銀河夢急行

公共交通の話題を中心に、幅広く取り上げます。
都合により無予告で投稿を休止することもありますが、宜しくお願い致します。

いざ香嵐渓へ!!そして土橋駅へ!!とよたおいでんバスの運行業務も受託中。名鉄バス。

2024年12月16日 16時06分12秒 | 交通一般





名鉄バス豊田営業所配属の車両。最近は、とよたおいでんバスの運行ダイヤを代走することも、とみに多くなったような。
また近年では珍しく三菱ふそう製の車両も。
この後、名鉄豊田線の116F(普通・岩倉行き)で帰名しました。

豊橋からの復路は蒲郡経由豊田市へ。

2024年12月16日 15時55分00秒 | 紀行文



復路は快晴だったこともあり、名鉄西蒲線経由で知立、豊田市を回りました。
西蒲線の車両は画像の6011F、そして6504Fでした。知立駅からは6021Fに乗りました。
蒲郡駅から三河鳥羽駅までは帰宅する高校生らで車内も意外に、かなり賑わっていましたね。あの広見線末端部とは大違いかも。
安心しましたわ。うん。
…………最後の再活性化の切り札として、御嵩〜蒲郡にブルーミュースカイや3300系初期車、9500系を使った企画名称列車でも時折、走らせたらどうか??
かつては平日朝ラッシュ時に御嵩、八百津発蒲郡行きのエッパチ(AL車の8両編成)による直通の輸送力列車もあったような。確か1980年頃まで見られたかな。うん。

路線系統数的にはかなり寂れた、名鉄バスセンター。

2024年12月16日 12時03分06秒 | 交通一般
こちらも名鉄名駅ビル群の解体に伴い姿を消すことになる名鉄バスセンターです。
1967年のオープン時には無数の路線系統があり、殆どが車掌乗務でしたね。近隣の名古屋市営バスと並んで、まさしく全盛期でしたよ。
しかしながら、後に名鉄豊田線や地下鉄上飯田線、そして“ゆとりーとライン”の開業もあり、今は一般乗合系統は岩塚線と名古屋津島線、本地ヶ原線(基幹出来町線経由)だけになり、かなり寂しくなりましたね。
勿論、比較的長距離の高速乗合系統は連日、花盛りなのだが。うん。

解体が迫って来た名鉄百貨店本店等の名駅ビル群。

2024年12月16日 11時28分17秒 | 百貨店・ショッピング

2027年春には解体着手とみられる名鉄名古屋駅前の名鉄名駅ビル群です。
私自身にとっては、栄のテレビ塔や松坂屋本店本館に次ぐ我が地元の象徴にも見えたものでしたね。うん。
あのナナちゃん人形。再開発事業中の暫くの期間は、どう保管されるのかな? あるいはJRタワーズ側が預かって仮移設なのかな?
・追伸…………そう言えば、私自身がまだ3〜5歳頃、つまり1959年から61年頃までかな。我が儘且つやんちゃ盛りで、当時は本館の5階に広い玩具売り場があり、若かりし父母に泣きわめいて執拗にねだった思い出も。当時は極めて珍しかった“おもちゃ病院”もありましたよ。
確か鉄道模型ブースもあり、名鉄3850系や5500系のHOゲージの電車作品も展示していたなぁ………。
これが、サーモンピンクとマルーンのツートンカラーの名鉄電車を好むきっかけの一つにもなったような。
東武鉄道日光線でも1700系やDRCとも呼ばれた1720系がよく似たカラーデザインでしたが、名鉄5500系の方が断然に明るい感じでしたね。うん。

また、名鉄ホールへ芝居を見に行ったこともありましたね。
再開発事業後は、もしかしたら、どの思い出も忘却の彼方へ??