9月末で地雷だった再就職先を退職した管理人です。
先週は退職日まで部長の引き止めを断ったり社内の様子を伺ったりして精神的に大変だった。
いざ辞めてみるとだんだん落ち着いてきて就活モードに戻れそう。
9/中に申請してた再就職手当てが、再就職先を辞めたのになぜか支給OKが出てホッとしてる。来週あたりに再就職手当て90日分振り込みと、今後の月支給が61日分残ってる。さらにその後、給付延長60日の資格もあるらしく、結局合計240日分の失業保険になる。
7月に約9年勤務した会社で得た会社都合退職の失業保険はほんとに手厚いなと感じてる。
てか1ヶ月以内退職で、前職の失業保険がそのまま残ってるシステムは良く出来てる。それが無かったら退職に踏み切れず無理くり続けてたか、もっと困難な状態になってたと思う。
履歴書に再就職を書くか迷ったけど、書くことにした。書かない場合、面接で言い訳みたいに理由を言いたくないと思った。あと決して喧嘩別れとかではないし、1日も不当に休まず働いて綺麗に辞めたので正直にいこうかなと。 退職理由も全うだと思うし、それで通らないなら逆に同じような半端な求人だと思う。
9月の再就職先に関して地雷求人だったとかネガティヴなことは置いておいて、良かったことを考えてみる。
1つは、有名百貨店に直営店を持つようなお客さんのノーマルに触れられたこと。
JIS規格の生地・製品検査
指定業者への表示類の発注手配
中国パッキン表示から指定の納品方法
年4回展示会ベースの製品リードタイム
日本生地使用の海外生産
日本生地見本に中国での生地生産
日本資材の発注手配
ブランド毎のデザイナー、パタンナー、グラフィッカー別のやり取り。ビーカー、部分縫い、試擦り、試刺しの提出、それらの持ち込み納品。
納品前サンプルでNGをくらった時の凄まじい臨機応変な対応
これらは低価格アパレル畑の、自社ブランド付き企画生産管理だった僕にとってほとんど縁の無いものだった。
検査類なんてしたことない。
表示類は内容だけ指示して中国メーカー任せの生産。
中国パッキンもお任せ。どうせ納品先は自社事務所だけだから適当。
展示会は年2回、一般より遅く、ほとんどオーダーがもらえない意味ない自社内覧会。
日本生地では一部の商品以外原価が合わない。使わなかった。
中国で生地生産はリードタイムがかかり過ぎて社内のMDマップに対応出来ない。ロットも消化出来ない。ほぼ広州市場の生地使用。
日本資材も同様に、発注から2ヶ月以上かかるYKKは使えない。100%中国ローカル資材。
ビーカー類は生産の僕と隣に座ってるデザイナーが見るだけ、たまに社長チェック。
納前チェックで出た問題はメーカーが解決。指摘する側だった。
同じような低価格アパレルなら近い感じのノーマルだけど、やっぱり有名ブランド、今1番需要があるセレクト向けの商品となると、そうはいかない。やっぱり前職みたいに厳しいノーマルが標準だと思う。
その標準に形だけでも携われた経験は大きかった。期間が短く、ブランドの担当なんてもらう前に辞めたけど、、間近でその端くれにでも触れたのは良かったと思う。
こういった業界内の作る流れってほんとに会社に入らないと経験出来ない。ネットでも見れないし、学校でも教えてくれない。人から断片的に聞くことは出来ても身に付かない。だからこそ自分で経験するしかない。
配属先で唯一の製品事業専任の生産管理の人と働けたのも良い経験だった。
月140時間超えの過労死レベルの時間外労働で常なピリピリしててあまりちゃんと話せなかったけど、、。すんごいセッカチで、エクセルのファイル数さえ増やしたくないみたいな、効率最優先な人だった。、、あまり性格は合わなかったw
でも、仕事は出来る人だった。
40後半で、多分業界歴は20年以上、僕の倍くらい。 これもあまり聞いてないけど、とあるカテゴリーで厳しいことで有名な会社出身。ブランド付きもOEMも両方経験。
職場にいた時はあまり考えなかったけど、その人が僕の目標だと思った。
上に書いたみたいな業界ノーマルに精通して、あらゆる臨機応変な対応が出来る。
コスト感覚に優れていてリードタイム、コスト比較の計算が早い。
時間の使い方、効率上げに貪欲で誰よりも先のことまで考えている。
人との関わりを大切にしており、急な手作業修理に、年齢層バラバラな業界経験者のヘルプが何人も呼べる。
常にお客さんの話す傾向や返答を予測しながら決して後手に回らない営業対応が出来る。
退職寸前に中国の連休国慶節に引っかかった商品があった。それの対応で短期退職した僕にまで連絡をくれた。
正直、電話があった時は何かダメ出しか文句言われないか冷や冷やしたけど、、w あと○時間で日本に着いた商品に手作業しないといけなくて、誰かヘルプ出来る人とか業者知らない?って。
先月同じ内容の電話を職場で聞いてた時は全然考えなかったけど、、
素直にこの人凄いなって思った。
