ファチマの聖母の会・プロライフ

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救霊パスポート

2021年11月03日 | お説教
白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの、ビルコック(G. Billecocq)神父様によるお説教をご紹介します。
※このお説教は、 白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために書き起こしをアップしております



ビルコック(G. Billecocq)神父様のお説教  
救霊パスポート
2021年08月15日 聖母被昇天
Saint-Nicolas du Chardonnet教会にて

聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン

愛する兄弟の皆様、1950年から、カトリック信仰の一つの信条として、被昇天を祝うことになっています。本日の玄義を黙想すると、三つの側面が現れて、同じ玄義から三つの点が浮かびます。
第一点、いとも聖なる童貞マリアはこの世を去られたということです。
第二点、聖母マリアは天国に昇られたということです。
第三点、聖母マリアは天国で冠を戴き、天地の元后になったということです。

被昇天の玄義の第一の側面はいとも聖なる童貞マリアはこの世を去られたということです。人間なら皆、例外なく、いずれか死ぬということを知っています。この世に残るために人間は創造されたわけではありません。人間が欲しがる幸せはこの世には存在しません。聖母マリアも人間の一人にして、このような普遍的な原則に従ったわけです。つまり、聖母マリアの居場所はこの世ではないという意味で、一緒です。ですから、ある日、この世を去り、天国へ行かれました。

聖母マリアはこの世を去られたのですが具体的にどのように去られたでしょうか?その点について信条はまだ確定になっていなくて、教皇ピオ12世は信条を確立した時、聖母マリアは死んだか死ななかったかという点について断言しなかったのです。神学者の意見は分かれていて、聖母マリアは死んでから被昇天した説もあれば、死なないで被昇天したという説もあります。言いかえると、被昇天の際に聖母マリアは死んでいたか死んでいなかったかというのは信条ではなく、神学者の議論にゆだねられており、違う意見をもっても現時点では大丈夫です。



ただし、確かに言えるのは、聖母マリアは死んでいたとしても、その体は腐敗していなかったことは確実な事実であり、神学者、教父たちは揃って断言していることです。また、聖母マリアの体は死ぬことによる腐敗を経験しなかったことは信条です。というのも教皇ピオ12世は被昇天の教義を宣言する教皇回勅はその点を明らかにして断言されているのです。聖母マリアは死ぬことによる体の腐敗を経験しなかったということです。

死んだか死ななかったかにはかかわらず、聖母マリアはこの世を去られなければなりませんでした。そして、聖母マリアはこの世の去り方に関していうと、聖母マリアが生きておられた延長線にあるということです。つまり恩寵に満ちた世の去り方でした。ですから、聖母マリアの被昇天はどちらかというと非常に自然なことでした。言いかえると、聖母マリアの場合は、地上の彼女の人生と天国での人生は完全に継続しているというということです。聖母マリアに限って断絶はありません。

ご存じのように、教義に照らして、信徳というのは至福の前触れであり、望徳は至福を得ることの前触れでありますが、愛徳は前触れではないのです。地上で愛徳の内に生きた時、同じ愛徳の内に天国で生きていくということです。ただ、愛徳の内の生き方は地上と天国と違っていて、地上では信徳を通じて愛徳の内に生きられる一方、天国では直接に天主を見て愛徳の内に生きるということになります。

聖母マリアの場合、愛徳の内に聖寵による絶えまない上昇の人生でした。そして、この世で最高の程度を達した時、愛徳による同じ動きを続けてこのまま、被昇天が起きて、天国で完全な愛徳に達しました。つまり、聖母マリアにとって、この世から天国への上昇は容易でしたし、苦しみもなかったわけです。

「死んだ」という意見の神学者は「愛徳のあまりに死なれた」といっています。具体的にいうとエクスタシー(天主との一致によるこの世での恍惚状態)のあまり、聖母マリアの霊魂はつい、何の断絶も、何の苦しみもなく、体から抜けて天主を直接見ることができたということです。

さて、愛する兄弟の皆様、以上の第一点からの教訓はなんですか。聖母マリアは御子イエズスに続いて、違う形で、死に対して打ち勝ったということです。我らの主、イエズス・キリストは死なれたことによって死に打ち勝ったのですが、聖母マリアは天国へ容易に苦しみなしに昇られたことによって死に打ち勝ったということです。

