まさかこんな早く会社都合退職になるなんて去年の今頃は思いもしなかった。月70時間の残業に溺れていた去年。今まで限りなく緩い小さな会社で働いていた自分には初めて社畜という言葉が浮かんでいた。それが今は終わりが見えているというあり得ない状況。悪く言えば後のことは知らんって感じで、仕事がさくさく進む。慣れと経験もあるけども。細かいことは気にせず、いかに引き継ぎをスムーズにやるかに邁進している。
有給よりも残業代。
事業譲渡になることは上ではほぼ確定していただろう2月。新しい勤怠システムが導入された。
それまでは、エクセルの勤怠表に自己申告だった。次長の印鑑を毎月もらうわけだけど、残業は25時間以内にするように指示されていた。実際は70時間超える月もあったけど。25時間超えると、勤怠表が管理部を通らない。表向きはみなし残業システムではないと言いつつ、実際はみなしだった。それが一転する。
タイムカードとリアルタイム勤怠システムが導入された。打刻と残業申請が必要になった。残業は次長に申請して許可が必要ということで、初めはめんどくせーとか結局みなしだろ?なんて思っていたけど、、
海外出張がからんで残業と休日出勤が重なった3月、給与明細を見て目が点になった。残業手当てが10万を超えていた。それまでは25時間みなし?で48000円が残業代。翌月も40数時間の残業で、9万円以上の残業代。月の手取りで5万増えたことになる。残業はやっただけ出るようになったらしい。
グループ会社は親会社のコンプライアンスをそのまま遵守しなければいけない。譲渡前になって、今までのグレーな勤怠に対する訴訟対策なのか知らんけど、棚ぼたである。
ということで、仮に有給で休もうものなら当然この残業代など付かないわけである。どうせ今の会社に勤務する7末までは就活しないし、有給使わずに残業代をもらうことにした。
次々といなくなる社員。
会社で最年少の営業が6末で退職した。彼は新卒でこの会社に入り4年目。子供が生まれたばかりで事業譲渡の件だった。次の会社が決まった状況での早期退職。世間的な見方では、会社の中で最も良い選択をしていると感じた。
20歳年上のお局デザイナーも先週末で退職した。
元々大手アパレルを渡り歩いたベテランデザイナー。僕も何度も一緒に仕事をしていて、昔ながらのデザイナーらしい人だった。
朝出勤すると、会社の席はスカスカである。あらゆる部署で有給を使いまくっている。
中国の仕入先に辞めると言った。
今年徹底した益率管理によって$120万以上の発注をしたメインの公司。さすがにヤバいと思ったのか電話がかかってきた。というのも、引き継ぐ上司は元々の担当で、公司的には管理が良くないと感じていらたしい。僕から上司には到底言えることではないけども。会長、総経理共々、30半ばの若い僕に対して、良く仕事をしてくれた。国内大手アパレル、商社の製品も作る古い公司である。次の会社に行って、紹介出来る仕入先の1つである。
親会社のOEM兼、直貿輸入LC代行担当者に辞めると言った。
直貿になる前にOEMで間に入っていた、僕から見ると前任者。繊維商社ウーマンの生き字引のような方である。10人前後で年間100億の売り上げを出す本社の精鋭で、社長の元右腕。送別会、、やりますか?事務の〇〇さん呼んで? 、、、すいませんバリキャリの方々に囲まれるのはなんか気が引けるので、、とは言わないけど、なんとなく濁した。
物流倉庫の所長と話してみた。
譲渡後は譲渡先の社名が下げ札に必要になる。それが入ってない製品が約10万枚ある。そのうち僕の担当製品は3000枚。7末少し前に日本に入る。なんでそんな遅いの?とのこと。元々7末納期だし、7月の船積みはコンテナぎりぎりな量なので、各公司の検品予定を鑑みて一まとめにした経緯を説明。じゃあ25日に倉庫で水着着て一緒に下げ札付けしようぜ!とのお誘い。 倉庫に行くと残業出来ないのでお断りしようか検討中。
ODMも問答無用で納品手配。