なりふり構わずというか、問題解決に全力なのである。お客さんに納品するもの、遅れたらペナルティがある、今後の仕事にも影響する、だから当たり前と言えば当たり前なのかもしれないけど、、自社ブランド付きだった僕にその必死さは無かった。
40代というと9年の会社では地雷だった。社長含め、取り引き先も含め、まともな人がほとんどいなかった。鬱でドロップするとか、ミスが多いとか、過去に楽し過ぎて文句が多いとか、、20代30代がコアになってやっていたから、仕事が出来る40代というのは新卒で入った会社以来だった。それにしても、今まで見た中で1番仕事が出来る人だと思う。
漠然としてるけど、僕の20代の時の目標は村上春樹の小説に出て来る30代の主人公だった。
仕事を卒なくこなし綺麗好きで掃除や料理をしっかりこなす。身嗜みもちゃんと整えて、自己鍛錬を忘れないみたいな感じ。
30代になった時、そういった目標があんまり定まって無かった。有名な写真家の本を読み、この人の生き方凄いなカッコいいなとは思っても現実的ではなく、もうそんな憧れで生きていける年齢ではない現実の方が大きい。
アパレル業界に目を向けると、作る系職種デザイナーパタンナー生産管理の給与が低いこと、こだわり過ぎたデザインの服が嫌いなこと、ブランド自体が嫌いなとこもあったりなんかが目について、人に興味すら湧かない。。 業界内のことを知り過ぎて学生時代にメディアで見た〇〇ブランドのデザイナーやらバイヤー、プロデューサーなんて全く対象外。
新卒時にここに入れば安泰だよね的なアパレル大企業も軒並み傾き、ブランド売却だのライセンス停止だの投資ファンドで再建だのでリストラの嵐だし、、もう斜陽業界のアパレルに嫌気すら覚える。
でも洋服作りの仕事は好きだしアパレルでやっていきたいとは思うから、目標が欲しかった。
それが、自分と同じ職種のエキスパートである先輩かなと思った。 もっと柔和にいきたいとか、紙を減らしたいとか、プライベートも大事にしたいとか思うし、完璧にその人になりたいとは思わないけど、完璧な人なんていないわけで、それが分かったのもいい経験だった。
近年ね履歴書や職務経歴書に重要なこととして、自分が将来どうなりたいかという要素がある。それが無いと求人企業に対して志望動機や自己PRが伝えられない。これは求人紹介企業に教えてもらったこと。そういう意味でも今回の再就職は短期退職には至ったけれども、自分を見直して先を考えるいいきっかけだった。
先週は退職日まで部長の引き止めを断ったり社内の様子を伺ったりして精神的に大変だった。
いざ辞めてみるとだんだん落ち着いてきて就活モードに戻れそう。
9/中に申請してた再就職手当てが、再就職先を辞めたのになぜか支給OKが出てホッとしてる。来週あたりに再就職手当て90日分振り込みと、今後の月支給が61日分残ってる。さらにその後、給付延長60日の資格もあるらしく、結局合計240日分の失業保険になる。
7月に約9年勤務した会社で得た会社都合退職の失業保険はほんとに手厚いなと感じてる。
てか1ヶ月以内退職で、前職の失業保険がそのまま残ってるシステムは良く出来てる。それが無かったら退職に踏み切れず無理くり続けてたか、もっと困難な状態になってたと思う。
履歴書に再就職を書くか迷ったけど、書くことにした。書かない場合、面接で言い訳みたいに理由を言いたくないと思った。あと決して喧嘩別れとかではないし、1日も不当に休まず働いて綺麗に辞めたので正直にいこうかなと。 退職理由も全うだと思うし、それで通らないなら逆に同じような半端な求人だと思う。
9月の再就職先に関して地雷求人だったとかネガティヴなことは置いておいて、良かったことを考えてみる。
1つは、有名百貨店に直営店を持つようなお客さんのノーマルに触れられたこと。
JIS規格の生地・製品検査
指定業者への表示類の発注手配
中国パッキン表示から指定の納品方法
年4回展示会ベースの製品リードタイム
日本生地使用の海外生産
日本生地見本に中国での生地生産
日本資材の発注手配
ブランド毎のデザイナー、パタンナー、グラフィッカー別のやり取り。ビーカー、部分縫い、試擦り、試刺しの提出、それらの持ち込み納品。
納品前サンプルでNGをくらった時の凄まじい臨機応変な対応
これらは低価格アパレル畑の、自社ブランド付き企画生産管理だった僕にとってほとんど縁の無いものだった。
検査類なんてしたことない。
表示類は内容だけ指示して中国メーカー任せの生産。
中国パッキンもお任せ。どうせ納品先は自社事務所だけだから適当。
展示会は年2回、一般より遅く、ほとんどオーダーがもらえない意味ない自社内覧会。
日本生地では一部の商品以外原価が合わない。使わなかった。
中国で生地生産はリードタイムがかかり過ぎて社内のMDマップに対応出来ない。ロットも消化出来ない。ほぼ広州市場の生地使用。