ですから、私たちは聖母マリアにこのような良き死という恵みを頼みましょう。また、ロザリオを祈っている時、栄えの玄義を黙想する時、被昇天の玄義の時に、善き死、よく死ぬ徳を頼んでいるわけです。善き死を得るために何が必要ですか?よく生きてきたということです。聖母マリアは私たちにとって、善き死の本当の模範であるということです。聖母マリアは一生の霊的な上昇を続けて、その延長線上に天国へ自然にいかれたという完璧な霊的な生活を送りました。ですから、私たちもよく死にたいと思うのなら、よく生きることを務めなければなりません。本日、いとも聖なる童貞マリアに善く死ぬ恵みを希いましょう。



玄義の第二側面、聖母マリアは天国に昇られたということです。死んだか死ななかったにはかかわらず、いずれにせよ、天国に昇られました。死なれなかった場合、被昇天はそのままに行われて、死なれた場合、腐敗していない体はすぐ、霊魂と体は改めて一緒になって、霊魂と体はともに天国に昇られたということです。結果は同じです。聖母マリアは霊魂とともに体をもって天国に昇られました。これも信条です。

イエズスはいとも聖なる童貞マリアのためにこの上ない恵みを与え給うたのはなぜでしょうか?聖母マリアに対する報いです。一生、完全に清らかの状態を保たれた聖母マリアのいとも潔白さに対する報いですが、同時に、童貞のまま宿られたことに対する報いでもあります。聖母マリアの体は無傷無事の一生であって、罪からも腐敗からも穢れも受けなかったのです。というのも聖母マリアは一度も、罪の道具にならなかっただけではなく、罪を受け入れた神殿になったこともないからです。罪を犯したことのない聖母マリアの体は罪の道具になりませんでした。原罪から守られた聖母マリアの体は罪の神殿にも(我々と違って生まれながら)なったことはありませんでした。このように、聖母マリアの体は一度も一切、何の罪の汚点を負ったことはありませんでした。

そこで、霊魂だけではなく体とともに聖母マリアの被昇天をさせたイエズス・キリストはなぜ、御母にこの恵みを与え給うたのでしょうか?
童貞聖母マリアの体には現世欲による動きは一度もなかったのです。洗礼を受けても告解などをはじめとする秘蹟の内に聖寵を受けて生きていても、現世欲による動きと混乱をわれわれは常に経験しています。というのも、この現世欲は原罪による傷跡のように、我々の本性は損なわれているからです。これは、いとも聖なる童貞マリアの罪に対する勝利です。

被昇天とは死を打ち勝ったと同時に、罪に打ち勝ったのです。また、罪に対する典型的な勝利であると同時に、我々のよみがえりをも思い起こされると預言されています。つまり、我々はよみがえった時、決定的に完全に罪と現世欲にたいして勝利することになるからです。
ですから、私たちは自分の体を自分の霊魂に従わせられるように、それから自分の霊魂は聖寵に従わせられるように、いとも聖なる童貞マリアにこの恵みを祈りましょう。




我々はこのように生きなければなりません。体は霊魂に従って、霊魂は聖寵に従うという生き方です。そして、聖母マリアは天国に体とともに直接に昇られた理由は簡単です。聖母マリアはこのような従順は一瞬も絶えたことはないからです。また生まれた時から地上の最期まで聖母マリアの従順は完璧だったからです。聖母マリアは罪に打ち勝ちました。そして、我らの祈りと信心次第で、聖母マリアは罪に対する勝利を我らにも与えてくださいます。

いとも愛する兄弟の皆様、被昇天の教義の第三点、聖母マリアは天国で冠を戴き、天地の元后になったという側面を見ましょう。霊魂と体とともに天国に昇られた聖母マリアです。そして、このように天国にいる体としては二人目です。一人目はイエズス・キリストの御体なのです。そこで天使たちは創造中の最高被創造物である聖母マリアを眺めて喜ばれます。天使たちやすでに天国に行けた選ばれた福者の霊魂たちもみんな、聖母マリアの清らかな体を見ています。また、聖母マリアの霊魂の美しさをも見ています。



