白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんの動画をご紹介します。
※白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために、動画の書き起こしをアップしております
TV Libertés Terres de Mission
自由テレビ 『伝道地』
作家Sacha Guitryサシャ・ギトリの城がドミニコ修道会のシスター経営のカトリック学校に!
Jean-Pierre Maugendre ヴェルサイユの近くにあるFontenay-le-Fleury市のTernay城におります。南フランスのFanjeauxに本部をおいてあるイエズスの聖なる御名修道会のドミニコ修道女が案内してくださることになります。Ternay城はかつて、Sacha Guitryサシャ・ギトリの城でした。現在、修道会のお城となりました。
さて、最初の質問です。購入する前の、この城の歴史ご紹介していただけるでしょうか?
Diane-Marie修道女 Ternayという地名の最初の出現は15世紀末の公正証書において見られます。Ternayは恐らくラテン語のTernasに由来しておりまして、「第三、三番目」との意味であります。というのも、Le Vicomte家の三番目の領土だったことから転じます。当地の封領はVillepreuxにあり、そして第二の領土は本学校の隣にある「Ferme des Graviers」にありました。
1740年になって、Grassot氏はTernay城を購入しました。狩猟御用官(王室のための狩猟用の領土などを担当する官職)だった彼のお陰で、Ternay城の領土は整えられて庭も整備されて、済みやすい家に建て直されたと思われます。1770年になってルイ15世はTernay領土を購入しました。当地にとって大出来事でした。というのも、その時、Ternay領土は王領に格上げされて、ルイ15世の狩猟御用領土となったからです。そして、1774年、ルイ16世が即位した時、Ternay城を継承しておられて、高等賓客のために使わされたのです。
1793年になって、革命によってTernay領土は「国家財産」と宣言されて、また革命期の間、領土の建物や庭などに対する弊害は多かったのです。それを示すのは19世紀の間に行われた大がかりの修理工事でした。修理の建築様式は総裁政府時代の建築様式です。革命以前から残ったのは本館だけです。それから、1938年になって、Sacha GuitryはTernay城を購入しました。
名声のあるその作家は週末や夏季をここで過ごしていました。庭と家をさらに整備しました。また、ヴェルサイユ宮殿にあるル・アモー・ドゥ・ラ・レーヌを模倣しながら、小さな動物園のようなものを設けました。その時代、多くの動物は庭で自由に放し飼いされていました。1957年、Sacha Guitryが亡くなると、領地は売られて、2015年まで市井の家族がここに住んでいました。そして2015年に当地の学校が開校します。
Jean-Pierre Maugendre 学校についての質問ですが、修道会系の女学校の特徴、教育方針について説明していただけるでしょうか?
Marie-Pascale修道女 全国の他の学校(13か所)と同じく、本校においても第一の目的は遺産を伝えていくことにあります。まず、信仰という遺産です。またギリシャローマの文明において育まれた信仰の遺産を伝えていきます。
また、文学や歴史上に残された真善美の作品などを教えることによって、人間という存在への理解を深めて、その神秘とその目的、存在理由と運命に接するように努めております。
女学校なので、さらに、女性に与えられている特別な使命と役割を教えて、つまり、大人になってから生徒たちが担っていく役割を立派に果たすように生徒たちを指導しております。このように、教えられる文化を元に、私たちの生徒は人生にかかわる基本的な現実や物事に対して客観的な判断と評価ができるように努めて、そのおかげで生徒たちはより完成な人になっていくように、自由になっていくように努めております。
このようにして、今日の女子をそれぞれの召命に従って、置かれた場所で、立派なカトリック女性になっていくように養成するという教育方針です。
Ternay領土は岩や緑や水からなる詩のような場所です。ヴェルサイユ宮殿とパリからすぐ近くにありまして、教育事業に従事するために、またドミニコ修道会の召命に従って教育するために理想な場所です。
このように、建物の修理や庭の整備の計画をやっております。このように、Ternay領土は大昔のように復活して、復興して、ヴェルサイユ宮殿を心にした王冠の一つの輝かしい宝石になるように努めております。
Jean-Pierre Maugendre さて、遺産という意味で、どういった修理などの計画があるでしょうか?購入した時の状態はどうだったでしょうか。そして今までどういった修理などは行われたでしょうか?