日本資材も同様に、発注から2ヶ月以上かかるYKKは使えない。100%中国ローカル資材。
ビーカー類は生産の僕と隣に座ってるデザイナーが見るだけ、たまに社長チェック。
納前チェックで出た問題はメーカーが解決。指摘する側だった。
同じような低価格アパレルなら近い感じのノーマルだけど、やっぱり有名ブランド、今1番需要があるセレクト向けの商品となると、そうはいかない。やっぱり前職みたいに厳しいノーマルが標準だと思う。
その標準に形だけでも携われた経験は大きかった。期間が短く、ブランドの担当なんてもらう前に辞めたけど、、間近でその端くれにでも触れたのは良かったと思う。
こういった業界内の作る流れってほんとに会社に入らないと経験出来ない。ネットでも見れないし、学校でも教えてくれない。人から断片的に聞くことは出来ても身に付かない。だからこそ自分で経験するしかない。
配属先で唯一の製品事業専任の生産管理の人と働けたのも良い経験だった。
月140時間超えの過労死レベルの時間外労働で常なピリピリしててあまりちゃんと話せなかったけど、、。すんごいセッカチで、エクセルのファイル数さえ増やしたくないみたいな、効率最優先な人だった。、、あまり性格は合わなかったw
でも、仕事は出来る人だった。
40後半で、多分業界歴は20年以上、僕の倍くらい。 これもあまり聞いてないけど、とあるカテゴリーで厳しいことで有名な会社出身。ブランド付きもOEMも両方経験。
職場にいた時はあまり考えなかったけど、その人が僕の目標だと思った。
上に書いたみたいな業界ノーマルに精通して、あらゆる臨機応変な対応が出来る。
コスト感覚に優れていてリードタイム、コスト比較の計算が早い。
時間の使い方、効率上げに貪欲で誰よりも先のことまで考えている。
人との関わりを大切にしており、急な手作業修理に、年齢層バラバラな業界経験者のヘルプが何人も呼べる。
常にお客さんの話す傾向や返答を予測しながら決して後手に回らない営業対応が出来る。
退職寸前に中国の連休国慶節に引っかかった商品があった。それの対応で短期退職した僕にまで連絡をくれた。
正直、電話があった時は何かダメ出しか文句言われないか冷や冷やしたけど、、w あと○時間で日本に着いた商品に手作業しないといけなくて、誰かヘルプ出来る人とか業者知らない?って。
先月同じ内容の電話を職場で聞いてた時は全然考えなかったけど、、
素直にこの人凄いなって思った。
なりふり構わずというか、問題解決に全力なのである。お客さんに納品するもの、遅れたらペナルティがある、今後の仕事にも影響する、だから当たり前と言えば当たり前なのかもしれないけど、、自社ブランド付きだった僕にその必死さは無かった。
40代というと9年の会社では地雷だった。社長含め、取り引き先も含め、まともな人がほとんどいなかった。鬱でドロップするとか、ミスが多いとか、過去に楽し過ぎて文句が多いとか、、20代30代がコアになってやっていたから、仕事が出来る40代というのは新卒で入った会社以来だった。それにしても、今まで見た中で1番仕事が出来る人だと思う。
漠然としてるけど、僕の20代の時の目標は村上春樹の小説に出て来る30代の主人公だった。
仕事を卒なくこなし綺麗好きで掃除や料理をしっかりこなす。身嗜みもちゃんと整えて、自己鍛錬を忘れないみたいな感じ。
30代になった時、そういった目標があんまり定まって無かった。有名な写真家の本を読み、この人の生き方凄いなカッコいいなとは思っても現実的ではなく、もうそんな憧れで生きていける年齢ではない現実の方が大きい。
アパレル業界に目を向けると、作る系職種デザイナーパタンナー生産管理の給与が低いこと、こだわり過ぎたデザインの服が嫌いなこと、ブランド自体が嫌いなとこもあったりなんかが目について、人に興味すら湧かない。。 業界内のことを知り過ぎて学生時代にメディアで見た〇〇ブランドのデザイナーやらバイヤー、プロデューサーなんて全く対象外。
新卒時にここに入れば安泰だよね的なアパレル大企業も軒並み傾き、ブランド売却だのライセンス停止だの投資ファンドで再建だのでリストラの嵐だし、、もう斜陽業界のアパレルに嫌気すら覚える。
でも洋服作りの仕事は好きだしアパレルでやっていきたいとは思うから、目標が欲しかった。
それが、自分と同じ職種のエキスパートである先輩かなと思った。 もっと柔和にいきたいとか、紙を減らしたいとか、プライベートも大事にしたいとか思うし、完璧にその人になりたいとは思わないけど、完璧な人なんていないわけで、それが分かったのもいい経験だった。
近年ね履歴書や職務経歴書に重要なこととして、自分が将来どうなりたいかという要素がある。それが無いと求人企業に対して志望動機や自己PRが伝えられない。これは求人紹介企業に教えてもらったこと。そういう意味でも今回の再就職は短期退職には至ったけれども、自分を見直して先を考えるいいきっかけだった。