シスター・ルシアの手記の日本語訳(続き)
ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007
英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007
フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008
9 罪人の回心
ジャシンタは、罪人の回心のために犠牲を捧げるというこのことを心に良く思い留めていました。そのためどんな小さな犠牲の機会も決して逃しませんでした。その当時、モニタ[注10] には、その子供たちが家から家へと物乞いをしてまわる二件の家族がありました。
[注10] その当時、御出現の場であるコヴァ・ダ・イリヤの北、約1キロのところにあった小さい村。
私たちはある日、私たちの羊と一緒に移動しているときに、この子たちと会いました。ジャシンタは彼らを見るやいなや、私たちにこう言いました。
「罪人たちの回心のために、私たちのお昼のお弁当をこのかわいそうな子供たちにあげようよ。」
そしてジャシンタはお弁当を彼らに持って行くために走りました。その午後、ジャシンタはお腹が減ったと私に言いました。近くにトキワガシの木や樫の木がありました。樫の木の実はまだとても青かったのですが、私はジャシンタにこれを食べることができると言いました。フランシスコはトキワガシに登ってポケットを木の実でいっぱいにしました。しかし、ジャシンタはその代わりに樫の木の実を食べることができると思い出して、苦い木の実を食べて犠牲を捧げようとしました。そこでその午後は、私たちはこの美味しい食事を!楽しみました。ジャシンタはこれをいつもの犠牲の一つとしました。そしてよく樫の木やオリーブの木から実を取っていました。
ある日、私はジャシンタにこう言いました。
「ジャシンタちゃん、それ食べちゃダメよ。苦すぎるから!」
「でもね、苦いから私食べてるの。罪人の回心のために。」
私たちが断食したのは、このときだけではありませんでした。こんな貧しい子供たちと出会ったらいつでもこの子たちに私たちのお弁当をあげるという約束をしていたのです。子供たちはそのようなものをもらうのは、とても喜んでいました。そこで私たちとよく会おうとしました。この子たちは道ばたでよく私たちを待っていました。私たちといえば、彼らを見るやいなや、ジャシンタは彼らのところに走って行って、あたかもそれをジャシンタが全く必要としないかのように喜んで、私たちが持っていたその日の食べ物をみんな彼らにあげました。
そのような日は、私たちの唯一の栄養物は松の実です。それから黄色い花の草の根に実を付けるオリーブの実のサイズの小さな木の実やブラックベリー、マッシュルーム、あるいは松の木の根元に見つける他のものです。その名前をなんと言ったかもう今では思い出せません。もしも両親の庭にある果実があればそれも食べました。
ジャシンタの犠牲をしたいという渇きは、癒やすことができないように思えました。ある日、ある隣人が私の母に私たちの羊のためのよい牧草地を提供しました。それはとても遠いところにあり、真夏でした。極めて寛大な提供を母は受け入れ、私をそこへ送りました。母は私に、群れが行って飲むことができる池が近くにあるから、木陰で昼寝をするように、と言いつけました。道の途中、私たちは例の親愛なる貧しい子供たちにあいました。ジャシンタはいつもの施しを与えるために走りました。とても素晴らしい天気でしたが、太陽は燦然と輝き、乾いて、石だらけの、荒れ地でした。全てが太陽で焼け焦がれているかのように思われました。私たちは喉が渇き苦しみましたが、私たちが飲む水は一滴もありませんでした。最初は、寛大に罪人たちの回心のためにこの犠牲を捧げていましたが、お昼を過ぎるともう我慢できませんでした。
近くに家があったので、少し水をもらってくると仲間に提案しました。二人はこれに同意し、私は行ってドアを叩きました。背の低いお婆さんが水入れにいっぱいのお水をくれたばかりかパンもくれました。私は喜んでそれを頂きました。私は走って行って小さな仲間と分けるために戻りました。私が水入れをフランシスコに差し出して、飲むように言うと、
「僕、飲みたくない」と答えました。
「なんで?」
「罪人の回心のために、僕、苦しみたいから。」
「ジャシンタ、飲みな!」
「でも、私、罪人の回心のためにこの犠牲を捧げたいの。」
