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聖木曜日 【公教要理】第三十五講 贖罪の玄義[歴史編]

2019年03月29日 | 公教要理
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(Billecocq)神父様による公教要理をご紹介します。
※この公教要理は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております

公教要理-第三十五講  贖罪の玄義・歴史編・聖木曜日


【聖木曜日】
聖木曜日の朝です。私たちの主はベタニアにおられます。ベタニアでの最後の一泊を過ごしたところです。夜明けに、私たちの主は過越し祭の準備に入ります。ユダヤの一番の大祭りで、私たちの主は勿論過越し祭の食事を食べるつもりです。とはいえ、その年の過越し祭は特別になります。

過越し祭の準備のために、ペトロとヨハネの二人の使徒を遣わします。考えてみると、この選択は不思議でした。というのも、本来ならば、使徒ユダを遣わすはずだったからです。以前の数年は、ユダが過越し祭の準備に当っていました。ユダが財布係だったので、当然ながら、ユダこそが必要な品の選択と購入や交渉に当たり、祭りに当たっても準備を進めるはずです。しかしながら、今回、私たちの主はユダを遣わしません。というのも、使徒ユダが、その時、既に私たちの主を売り渡したからです。私たちの主はご自分の決めた時に死ぬことになさったので、ユダの都合の良い時に渡されるわけにはいきません。

従って、ペトロとヨハネを遣わします。ユダにとって、主のことが分かっています。「可笑しい。何かを隠しているのではないか」とユダが考えながら、聖ペトロと聖ヨハネに向けての主の指示を盗聴します。それで「得た情報で、司祭たちに内密してやろう、それで過越し祭の前に逮捕させよう」といったユダの狙いです。

ところが、心を読み取れる私たちの主は、またご自分の死が何時、何処なのかを御自分で決め、ペトロとヨハネへこう仰せになります。「私たちの食事のために過ぎ越しの準備をしにいけ」 と。二人の使徒は「どこに準備すればよろしいでしょうか」 と質問します。とたんに、ユダが耳を澄ませます。逮捕するための貴重な情報を。ところで、私たちの主は次の通りにお答えです。これも、実に、イエズス・キリストは本当に天主であることのもう一つの証明です。ユダがこれを聞いて、より深刻に考えればよかったのに。
私たちの主曰く。「市中に入ると水がめを持っている人に出会うから、その人の入る家について行き、家の主人に、〈先生が“弟子たちと共に過ぎ越しの食事をする部屋はどこか”と申されました〉と言え。すると、主人は席を整えた二階の大広間を見せてくれるから、そこに準備せよ」と。

ユダはかなり困りますね。ペトロとヨハネと一緒に行かない限りに、どこで過ぎ越しをやるか分からないからです。ですが、一緒に行ったら皆に見られてしまうので、行けないのです。そういえば、聖ペトロと聖ヨハネも場所がまだ分からないわけですが、その内に分かります。
それから、聖ペトロと聖ヨハネは二人で行って、過越し祭の準備をしに行きます。私たちの主のおっしゃったとおりに、物事は進みます。エルサレムに入ったら、なんと、二人ではなく、一人の水がめを持っている人に出会います。聖ペトロと聖ヨハネは彼の後に付いて行き、私たちの主の言われたとおりに、私たちの主が過越し祭の食事を食べる場所を案内されます。

その場所はラテン語でチェナクルムという所です。チェナクルムは「上の部屋」(高間)という意味で、地面より高い位置にあります。要するに、大体の場合、家の二階にある部屋です。その上に、大体の場合は、その二階の全面を占める大部屋です。そこの大広間で、基本的に、過ぎ越しの食事の他に、食事するために接客賓客室のような場所でした。具体的にいうと、当時の食事の習慣に従って、「U」型にテーブルを配置します。そして、その「U」型のテーブルの外側に、ある種のソファーを幾つ置きます。というのも、当時の習慣は、横になったままに、食事を取ることになっていました。右手に横になって食べると思います。

要するに、このような配置で、聖ペトロと聖ヨハネは食卓を準備します。それから、料理をも準備します。以上の準備は、使徒ユダの協力抜きで行われます。ユダは困ります。過ぎ越しの食事はどこに挙げられるか、気になってならないユダです。それから、私たちの主は昼の間にベタニアのままで、夕方になったら、過ぎ越しを祝うために、エルサレムへいらっしゃいます。
というわけで、私たちの主は一日早めに過越し祭を祝ったということになるでしょうか。ユダヤ教では、一日の始まりは、前夜の星が現れたら新しい一日になります。つまり、私たちの主は、聖木曜日の夜に、過ぎ越しの食事を食べたとはいえ、ユダヤ教上に、夜になっていたので、既に聖金曜日になって食べたということになります。日暮れ以降にたべました。日差しが消えたら、聖木曜日の日はおわるからです。