Diane-Marie修道女 購入した時、よい状態で引き継ぎました。現在、いくつかの修理工世事を行うことによって、当地の特別な雰囲気と性格を維持するように努めております。つまり18世紀風の建物です。庭に関して、特筆すべき樹木を維持する方針です。例えば、オーストリアの立派な樹木がありまして、18世紀の樹木なのです。また、フランス風の庭、この庭が最初に創られた時のスタイルを復元する予定です。フランス風の整然とした風に合わせて、穏やかなカーブを持つイギリス風の庭なのです。
Jean-Pierre Maugendre 本日のルポルタージュにおいて、当地の遺産にかかわる者を中心にご紹介しております。切っ掛けとして、「Valeurs Actuelles誌」の記事で、「シスターたちが国家遺産を維持してくれる!」と題された記事です。
それから、増築の計画もあると聞いておりますが、詳細を聞かせてください。
Marie-Pascale修道女 増築の計画は具体的にいうと二つの別館を作ることにあります。両別館合わせて、一階での広い二つの部屋、それから、二と三階で合わせて教室を14つ整備して、本館と歩道橋でつながらせる計画です。建築の計画は領土の様式を尊敬して合わせて造るということです。庭の均衡も保って、町側で庭の低度あたりに建てるという方針です。建築家、Madelin氏によると、「森の宝石に安置された海中の別館」となる予定です。国会遺産の建築家や国会財産委員会の調査委員会の基準を満たすために、建築家はほぼ20ほどに計画を見直すことがありました。最初の提案は大昔の図式をそのままに採用することでしたが、何度も修正版を経て、より斬新的な建築計画となっていきました。
Jean-Pierre Maugendre 先ほど申し上げた記事において、ヴェルサイユ宮殿の管理保管長は本計画について非常に積極的に称賛したと記されています。Marie-Laure de Rochebruneです。彼女はここに来たと思いますが、どういった反応だったでしょうか?
Diane-Marie修道女 Rochebrune氏をはじめ、他の多くの方々もそうでしたように、当地を訪れて、美しい遺産だとすごく驚嘆されました。ヴェルサイユ宮殿の管理保管長としても、他の方々よりもヴェルサイユ宮殿との特別な絆を深く感じられたようです。また、教育でいうと、どういった芸術の教育を生徒に伝えているかを見て、大変に喜ばれたとされています。
Jean-Pierre Maugendre さて、そろそろ最後になりますが、結びの言葉はあるでしょうか?また、具体的に協力したいと思うなら、どうすればよいかを教えてください。
Marie-Pascale修道女 結びとして、Ternay城で過ごしている若い娘は詩人になる話をやりたいともいます。内の一人の生徒が作成した詩です。小学校四年生です。「我が学校」と題されています。
「王たる住いよ、大昔はこの松の下にルイ15世はおられたのではないのか?
昔の門は王の前に開かないが、夢の並木道を歩く女子たちを教室まで道ばれる
美しき天井の下と豪華な壁に囲まれて、教室で時間が経つ。
城主となった有名な作家もここに住んだよ。
私らも羊毛の帽子をかぶっても、城主になったよ。」
Jean-Pierre Maugendre なかなかうまかった。さて、視聴者たちが協力したいと思うのならどうすればよいでしょうか?
Marie-Pascale修道女 庭園の維持に貢献して、樹木一本でも植えることを支えたい方がいらっしゃるでしょうか?あるいは、ヴェルサイユの平に位置している王たる空気の一本の維持のために協力したい方がいらっしゃるでしょうか?あるいは、別館の建築に、岩を一個でも一〇個でも建てるために協力したい方がいらっしゃるでしょうか?
Peguyの言葉を借りたら、フランスもキリスト界も続くために協力したい方がいるでしょうか?未来の世代へ知識や文明を伝えていくために協力したい方がいらっしゃるでしょうか?
ぜひともウェブサイトのwww.scholae-fanjeaux.orgにて、寄付するための詳細情報がありますので、ご参照までよろしくお願いいたします。
Jean-Pierre Maugendre 院長様、私たちを迎え入れてくださってありがとうございました。
次回の番組のため、また来週に会いましょう。そこまで、聖父と聖子と聖霊である天主様のご加護があるように。皆さま、よい日曜日、よい週になるように。
※白百合と菊Lys et Chrysanthèmeさんのご協力とご了承を得て、多くの皆様の利益のために、動画の書き起こしをアップしております
お城が学校になる!
