先日、93歳の天寿を全うされた須田寛さん。
ホンマに終生、根っからの鉄ちゃんマンでしたね。晩年は鉄道友の会の会長を務めたほどだから。うん。
まさしく経営から営業、そして鉄道ファンの相手まで極められましたよ。
幼少時は父親の跡を継いで画家になりたかったそうでしたが、後には路面電車(恐らくは京都市電?)の車掌の姿を見て、鉄道マンになる意志を確定。
その当時の日本はまだ暗黒の戦時下であり、多くの男児が兵隊さんになりたいとしていたが、寛さんはその意志をクラス担任の先生に言ったところ「貴様は、それでも日本人か!?」と強烈なビンタを食らったらしい。何だか、あのミポリンや八代亜紀さんを遥かに超える将来の連続テレビ小説(朝ドラ)の有力なモデル候補の一人になりそうだね。(微笑)
須田寛さんが旧国鉄に入社した1954年と言えば、私自身さえまだ生まれていないが、国鉄名古屋駅前では今の名鉄百貨店本館が仮オープン。また東海道本線は、ようやく沼津〜名古屋も電化開業し、80系電車が準急“東海”として颯爽とデビューした頃かな。まだ名古屋あるいは米原〜京都が非電化だったようだ。
なお、毎日新聞は昔から朝日や中日、読売以上に鉄道関連ニュースには敏感だ。
参考に該当記事のリンクを貼らせて戴きましたので、ご参照を。
須田寛さんのそうした鉄道マン精神はJR東海に限らず、全国の鉄道マンそして鉄道ファンの心の中で永遠に生きよう。
ちなみに旧国鉄の民営化はやむを得ないとしても、分割については、もともと否定的だったそうな。青春18切符の発案者の立場からか?
鉄道ジャーナルや鉄道ファン等の誌上でも今後、その功績は末永く淡々と語り継がれそうだ。
…………画像は、須田寛さんがJR東海発足直後にまず新造を決めた211系5000番代です。その次は快速用の311系へと発展。
しかしながら今や三岐鉄道三岐線に譲渡後の画像データしか殆ど手元にありませんので、ご了承ください。
追伸………あ!そうそう。JR浜松駅の在来線ホームにて久々に逢えたSS9編成のことをすっかりと忘れていましたわ。こちらも今は三岐鉄道三岐線に引き渡されましたね
。残っていたのはこれだけです。
あとは残された311系の姿を何とか捉えられれば………。