは世界から核兵器をまさに取り除くのかどうか、議論しなければならない課題であると理解している。8月6日の世界平和デー、宿命の日の式典にオバマ氏を招待しようという運動が広島で起こっている。承諾してくれることを期待する。 私の望みは、過去にとどまるのではなく、アメリカ大統領の目標は将来の核戦争の廃絶のために働くことだと、世界中にサインを送ることだという要求に突き動かされている。
先週、ロシアとアメリカは核軍備の縮小に合意をした。これは重要なことだ。しかし、我々はだまされない。一人、一国のみで核戦争を止めさせることはできない。
日本では、隣国北朝鮮の核武装によって不断の恐怖にさらされている。また、他国による核技術の獲得などの報告も存在する。それゆえ、平和へのどんな希望も世界中の人々の声をオバマ大統領に届けなくてはならない。
もしオバマ氏が広島の平和橋を渡ることが実現すれば、ーその手すりは日系アメリカ人彫刻家、イサム・ノグチのデザインによるものだが、彼は東西を結び、また人間がお互いに憎しみを乗りこる思い出の人としてー核の脅威から免れる世界を創造していく、現実の、そして象徴としての歩みになるだろう。一歩一歩が世界平和を現実のものにするものだ。
*三宅一生は服飾デザイナー。この記事は彼の日本人スタッフによる翻訳
(ニューヨークタイムス・7月13日)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます