「英国のシンドラー」と呼ばれているのはニコラス・ウィントン氏(100歳)。
第二次世界大戦直前の1939年。3月から9月にかかえて、旧チェコスロバキアから特別列車を仕立て、ユダヤ人の子どもたちを9回、合計669人を英国に脱出させていたのです。
最後の列車はナチスに阻まれ、250人が消息を絶ったとのこと。
70年を経た今年、生きのびたユダヤ人たちが脱出劇を再現しようと、プラハから記念列車に乗ってロンドンに4日到着し、“命の恩人”との再会を果たしました。
子どもたちの救済は報道によれば・・・(産経新聞によれば)
1938年冬、スイスにスキーに出かける予定だった株式仲買人のウィントン氏に、チェコスロバキア難民委員会の英国代表を務める親友から電話が入った。当時、欧州ではユダヤ人の子供を列車で脱出させる計画が進行していた。しかしチェコスロバキアには組織がなく、ウィントン氏に白羽の矢が立ったのだ。
プラハに入った同氏は39年3~9月、子供たちを乗せる特別列車を準備した。独、オランダを横切り、北海を渡る約1120キロの行程。英国での受け入れ家庭も世話した。
39年6月23日発の特別列車に乗ったマリアーネ・ウォルフソンさん(85)=米在住=は「16歳以上は列車に乗れなかったので、15歳の私はぎりぎりでした」と振り返る。残された両親は強制収容所で命を落とした。リサ・レッサーさん(78)=英在住=は「車中でイチゴジャムの白パンをほおばったのを覚えている。白パンなんて食べたことがなかった」と語る。
独軍がポーランドに侵攻した39年9月1日には、出発直前の特別列車がナチスに止められ、子供たち250人が連行されたという。
戦後、ウィントン氏は口を閉ざしていたが、88年に妻が偶然、屋根裏で子供たちのリストや写真を見つけ、救出劇の存在が明らかになった。同氏は昨年、チェコ政府からノーベル平和賞候補に推薦されている。
≪命の恩人と再会≫
英BBC放送によると、当時の子供24人と家族ら計174人を乗せた記念列車は今月1日にプラハを出発。当時と同じルートをたどり、4日、ロンドンのリバプール・ストリート駅に着いた。出迎えたウィントン氏は「70年前、子供たちだけでなく、彼らの家族も一緒に列車に乗せたかったが、できなかった。子供たちと再会できて本当に感激している」と話した。
イギリスとチェコのレジスタンスを描いた「ダーク・ブルー」という映画があります。
イギリスでパイロットとしての訓練をうけた青年たちの青春をかけたたたかいと第二次世界大戦後の苦しみを描いています。そして亡命政府も確かイギリスではなかったでしょうか・・・。
子どもたちを列車で逃がした3年後、1942年6月、ヒトラーの後継者とされていたヘンドリックがプラハで暗殺され(正確には暗殺は未遂、その際の爆弾の破片による傷がもとで死亡します)、怒り狂ったヒトラーは近隣のリディッツェ村の住民をすべて殺し、子どもたちは強制収容所送りとなります。
プラハのオバマ発言はこうした歴史の上に立ち、新しい時代を自分たちの手で作り上げる決意を語ったものであってほしいと願います。
長かったねー
当然なのでしょう。アメリカ人が苦労の上にオバマ大統領を誕生させたように、日本人も良い意味で追随でしょうね。
広島・長崎市長たちもすごい!リードしっかりしてくれていますね。オバマ氏を被爆地に招く運動成功できたら嬉しいではありませんか。真の友好条約締結にむけてねー!
最近、自分で思っているより疲れからの立ち直りができず、ちょっとしたことを深刻に考えすぎちゃったりしています
でもまあそんなときは愛ちゃんとお話するようにして人間性回復してます
やっぱり赤ちゃんは天使ですね
チェコネタや旅行の写真など多彩ですね
プラハに友達と旅行して思っていたより気に入りました。
パリやローマの華やかさとは違い、やっぱり中世の趣でしょうか
夏に行ったので、違う季節にまた行きたいです
最近は旅行ブログもすごく増えて、リアルタイムのプラハを見ることが出来ますね
これからも宜しくお願いします
はじめまして
プラハの魅力が共感できてうれしいです。
チェコという国の歴史によるんだと思いますが、壮麗さと少し影の両方が魅力的だと感じます
私は夏と冬にしか行ったことがないのですが、友人はやっぱり6月が最高と言います。5月のプラハの春の音楽祭や秋にも行ってみたいですよね
これからも宜しくお願いします