算数のテストがありました。
「リンゴが4つあります。
3人で分けると、1人いくつになりますか?」
ある女の子が「1」と答えました。
当然この答えは「×」でした。
お母さんは、「×」になったそのテストを見て、その子に優しく聞いてみました。
「なぜ“1”と書いたの?」
女の子はこう言いました。
「あのね。残った1つのリンゴはね、ほとけ様にお供えしようと思ったの…」
学校で教わる答えだけが、答えではないですね。
勉強は、人が幸せに生きるためにするものであるとするなら、
ある面、これは立派な答えだと思います。
(分けた3人も、1つをほとけ様にお供えすることには賛成したことでしょうから!?)
「リンゴが4つあります。
3人で分けると、1人いくつになりますか?」
ある女の子が「1」と答えました。
当然この答えは「×」でした。
お母さんは、「×」になったそのテストを見て、その子に優しく聞いてみました。
「なぜ“1”と書いたの?」
女の子はこう言いました。
「あのね。残った1つのリンゴはね、ほとけ様にお供えしようと思ったの…」
学校で教わる答えだけが、答えではないですね。
勉強は、人が幸せに生きるためにするものであるとするなら、
ある面、これは立派な答えだと思います。
(分けた3人も、1つをほとけ様にお供えすることには賛成したことでしょうから!?)