私たちの主は、夕方にエルサレムに行って、直接にチェナクルムにいらっしゃいます。天主なので、勿論、チェナクルムはどこにあるかご存知です。それから、過ぎ越しの食事という行事が行われます。私たちの主は、厳密にその儀礼にそって、挙げることになさいました。そして、モーゼによって定められた儀礼通りに、私たちの主は式を挙げました。
とはいえ、単なる儀礼を行うだけではなく、さらに私たちの主はその儀礼を超越します。というのも、その超越というのは、その時の食事の際、御聖体と叙階の二つの秘跡を制定なさったからです。


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【過ぎ越しの食事】
使徒たちと一緒に私たちの主は、過ぎ越しの食事を召しあがります。皆がその二階の上の部屋というチェナクルムに到着します。それから、各々が自分の席に着きます。当然ながら、私たちの主が首席にお座りです。使徒たちの先生であり、いやそれよりも、天主なので、当然に主宰なさいます。

それから、食事の流れですが、大体三部に分けることができます。というのも、三回の食事は出るわけです。
【第一の食事:苦い草とソース】
第一の食事は、苦い野レタスとともに、赤味を帯びた濃厚ソースと苦い草からなります。ソースは酢と塩水からなります。この第一回の食事の意味はなんでしょうか。苦い草というのは、ヘブライの民がエジプト人から強いられた苦悩を象徴します。一旦、思い出しましょう。旧約聖書において、過越し祭の意味はエジプトからの脱出です。つまり天主が決めた、エジプトでの奴隷従属を解いた日を意味し、ヘブライの民が奴隷従属から解放されてエジプトを出たことを祝う祭りです。
ということで、第一回の食事は、苦い草を通じて奴隷時代のこととエジプトでの苦渋を思い起こします。そういった苦渋を、ユダヤ人は決して忘れませんでした。続いて、赤味のソースというのは、通説によると、煉瓦とセメントを思い起こします。つまり、エジプトでの奴隷従属のヘブライ民のファラオに強いられた作業は建築だったので、煉瓦とセメントはそれを示します。以上は第一回の食事の紹介でした。第一回の食事を食べ終わったら、一旦、苦みの杯を飲んでから、手を洗います。


【第二の食事:喜びの肉料理】
それから、第二の食事が続きます。賛美の聖歌から始まります。聖歌の後に、宴のメインとなる肉類を食べることになります。第二の食事が終わったら、喜びの杯を飲むのです。第二回の食事は、自明なことに、エジプトから出た喜びを象徴します。また、天主の御手に委ねられたという喜びを示します。つまり、紅海とヨルダン川の通過を祝う食事です。エジプトから出た時の紅海の通過と、砂漠で四十年間、彷徨(さまよ)ってから聖地に入るときのヨルダン川の通過です。以上は、第二回の食事の紹介でした。

【第三の食事:種なしパンと過ぎ越しの羊】
最後に、第三の食事です。種無しパン、つまり無酵母パンです。言い換えると、膨らんでいないパンで、ガレットみたいな状態になっているパンですね。そして、過ぎ越しの羊も第三回の時に出されます。過ぎ越しの羊を食べるのは、第三回の食事の際でした。過ぎ越しの羊の調理なのですが、先ず羊に串を通すことでした。串は十字という形で、その後に煮ることもなくて、炒めることもなくて、火で焼くことでした。羊の全部を食べ尽くすことになっていました。食べ尽くせない部分は残ったら、それらの余分を燃やしました。羊の何も残らないように、完全に滅(めっ)するようにしました。以上の規定は、律法の定めるところでした。種無しパンというのは、一方エジプトの偶像崇拝から解放されたことを象徴し、パンを膨らます時間もないほどにエジプトから出たという準備不足な急な出発を思い起こす意味もありました。

要するに、過越し祭の食事には象徴が多く、ヘブライの民のために天主のなさった諸奇跡を思い起こし、それから、奴隷従属から解放し給い聖地まで導き給ったことを思い起こす儀礼でした。

【聖金曜日は前兆の実現】
以上の諸象徴は、前兆ともなり聖金曜日には、私たちの主イエズス・キリストこそが、それらの象徴を実現し給うことになり、果し給うことになります。つまり、罪という別の隷属から解放し給います。そして、約束なさった蜂蜜と乳の溢れる天国という別の聖地に導き給います。至福へ。

両方の間に驚くほどの類似がありますが、どちらかというと、象徴と事実との関係です。
要するに、私たちの主は、最後の過越しの食事を食べますが、その上に、その食事に織り込まれている旧約聖書の諸象徴・前兆を事実に移し、実現なさるのです。
羊を食べ尽くしてから、ヘブライ民への天主の祝福の杯を回して飲みました。その後に、賛美の聖歌が唱えられました。

以上、過ぎ越しの祭の流れをご紹介しました。また、作法・儀礼正しく、私たちの主は最期の過越しの祭を全うしました。
要約すると、三回の食事をきちんとやります。苦い草を赤味のソースにつけたり、使徒たちと一緒に、肉類と過ぎ越しの羊を食べたりします。その食事に当たって、腰に帯を覆う姿で食べました。これは聖地に行くために急にエジプトを出る旅人の姿を象徴しました。つまり、私たちも皆、地上において、旅人で、旅行者なのです。
以上は使徒たちと一緒に私たちの主がお食べになった過ぎ越しの祭のご紹介でした。


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