発注前にOKもらったはずの生地がなぜか修正指示。進行が1ヶ月近く遅れた。毎日いらん話もしながら公司を説得する日々。奇跡的な追い上げで製品が上がり検品所に入った。袋に入るシールも資材屋にネゴして4日前倒した。検品所も事前に根回しして1日で抜き取りから全力検査、たたみ箱詰めまでやってくれた。船積みも急遽前倒して、先方納期に間に合う算段に。親会社に確認したらLC手配出来てない、、早くやってくれと指示。結局LCの指定銀行名に問題発覚して、公司にネゴしてTT送金に。
検品所、社内検査でOKの出た納前を先方に提出したら、、シールの色がブレている、袋詰めがなんか中で製品が動いておかしいとのこと。確かに色は多少違うけど、近くで見ないと分からない程度、たたみも信じられないくらい指示通りで綺麗だった。シールも本番修正指示で確認の時間など全く無かった上、ただでさえ複雑なたたみも事前に確認提出してOKもらっていた。上司も直せねーから交渉して納品しろと営業に指示。最初の生地修正も営業が全て鵜呑みでもらってきた話である。出来る限りの手は尽くして納期は間に合わせたので後は知らん。
4月の面談で営業部長から譲渡後も続けると聞いていたODM。先日企画チーフから一言。来週、先方にお断りしに行きます。は? 次のシーズンからは辞めるらしい。
上司に少し引き継いでみた。
明日から僕に変わって中国出張の上司。僕が入る前は、直貿と国内を抱えて過労死レベルの残業の日々だったらしい。それが今は、国内と1番重い本社OEMの管理、そして当初と比べて型数が大幅に増えた僕担当の直貿を抱えようとしている。ぶっちゃけ、死ぬんじゃないか?って仕事量である。
出張前の打ち合わせで、進捗表を見せると、多いな、、、の一言。そりゃ仕入れ枠の30%近くあるので、、。 とりあえず検品所に入る数型の検品打ち合わせ、僕がいなくなる8月の船積み予定の詰め、その他素材の問題点などの確認を依頼。
話によると、移籍した後は直貿を本社OEMへ切り替えることも考えているらしい。手に負えないので。 この先親会社ではなくなる本社がマージン50%カットで受けてくれるのか、疑問である。
自社物流倉庫を使い、本社にとって破格の倉庫代で成り立っている輸入LC代行もどうなるやらである。物流倉庫は無くなる上に、譲渡先会社の倉庫は輸入貨物を置いておくだけのスペースが無い。
管理部トップさえ知らない移籍前後の予定。
事実上総務管理部トップのお局様から信じられない一言。8/1から移籍して出勤も向こうだけどさぁ、いつ引っ越しするの?8月度の支払い処理は誰がどうやるの? 引っ越しの準備は全く決まって無いらしい。考えてみると、自分も7/末まで出勤したら途中で引っ越し作業に駆り出されるんだろう。
内密にマンツーマンで依頼されている8月の手伝い。
営業事務など、移籍しない社員に対して手伝いの依頼があるらしい。自分はそんな話来てないので、報酬とかどうなるのか心配する必要も無いのだけど。仮に突然8月来てくれと言われたら、時給3500円なら行ってもいい。あと、沖縄旅行の飛行機代約30000円も支払って頂きたい。
唯一同年代男子の営業と話してみた。
全く移籍する予定は無かったけど、激しく説得されて移籍することにしたらしい。そもそも営業に関しては、部長から次長までの3人以外、全員移籍しない派だったとか、、。僕が入社前に、僕のポジションへの移動希望だった。通ってきた服の嗜好が近く、会社内で唯一タメっぽく話せる彼。こんな状況でなぜ、繊維を選んだのか、まじで後悔しているとのこと。友人の中でも1番給料が少ないのが理由である。確かに以前同年代の生地屋も同じことを言っていた。
僕らの世代は裏原を若い頃に通って繊維業界に入った人間が多い。裏原の作る側、ブランド、メーカーは、90年代の円高の恩恵を受けている。80年代のドメブラ出身のマンションメーカー、OEMが暗躍した。作れば売れて儲かるという、今考えるとそんな時代は二度と来ないと思える環境である。2000年に入ってデフレが進行して世の中な価値観も変わり、僕らが繊維業界に勤め始める頃には斜陽の一途を辿っていた。
まだまだ波乱が有りそうだけどあと少しである。
2年前の就活の勝手を覚えているからか、今の会社の経験で、どこに行ってもなんとかなると思えるからか、なぜか楽観視している感じは否めない。