ビーンの不定期日記

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 「思いつき
   いかげん日記」

渇愛(かつあい)

2010-11-30 19:59:55 | 般若心経
瀬戸内寂聴さんの「あおぞら説法」(光文社)から抜粋です。


「“恋愛”を仏教では“渇愛”といいます。

渇愛というのは〈中略〉きりもなく相手に求める愛です。〈中略〉「もっと愛して、もっと愛して」とねだる愛です。

この渇愛は、愛した瞬間から苦しくなるんですね。しかもこの世でいちばん苦しい。

それは愛のかたちをとっているけれども、とどのつまりは相手の人を愛しているのではなく、自己愛だからなのです。

自分がその人を好きになったのがうれしいから、気持ちがいいから愛するのです。

自己愛は、結局相手に報酬を期待します。見返りを求めます。

恋愛をして、自分が好きになったら相手にも自分を好きになってもらいたい。

自分が心の愛を与えたら返してほしい。
いや、利息を付けて返してほしい。

期待どおりにいけば、これが人生でいちばん楽しいことだと思いますけれども、
〈中略〉ほとんどの場合、期待しただけのものは返ってきません。

そうすると非常に腹が立つ。〈中略〉

とにかく、愛すると同時に苦しみが起こる。

つまり、そういう恋愛-渇愛というものは、自分のものにしようという独占欲ですからね。

独占欲が起こると苦しくなるんですね。
嫉妬が伴うからです。

自分以外に恋人の目が移るのが心配でたまらない。

愛したと同時に苦しみが生まれる。

そんな苦しいことしなければいいと思うかもしれないけれども、
しかし、だれも愛さない、だれにも愛されない人は、やっぱり生きている甲斐がないような気がいたします。

神戸の被災者の仮設住宅の中で自殺する人は、もう愛する人がなくなって、
愛してくれる人もないと思うからだと思うんです。

家があって、衣食が足りていても、心が寂しいと人は生き甲斐を見失います。

そういう悲しいことにならないように皆さん、人を愛してください。

愛されるより愛する人になりましょう。

自分にだけじゃなく、そんな寂しい顔をしている人が身近にいたら、精いっぱい愛を注いでください。

それが私は生きていることだと思います。…」


 ………………………

生きることは
  愛すること

「欲」のない愛を、いつになったら注げるようになるのでしょうか。

なかなか光りが見えてきません。