~ いるかしあわせ宅配便 ~

ばあちゃんのひとりごと

父を見舞う

2010-06-22 01:15:47 | Saranyaのひとり言
母からの電話を受け、急ぎ実家に車を走らせる・・・その時、先が見えないほどの激しい雨!

母は「忙しいので、電話もいらない、私がお父ちゃんを介護するから、大丈夫」と
いつも、気丈に! 働く私を励ましてくれる母でした。

そんな母が「お父ちゃんが何も食べない、下痢ばかりしている、見に帰って欲しい」と言う。
90歳の父、介護するのは86歳の母。

何が仕事かと・・・涙が出てくる(私の身勝手さに)
このような高齢な母にすべてを任せている私は、何が支援なのかと。

父を見舞うと返答もかすかに聞こえる小さな声で「帰ってきてくれたのか・・・・」
笑みを浮かべる。
まるで赤子が母にすがるような眼差しだった。

ベットの傍で、父のお腹を撫でながら、痛々しい細くなった父の体を感じ
神に祈った・・・{どうか痛みを取り除き、安らかさを与えて欲しい}と。
身勝手な願いかもしれないが、ただ・・・痛々しく哀れを感じてしまったのです。

撫でながら・・5年前に無くなった愛犬(チロ)の死を思い出しました。
老衰でしたが、腎不全を起こし、何も食べない・・下痢・・・吐くの繰り返し。
医者は、注射をしても一時的に効くだけですと言われた。
しかし、少しでも楽になればとお願いをした。
注射の後は、トボトボ、転けそうな歩き方で散歩に出たのを思い出し。
その時を最後に動かなくなり・・・じっとしたまま2週間、がりがりになり。
それでも、何もしない・・・泣く元気もないようだった。
仕事から帰るとチロを見舞った、そして、温熱療法(テルミー)をかけてやると
尿が少し出た・・・じっとして・・・何も言わず。
垂れ流しになってきたので、孫のオムツをおしりに当ててやり様子を見た。
ある日、何となくもう死ぬかもと感じたので、工場の土間に毛布を敷き、
傍にいることにした・・・明け方3時、チロはずり這いしながら私の傍に近づいてきた。
私も、近づいて行き頭を撫でると、その瞬間、息を引き取った。
それは、凄まじい命の燃え尽きる様でした。
その時、チロの死にざまは、私の心に死とはこのようなものと形づけられた。
「痛みも苦しみもすべてを受け入れることができたとき、それらの苦痛感はなくなるようである」
死とは壮絶だが、静寂さを感じられる気がした。
その後、チロの死は、乳癌を患った私を勇気づけてくれた。死を迎える準備ができたような気がした!
チロは神だった。

父とチロが重なった気がした一瞬でした。

土間で死のうとベットで死のうと病室で死のうと、その時、何に向かうかが穏やかな死になるのでしょうか。

私の師は
「神はどこでもあなたの中にあなたと共にいます。その痛みを神だと思いなさい。
その痛みそのものの場所に女神がいると思って、痛みではなく女神をその場所で瞑想してください・・・」


父の容態を見舞って・・・この両親への感謝が溢れ・・・たたずむ我に清寂が訪れたのを感じました。

神(慈愛)を感じる一日でした。