そこで私は水を岩の穴に注ぎました。羊が飲むことができるようにです。それから水入れを持ち主に返しに行きました。暑さはますます厳しくなりました。虫の鳴き声と近くの池の蛙の鳴き声とが混ざり合い、ほとんど我慢することができないほどでした。ジャシンタは体が弱いので、水と食べ物を摂らずにますます衰弱していました。私に、ジャシンタは生まれつきの単純さでこう言いました。
「虫とカエルに静かにしてちょうだいって言って。頭がきりきりするの。」
するとフランシスコはジャシンタにこう尋ねました。
「罪人たちのために、この苦しみを捧げたかったんじゃないの?」
かわいそうなジャシンタは、小さな手で頭を抑えながら、こう答えました。
「そうよ。捧げたいの。歌を歌いましょう。」
(続く)
ポルトガル語原文は次で読めます。
MEMÓRIAS DA IRMÃ LÚCIA I
Compilação do P.e Luís Kondor, SVD, 13ª edição, Outubro de 2007
英語訳は次にあります。
FATIMA in Lucia's own words (Sister Lucia's Memoirs)
Edited by FR. LOUIS KONDOR, SVD., 16th edition, July 2007
フランス語訳は次にあります。
MEMOIRES DE SŒUR LUCIE
Textes édités par le Père Louis Kondor, SVD, Septième édition, septembre 2008
第一の手記
I. ジャシンタの性格
I. ジャシンタの性格
9 罪人の回心
ジャシンタは、罪人の回心のために犠牲を捧げるというこのことを心に良く思い留めていました。そのためどんな小さな犠牲の機会も決して逃しませんでした。その当時、モニタ[注10] には、その子供たちが家から家へと物乞いをしてまわる二件の家族がありました。
[注10] その当時、御出現の場であるコヴァ・ダ・イリヤの北、約1キロのところにあった小さい村。
私たちはある日、私たちの羊と一緒に移動しているときに、この子たちと会いました。ジャシンタは彼らを見るやいなや、私たちにこう言いました。
「罪人たちの回心のために、私たちのお昼のお弁当をこのかわいそうな子供たちにあげようよ。」
そしてジャシンタはお弁当を彼らに持って行くために走りました。その午後、ジャシンタはお腹が減ったと私に言いました。近くにトキワガシの木や樫の木がありました。樫の木の実はまだとても青かったのですが、私はジャシンタにこれを食べることができると言いました。フランシスコはトキワガシに登ってポケットを木の実でいっぱいにしました。しかし、ジャシンタはその代わりに樫の木の実を食べることができると思い出して、苦い木の実を食べて犠牲を捧げようとしました。そこでその午後は、私たちはこの美味しい食事を!楽しみました。ジャシンタはこれをいつもの犠牲の一つとしました。そしてよく樫の木やオリーブの木から実を取っていました。
ある日、私はジャシンタにこう言いました。
「ジャシンタちゃん、それ食べちゃダメよ。苦すぎるから!」
「でもね、苦いから私食べてるの。罪人の回心のために。」
私たちが断食したのは、このときだけではありませんでした。こんな貧しい子供たちと出会ったらいつでもこの子たちに私たちのお弁当をあげるという約束をしていたのです。子供たちはそのようなものをもらうのは、とても喜んでいました。そこで私たちとよく会おうとしました。この子たちは道ばたでよく私たちを待っていました。私たちといえば、彼らを見るやいなや、ジャシンタは彼らのところに走って行って、あたかもそれをジャシンタが全く必要としないかのように喜んで、私たちが持っていたその日の食べ物をみんな彼らにあげました。
そのような日は、私たちの唯一の栄養物は松の実です。それから黄色い花の草の根に実を付けるオリーブの実のサイズの小さな木の実やブラックベリー、マッシュルーム、あるいは松の木の根元に見つける他のものです。その名前をなんと言ったかもう今では思い出せません。もしも両親の庭にある果実があればそれも食べました。
ジャシンタの犠牲をしたいという渇きは、癒やすことができないように思えました。ある日、ある隣人が私の母に私たちの羊のためのよい牧草地を提供しました。それはとても遠いところにあり、真夏でした。極めて寛大な提供を母は受け入れ、私をそこへ送りました。母は私に、群れが行って飲むことができる池が近くにあるから、木陰で昼寝をするように、と言いつけました。道の途中、私たちは例の親愛なる貧しい子供たちにあいました。ジャシンタはいつもの施しを与えるために走りました。とても素晴らしい天気でしたが、太陽は燦然と輝き、乾いて、石だらけの、荒れ地でした。全てが太陽で焼け焦がれているかのように思われました。私たちは喉が渇き苦しみましたが、私たちが飲む水は一滴もありませんでした。最初は、寛大に罪人たちの回心のためにこの犠牲を捧げていましたが、お昼を過ぎるともう我慢できませんでした。