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自由テレビ 『伝道地』
作家Sacha Guitryサシャ・ギトリの城がドミニコ修道会のシスター経営のカトリック学校に!
Jean-Pierre Maugendre ヴェルサイユの近くにあるFontenay-le-Fleury市のTernay城におります。南フランスのFanjeauxに本部をおいてあるイエズスの聖なる御名修道会のドミニコ修道女が案内してくださることになります。Ternay城はかつて、Sacha Guitryサシャ・ギトリの城でした。現在、修道会のお城となりました。
さて、最初の質問です。購入する前の、この城の歴史ご紹介していただけるでしょうか?
Diane-Marie修道女 Ternayという地名の最初の出現は15世紀末の公正証書において見られます。Ternayは恐らくラテン語のTernasに由来しておりまして、「第三、三番目」との意味であります。というのも、Le Vicomte家の三番目の領土だったことから転じます。当地の封領はVillepreuxにあり、そして第二の領土は本学校の隣にある「Ferme des Graviers」にありました。
1740年になって、Grassot氏はTernay城を購入しました。狩猟御用官(王室のための狩猟用の領土などを担当する官職)だった彼のお陰で、Ternay城の領土は整えられて庭も整備されて、済みやすい家に建て直されたと思われます。1770年になってルイ15世はTernay領土を購入しました。当地にとって大出来事でした。というのも、その時、Ternay領土は王領に格上げされて、ルイ15世の狩猟御用領土となったからです。そして、1774年、ルイ16世が即位した時、Ternay城を継承しておられて、高等賓客のために使わされたのです。
1793年になって、革命によってTernay領土は「国家財産」と宣言されて、また革命期の間、領土の建物や庭などに対する弊害は多かったのです。それを示すのは19世紀の間に行われた大がかりの修理工事でした。修理の建築様式は総裁政府時代の建築様式です。革命以前から残ったのは本館だけです。それから、1938年になって、Sacha GuitryはTernay城を購入しました。
名声のあるその作家は週末や夏季をここで過ごしていました。庭と家をさらに整備しました。また、ヴェルサイユ宮殿にあるル・アモー・ドゥ・ラ・レーヌを模倣しながら、小さな動物園のようなものを設けました。その時代、多くの動物は庭で自由に放し飼いされていました。1957年、Sacha Guitryが亡くなると、領地は売られて、2015年まで市井の家族がここに住んでいました。そして2015年に当地の学校が開校します。
Jean-Pierre Maugendre 学校についての質問ですが、修道会系の女学校の特徴、教育方針について説明していただけるでしょうか?
Marie-Pascale修道女 全国の他の学校(13か所)と同じく、本校においても第一の目的は遺産を伝えていくことにあります。まず、信仰という遺産です。またギリシャローマの文明において育まれた信仰の遺産を伝えていきます。
また、文学や歴史上に残された真善美の作品などを教えることによって、人間という存在への理解を深めて、その神秘とその目的、存在理由と運命に接するように努めております。
女学校なので、さらに、女性に与えられている特別な使命と役割を教えて、つまり、大人になってから生徒たちが担っていく役割を立派に果たすように生徒たちを指導しております。このように、教えられる文化を元に、私たちの生徒は人生にかかわる基本的な現実や物事に対して客観的な判断と評価ができるように努めて、そのおかげで生徒たちはより完成な人になっていくように、自由になっていくように努めております。
このようにして、今日の女子をそれぞれの召命に従って、置かれた場所で、立派なカトリック女性になっていくように養成するという教育方針です。
Ternay領土は岩や緑や水からなる詩のような場所です。ヴェルサイユ宮殿とパリからすぐ近くにありまして、教育事業に従事するために、またドミニコ修道会の召命に従って教育するために理想な場所です。
このように、建物の修理や庭の整備の計画をやっております。このように、Ternay領土は大昔のように復活して、復興して、ヴェルサイユ宮殿を心にした王冠の一つの輝かしい宝石になるように努めております。
Jean-Pierre Maugendre さて、遺産という意味で、どういった修理などの計画があるでしょうか?購入した時の状態はどうだったでしょうか。そして今までどういった修理などは行われたでしょうか?
