ビーンの不定期日記

その日の事や思ったことを…

 「思いつき
   いかげん日記」

多摩川土手

2010-11-20 20:21:53 | 日記
買い物がてらに周辺を散策してきました。

10時半に出かけて3時半に戻りました。
何キロ歩いたのかな?

ジョギングは辛い歳になりましたので、このくらいは歩かねばと思い、
意識して長い時間を歩くようにしています。

多摩川の土手はいつもジョギングにウォーキング、そしてサイクリングをする人達で賑やかです。

「スポーツロード」と言ったところです。

土手を下りると並行して遊歩道があります。

 

「彫刻のある散歩道」と呼ばれ、所々に置かれた彫刻は足の疲れを癒してくれます。





この多摩川辺りの自然を私はいつまで味わうことができるのでしょう。

ここに私はいつまで住むんだろう…

このアパートが終の住み処になるのかな?

今は何もわかりません。

毎日を、寒いとか暖かいとか、思い感じながら-

 今日も生きています。

生者必滅、会者定離

2010-11-20 09:36:15 | 般若心経
「しょうじゃひつめつ、えしゃじょうり」

 仏教のおしえです。


キサーゴータミーという若い母親がいました。

彼女は一人子を病で亡くしました。

彼女は死んだ子を抱きかかえ、正気を失って、この子を生き返らす薬をくださいと
誰彼と構わず問い掛け町中をさ迷いました。

ある人が彼女を釈尊の前につれていきました。

釈尊は哀れな女に言いました。

「どこかで一粒の芥子(からし)粒をもらっておいで。
それでその子は生き返る。
但し、死人の出たことのない家からもらってこないとだめだよ」

キサーゴータミーは喜び、そして勇んで町へ駆け出しました。

どの家でも「うちは祖母が死んだばかりだ」「うちは父が死んだ」「うちは両親も死んだし、夫も死んでしまったよ」…の返事。

キサーゴータミーはようやく迷いから醒めました。

子供を葬ると、釈尊のところに行きました。

「どの家でも、からし粒はもらえませんでした。

生きている人よりも、死んだ人の方がずっと多かったのです。」

彼女は、生まれたものは必ず死ぬということを、
愛する者の死によって覚ったのでした。

 ……………………

生まれた者は必ず死に、会った者には必ず別れがあります。

つまり、私たちは生まれた瞬間から、いつか必ず死なねばならない死の国に住んでいると言えます。

これは人として生まれた以上、誰ひとりとして避けて通れない運命です。

死があるからこそ、たった今の自分の生命が輝いてくるのです。


「法句経を読む 寂聴 生きる知恵」瀬戸内寂聴著(海竜社)より抜粋しました。