近くに家があったので、少し水をもらってくると仲間に提案しました。二人はこれに同意し、私は行ってドアを叩きました。背の低いお婆さんが水入れにいっぱいのお水をくれたばかりかパンもくれました。私は喜んでそれを頂きました。私は走って行って小さな仲間と分けるために戻りました。私が水入れをフランシスコに差し出して、飲むように言うと、
「僕、飲みたくない」と答えました。
「なんで?」
「罪人の回心のために、僕、苦しみたいから。」
「ジャシンタ、飲みな!」
「でも、私、罪人の回心のためにこの犠牲を捧げたいの。」
そこで私は水を岩の穴に注ぎました。羊が飲むことができるようにです。それから水入れを持ち主に返しに行きました。暑さはますます厳しくなりました。虫の鳴き声と近くの池の蛙の鳴き声とが混ざり合い、ほとんど我慢することができないほどでした。ジャシンタは体が弱いので、水と食べ物を摂らずにますます衰弱していました。私に、ジャシンタは生まれつきの単純さでこう言いました。
「虫とカエルに静かにしてちょうだいって言って。頭がきりきりするの。」
するとフランシスコはジャシンタにこう尋ねました。
「罪人たちのために、この苦しみを捧げたかったんじゃないの?」
かわいそうなジャシンタは、小さな手で頭を抑えながら、こう答えました。
「そうよ。捧げたいの。歌を歌いましょう。」
(続く)
現代において、とくに日本では生命倫理に関してはカトリック教会が声を高らかに宣言しなくてはならないことがたくさんあります。
ファティマ御出現の100周年の今年にあたって素晴らしいブログをありがとうございます。
祈りのうちに。
ジュゼッペさん、はじめまして!
コメントをありがとうございます。お返事が遅くなってしまって ごめんなさい。
ファチマの聖母の会・プロライフでは、お母さんのお腹の中の赤ちゃんの命が守られますよう 活動もしています。
たくさんのカトリック信者の皆様とマーチフォーライフに参加することで 日本でもカトリックの生命倫理をしっかりアピールしたいと思っています。
ジョゼッペさんも 7月17日のマーチフォーライフに ご都合が良ければ参加してください。参加が無理でも友達や知り合いの方にお伝えいただければ嬉しく思います。
お祈りをありがとうございます。
ジョゼッペさんに ファチマの聖母のお恵みが豊かにありますこと 心よりお祈り申し上げます。
http://blog.goo.ne.jp/little-dragon0803/e/0c8f87cbe748cd9b702255c0a8850e6c
許可を頂く前に私のブログにて紹介させて頂きましたが宜しいでしょうか?
差し支え有りましたら私のブログにてコメントを下さい。コメント欄は非公開になっております。よろしくお願いします。
ファチマの聖母の会の皆様、
ジュゼッペ様、
生命のための大切な運動が広がっていますね。
素晴らしい!
ファチマのマリア様のお力ですね。
応援しております。
ジュゼッペさんを二度も違う名前で呼んでしまったり、スムーズに返事ができなかったりして、ごめんなさい。もちろん宣伝していただきましたことありがたくて、というより こちらから頭を下げて宣伝をお願いしたかったところです、マーチフォーライフの記事を素晴らしく紹介してくださいまして 心よりお礼を申しあげます。
ブログを拝見しました。国連の人口抑制政策の実態は怖しいものなのですね。日本の中絶数も非常に多く、「お腹の中で殺された赤ちゃんは天国のような完全な幸福を得ることはできない」という言葉は胸に突き刺さります。赤ちゃんは生まれることができたら、自分で真理を探し求めて永遠の命を得ることもできたことでしょう。
“中絶は殺人であり戦争である”ということをカトリック教会こそ声を大にして言わねばならないとあらためて思いました。
他にもファチマの聖母のお望みとおもわれるような記事がたくさん掲載されていると感じました。ジュゼッペさんのカトリック的な見識の高さと真摯な信仰に触れることができて、とても励まされます。これからもカトリック信者に勇気を与えて下さいね。
またこちらのブログへの訪問をお待ちしています。
ファチマの聖母我等のために祈り給え!ロザリオの聖母我等のために祈り給え!