法然は浄土宗の開祖です。
ただひたすら念仏を唱えなさい。
そうすれば極楽浄土へ徃けますよと説きました。
詩人の伊藤比呂美さんの
「読み解き 般若心経」(朝日新聞出版)の中で法然の教えを記述している個所があるので紹介します。
伊藤さんが現代語訳した文です。
「となえるがよい-法然」
現世を生き抜くには
念仏をとなえるために生きようとするのがよい。
念仏に専念するためにじゃまになることは
何であれ
捨てて、忘れて、やめてよい。
ひじりとして生きておっては念仏ができぬというなら
妻を持ってとなえるがよい。
妻がおってはできぬのなら
ひじりになってとなえるがよい。
定住しておってはできぬというなら
家を追ん出てとなえるがよい。
放浪しておってはできぬのなら
一所(ひとところ)に住み着いてとなえるがよい。
生活をやりくりしておってはできぬというなら
人に食べさせてもらいながらとなえるがよい。
養われておってはできぬのなら
自力で生活してとなえるがよい。
一人ではできぬというなら
仲間とともにとなえるがよい。
人といっしょではできぬのなら
一人で閉じこもってとなえるがよい。
……………………
念仏を「ひたすら」に唱えるとは、このようにただひたすらに-、と言うことなのですね。
「ひたすら」の言葉には、無心さ、健気さ、そして何より一途な心の強さがあるということを知りました。
ただひたすら念仏を唱えなさい。
そうすれば極楽浄土へ徃けますよと説きました。
詩人の伊藤比呂美さんの
「読み解き 般若心経」(朝日新聞出版)の中で法然の教えを記述している個所があるので紹介します。
伊藤さんが現代語訳した文です。
「となえるがよい-法然」
現世を生き抜くには
念仏をとなえるために生きようとするのがよい。
念仏に専念するためにじゃまになることは
何であれ
捨てて、忘れて、やめてよい。
ひじりとして生きておっては念仏ができぬというなら
妻を持ってとなえるがよい。
妻がおってはできぬのなら
ひじりになってとなえるがよい。
定住しておってはできぬというなら
家を追ん出てとなえるがよい。
放浪しておってはできぬのなら
一所(ひとところ)に住み着いてとなえるがよい。
生活をやりくりしておってはできぬというなら
人に食べさせてもらいながらとなえるがよい。
養われておってはできぬのなら
自力で生活してとなえるがよい。
一人ではできぬというなら
仲間とともにとなえるがよい。
人といっしょではできぬのなら
一人で閉じこもってとなえるがよい。
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念仏を「ひたすら」に唱えるとは、このようにただひたすらに-、と言うことなのですね。
「ひたすら」の言葉には、無心さ、健気さ、そして何より一途な心の強さがあるということを知りました。