浅草は雷門や仲見世通り、浅草寺が有名である。上野や浅草は羽田や成田から電車一本で来れることから、とにかく外人が多い。浅草は上野に比べたら欧米人がやや多い印象。雷門や仲見世はもうどこの国か分からなくなっているので、避けて浅草を嗜むようにしている。
雷門を右手に見て、北西へジグザグに進むとドンキホーテやWINSが有る通りへ。その先に進むと、ひさご通りがある。その入り口にお気に入りのラーメン屋、めんまるが有る。
ラーメン320円。昔ながらの中華そばである。これが美味い。この為だけに浅草に通ったことも。。 このラーメン、僕が知った何年か前は290円だった。中華チェーンの幸楽苑が320円に値上げした時も、めんまるは頑なに290円だったけど、しばらく前に320円になっていた。
浅草のラーメン屋は他にもいくつか有るけど、大抵は中華屋で500円前後で食べられる。
めんまるを出るといつもはふらふらと花やしきを左手に見ながら浅草寺方面へ。喫煙所で一服。
伝法院通りに出て仲見世通りとの十字路に有る芋屋?へ、夏はそこで紫芋ソフトクリームを嗜む。
オールドカメラにハマっていた時は、その目の前に有るヴィンテージ カメラショップの早稲田カメラを覗いた。
今日はひさご通りをまっすぐに進んでみた。
ひさご通りはマクドナルドや銀ダコが入ってるような新仲見世通りと違って、硬派な地元商店街だ。ぶっちゃけ何にもない。
めんまるの目の前に創業100年?のすき焼き屋が有るが、多分三社祭りの時には盛況なのかもしれない。
しばらく進むとゴトーパーラーなるフルーツパーラーに人が並んでいた。家族経営の果物屋が心機一転お洒落な内装で開店したのか、若い人で賑わっていた。その先は何も無い。
引き返してWINSを右手に見ながら西参道通りへ、からあげ屋のとお山にて、秘伝タレのからあげを嗜む。なかなか美味しかった。
それから伝法院通りへ、団子屋の楓にてみたらし団子と餡子団子を頂く。この団子屋もいつものコース。手軽で安定の美味しさ。
伝法院通りというと、今から30年くらい前に親に連れられてきた時に天麩羅を食べた覚えがあり、何処だろうなぁと思ってた。
今日探してみたら見つかった。
大黒屋である。
ちらっと店内見たら記憶と繋がった。今度行ってみようと思う。
30年前の浅草はあんまり覚えてないけど、仲見世通りの人形焼き、刀屋、カメラ屋、煎餅屋、おもちゃ屋は、今も変わらずに有る。
前職の同僚に生まれも育ちも浅草というメンズがいたんだけど、彼に聞くと仲見世終点のおもちゃ屋は小学生の時の同級生の家の店と言っていた。床を走り回るおもちゃとか、本当に何も変わらないと。。
ちなみに浅草三社祭りになると、浅草がどういう町なのか、はっきりと分かる。普段は外人や観光客がひっきりなしに訪れて、毎日大量の金銭を落としていく。祭りになると足の踏み場も無いくらい人で溢れる。観光客ではなく、祭りに参加する住人達である。彼らは裸にふんどし姿で道路に座り酒盛りをしたり、神輿を担ぐ。彼らは一様に見事な刺青が入っており、視界の80%は刺青という、他では経験出来ない状況になる。
前述した同僚の話によると、カタギでない人達は三社祭りの重要な出資者となっているらしい。同僚は浅草でブティックを経営する家の息子で、青年会の一員だった。全く興味無さそうなのに、毎年神輿を担ぐ羽目になるという。。
浅草からへのアクセスとしては、都営浅草線、都営地下鉄銀座線、東部伊勢崎線の3つの他、都営大江戸線の蔵前から徒歩15分も利用出来る。
京成線、JR山手、総武線などが通る上野に比べたら交通の便は良くないが、東京駅からバスも出てるらしい。JR総武線の錦糸町からもバスで行ける。
浅草は食べ歩きの町である。メンチカツ、からあげ、団子、餅、きびだんご、揚げ饅頭、肉まん、カレーパン、たいやき、たこ焼き、タコ煎餅、煎餅、人形焼き、雷おこし、メロンパン、パイナップルパン、ソフトクリームなどなど、、観光地に便乗して新興勢がよく分からない名物を立ち上げていたりする。東京でこれだけ多様な食べ歩きが出来るのは浅草だけである。
6年前くらいは今ほど外人が多くなかった気もするけど、最近はもう足の踏み場も無いほど外人だらけである。上野も同じ状況。急激に増えた。喫煙所で見渡すと7割外人だ。上野公園の入り口はスラム街みたいになっている。
ところで京都も外人でごった返していると聞く。booking.comでホテル検索しても手頃なホテルが取れない。なんでも日本人観光客が減っているとニュースで見た。浅草であの状況なのだから、京都はかなりヤバそうだ。そりゃ日本人行かなくなるよね。
僕が最後に京都に行ったのは約15年前。。外人が増える前に行けて良かった。機会が有ればまた行きたいと思ってたけど、今行ったら後悔しそうだ。
そうだ京都へ行こう。ってキャッチコピーが大昔に流行った。今ではそんな簡単に行けなくなっていると思う次第である。というか、もはや京都としても、旅行会社としても日本人観光客を求めなくてもいい状況なのかもしれない。