そして聖母マリアは高く高く高く天国へ。選ばれた者全員より高く天国へ。旧約聖書の正しき者にせよ、イエズスの昇天よりすでに裁かれて天国に入れた聖人にせよ、九階の天使たちにせよ、一番偉い天使ケルビムとセラフィムにせよ、聖母マリアは皆の前を通り、無原罪の美しさを見せられて、より高くいかれます。

全員よりも聖母マリアはその美しさにおいても神聖さにおいて優れています。このように聖母マリアは天主の内の一番美しい天使よりも高く昇られて、天主の王座のみ前にたどり着かれます。そのみ前に冠を戴きます。王妃として冠を頂きます。天地の王妃となります。聖母マリアは人間の一員であるのに、天使の王妃ともなります。ある時代の一点に生まれて儚い時代を生きた聖母マリアは創造の前から存在するだろう天使の王妃となります。聖母マリアは儚い単なる被創造者、しかも女性であるのに、冠を頂き天地の王妃となります。天主の御母であるので冠を頂きます。我らの主はその栄光を報いるために天地の王国の統治に聖母マリアを参加させ給うのです。このように、本日、被昇天の祝日をもって現世に対する勝利をも祝います。

聖母マリアは死と罪とに打ち勝っただけではなく、天地の王妃としても現世にも打ち勝ちます。愛する兄弟の皆様、この事実は私たちにとって大きな希望となります。イエズス・キリストも使徒たちに向けてこの事実を明らかに仰せになりましたように、この世の王妃となる聖母マリアは現世的な王国を確立するためではありませんよ。この世にある悪い物事にたいして我々が打ち勝てるように我々を導くために聖母マリアはこの世の王妃となります。私たちもいずれか、天国で聖母マリアとともに天主の栄光を浴びられるように。

聖母マリアは天国の王妃であるが故にこの世の王妃となります。我々は地上にて聖母マリアの良い臣民になり、天国に行けるために聖母マリアはこの世の王妃となります。つまり現世的な栄光を浴びるために聖母マリアはこの世の王妃となるわけではありません。天国へ我々を招き求めるように聖母マリアはこの世の王妃となります。この世では単なる旅人として生まれた事実を受け入れて、また天国に行くように手伝うために聖母マリアはこの世の王妃となります。はい、我々は天国に行けるように聖母マリアはこの世の王妃となります。我々に永遠の至福を得しめるために聖母マリアはこの世の王妃となります。

混乱している現代では何でもかんでもこの世にいつまでも着用させようとされます。現に、ワクチンパスポートなどによって、われわれはこの世において止めさせようとされています。いとも聖なる童貞マリアはこの世が我々の居場所ではない事実を思い起こしてくださいます。我々の居場所、目的地、本来の住まいは天国であるという事実を思い起こしてくださいます。ですから、カトリック信徒にとって、聖母マリアはあえて言えば、救霊パスポートなのです。聖母マリアこそは天国に入れるためのパスポートです。聖母マリアを通じてこそ、天国に行けて永遠の至福を得られます。ワクチンパスポートをもったとしてもこの世では楽な人生が約束されるが、あの世では何も得られません。救霊パスポートなる聖母マリアはこの世で必ずしも栄光も得ないし、楽な人生にもならないかもしれないが、あの世で永遠の至福を得させてくださる救霊パスポートです。

ですから、愛する兄弟の皆様、私たちは限りなく聖母マリアへすべてを託しましょう。また、私たちは常に天国の事を第一にできるように聖母マリアに祈りましょう。また、地上の人生にあまり執着しないように、無関心でいられるように、軽蔑できるように聖母マリアに祈りましょう。
また、現代でもどれほど大変なことが起きても、どれほど悪魔的な出来事が確かにいま起きていても、これは何でもないことであることを知り、このように振るまって不安にならないように聖母マリアに祈りましょう。そして、望徳と喜びが与えられるように、死と罪と現世に対して私たちは打ち勝つための力が与えられるように聖母マリアに祈りましょう。

聖父と聖子と聖霊とのみ名によりて、アーメン


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