Diane-Marie修道女 購入した時、よい状態で引き継ぎました。現在、いくつかの修理工世事を行うことによって、当地の特別な雰囲気と性格を維持するように努めております。つまり18世紀風の建物です。庭に関して、特筆すべき樹木を維持する方針です。例えば、オーストリアの立派な樹木がありまして、18世紀の樹木なのです。また、フランス風の庭、この庭が最初に創られた時のスタイルを復元する予定です。フランス風の整然とした風に合わせて、穏やかなカーブを持つイギリス風の庭なのです。
Jean-Pierre Maugendre 本日のルポルタージュにおいて、当地の遺産にかかわる者を中心にご紹介しております。切っ掛けとして、「Valeurs Actuelles誌」の記事で、「シスターたちが国家遺産を維持してくれる!」と題された記事です。
それから、増築の計画もあると聞いておりますが、詳細を聞かせてください。
Marie-Pascale修道女 増築の計画は具体的にいうと二つの別館を作ることにあります。両別館合わせて、一階での広い二つの部屋、それから、二と三階で合わせて教室を14つ整備して、本館と歩道橋でつながらせる計画です。建築の計画は領土の様式を尊敬して合わせて造るということです。庭の均衡も保って、町側で庭の低度あたりに建てるという方針です。建築家、Madelin氏によると、「森の宝石に安置された海中の別館」となる予定です。国会遺産の建築家や国会財産委員会の調査委員会の基準を満たすために、建築家はほぼ20ほどに計画を見直すことがありました。最初の提案は大昔の図式をそのままに採用することでしたが、何度も修正版を経て、より斬新的な建築計画となっていきました。
Jean-Pierre Maugendre 先ほど申し上げた記事において、ヴェルサイユ宮殿の管理保管長は本計画について非常に積極的に称賛したと記されています。Marie-Laure de Rochebruneです。彼女はここに来たと思いますが、どういった反応だったでしょうか?
Diane-Marie修道女 Rochebrune氏をはじめ、他の多くの方々もそうでしたように、当地を訪れて、美しい遺産だとすごく驚嘆されました。ヴェルサイユ宮殿の管理保管長としても、他の方々よりもヴェルサイユ宮殿との特別な絆を深く感じられたようです。また、教育でいうと、どういった芸術の教育を生徒に伝えているかを見て、大変に喜ばれたとされています。
Jean-Pierre Maugendre さて、そろそろ最後になりますが、結びの言葉はあるでしょうか?また、具体的に協力したいと思うなら、どうすればよいかを教えてください。
Marie-Pascale修道女 結びとして、Ternay城で過ごしている若い娘は詩人になる話をやりたいともいます。内の一人の生徒が作成した詩です。小学校四年生です。「我が学校」と題されています。
「王たる住いよ、大昔はこの松の下にルイ15世はおられたのではないのか?
昔の門は王の前に開かないが、夢の並木道を歩く女子たちを教室まで道ばれる
美しき天井の下と豪華な壁に囲まれて、教室で時間が経つ。
城主となった有名な作家もここに住んだよ。
私らも羊毛の帽子をかぶっても、城主になったよ。」
Jean-Pierre Maugendre なかなかうまかった。さて、視聴者たちが協力したいと思うのならどうすればよいでしょうか?
Marie-Pascale修道女 庭園の維持に貢献して、樹木一本でも植えることを支えたい方がいらっしゃるでしょうか?あるいは、ヴェルサイユの平に位置している王たる空気の一本の維持のために協力したい方がいらっしゃるでしょうか?あるいは、別館の建築に、岩を一個でも一〇個でも建てるために協力したい方がいらっしゃるでしょうか?
Peguyの言葉を借りたら、フランスもキリスト界も続くために協力したい方がいるでしょうか?未来の世代へ知識や文明を伝えていくために協力したい方がいらっしゃるでしょうか?
ぜひともウェブサイトのwww.scholae-fanjeaux.orgにて、寄付するための詳細情報がありますので、ご参照までよろしくお願いいたします。
Jean-Pierre Maugendre 院長様、私たちを迎え入れてくださってありがとうございました。
次回の番組のため、また来週に会いましょう。そこまで、聖父と聖子と聖霊である天主様のご加護があるように。皆さま、よい日曜日、よい週になるように。