マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

不要品を処分し続けている私が、今実感していること

2020-04-18 | 日々の暮らし
今週は、家中の季節のメンテナンスに少しずつ着手していて、なかなか不要品の処分に集中できていませんが、不要品を処分し続ける中で、特に感じていることについて綴ります。

掃除や片付けが嫌いな人ほど不要品は処分しよう
私は、掃除や片付けが嫌いです。
かといって、汚部屋かと言われたら、以前も何度か申し上げたと思いますが、自室を汚部屋にしたことはなく、モノは多いけれど普通に過ごせる部屋をキープすることができています。
友人を呼んでも、皆きれいな部屋だとほめてくれますし、おそらくお世辞ではないと思います。
では、なぜきれいな部屋をキープできているのか。

答えは簡単で、汚れていることや散らかっていることが、掃除や片付けよりももっと嫌だからです(笑)
ですから、床にごみや服や訳の分からない雑貨が、あちこちに散乱していて足の踏み場がない、というような経験は、過去に一度もありません。

だったら、掃除や片付けが上手なのでは?と思われるかもしれませんね。
でも、違うのです。
上手下手、得意不得意に関係なく、自分が嫌な事をなるべく避けたいがために、優先順位をつけて掃除や片付けをしているだけのことなのです。

私が、掃除や片付けが嫌いな最大の理由は「面倒くさい」からです(笑)
今は、不要品をかなり処分したおかげで、掃除も片付けも楽になりつつありますが、まだまだ、違和感が残る場所やモノは存在しています。
これらも、思い切って処分するなり、使い方や使う場所を工夫する必要があるようです。

私の経験から言うと、掃除や片付けが嫌だ、不得意だ、下手だと感じている方は、モノの置き場所や使い方が悪い場合もありつつ、やはり最大の原因は不要品が多すぎる点に尽きると思っています。
実際、不要だと思っていたモノが処分できると、それまでとはうって変わって、掃除がしやすくなります。
モノを処分するのは、かなりの決断を要するかもしれませんが、思い切って一度処分してみると、モノを手放した悲しい気持ちよりも、掃除や片付けが楽になった気持ちよさが勝ることに気付くことができます。

モノの多さと、掃除や片付けに対しての憂鬱なイメージは、確実にリンクしているので、やはりモノは必要なモノだけを持ち、不要なモノや、なくても困らないモノは処分するべきだと思います。

イライラしやすい人もモノを減らしてみて
最近、イライラする。
特に、何とは言わないけれど、いろいろな事にイライラする。
という方、いらっしゃいませんか?

私は過去に、いろいろな事に対して、ことごとくイライラしてしまう時期がありました。
それは、いろいろなイライラの原因が重なっていたからだと思われます。
時には人間関係だったり、時には仕事の忙しさだったり、時には自分のしたいことが満足にできなかったり、時には家族の問題が発生したり。
いわゆる「上手くいかないときは、全てが上手くいかない」という状態に入っていたのだと思います。

このようなときは、一つ一つを解決していく方法も大事なのですが、なかなかすぐには結果が出ませんし、対策にも時間を要する場合が多いですよね。
そんなときは、一見何も関連がなさそうな、暮らしそのものを見直して、そのイライラを凌ぐことも大事だと思います。
もし、家事を全面的に請け負っているのであれば、家事の見直しが効果的です。
手を抜いていいところは全て手を抜いて、楽をしていいところは楽をして、誰かに頼んだり外注したりしていいことは、思い切って任せてしまうなどですね。
しかし、なかなか外注もできないし、頼める家族もいない、なんてこともあるかと思います。
そういうときは、やはり不要なモノの処分がおススメですね。
モノを使っていると、つい使い続けてしまう場合がありますが、それは使わなくても家事が成立するのではないだろうか?と疑ってみることは、とても大事だと思います。

私の具体例で言うと、まず、お菓子作りをやめて、全て市販のモノや菓子専門店で買うことに決めました。
すると、家にあったお菓子作りの道具は全て不要になりましたから、あきらかな菓子作り道具は処分。
その後、他の調理に使える泡だて器やゴムベラも、処分してしまいました。
理由は、その2つがなくても料理はできるからです。

泡だて器は、菓子作りをやめてしまったら、本当にほとんど出番がなくなりました。
何かを混ぜるのは、菜箸で十分ですし、他にも木べらやスプーンがありますから、それらで代用できます。
ゴムベラも、同様です。
お菓子作りの際は、材料がくっつきにくいゴムベラが重宝するのですが、料理となると特にゴムベラを使わなくても、問題がありません。
材料が鍋についてしまったとしても、木べらやしゃもじで掬えばいいですし、そもそもゴムベラ自体が使いにくいな、と感じていたので、処分してしまった今、後悔は全くありません(笑)
ちなみに、フライ返しも処分しましたが、木べらでやっていけているので、もう要らない気がします(笑)

泡だて器もゴムベラも、処分してしまったので使うことは当然ありませんが、何よりも洗う手間がなくなったことは大きかったです。
特に、泡だて器は洗うのが面倒くさい。
形が複雑なので、細かいところまできれいにできないことも多く、何度も洗いなおしたことがあります。
そういった二度手間や面倒な洗いがなくなっただけでも、ストレスフリーになれました。

他にも、例えばつい最近ですが、部屋中に飾っていたディスプレイを(それまで飾っていた数から)1割以下にしたことで、小物の埃を掃ったり、拭いたりする手間が一気になくなりました。
家具も、たくさん処分したことで、壁や部屋の隅にごみや汚れが付いても、すぐに落とせるようになったので、掃除が断然楽になりましたし、何よりも動きやすくなりました(笑)

動線も見直してみよう
よく、家づくりで動線の確保って言いますが、家の構造上の動線の他に、家具によって生じる動線の悪さは、かなり大きなストレスを生むと思っています。
家事動線だけではありません。
暮らしの中で、例えば自分の机回りの使い勝手。
長年、ルーティンだった動作が、実はストレスになっている場合もあります。

私は、自分の机回りは常にマイナーチェンジを繰り返していますが、いつの間にか使い方や置き方が決まってしまうモノが出てきます。
しかし、よくよく考えたら、その置き方でなくてもいいのでは?と思うことが、たびたびあります。
普段の暮らしの中では、まず意識しませんが、ふと小さなイライラが生まれる瞬間があったりすると、
「もしかしたら、これが原因かな」
と、使っているモノや、その置き方に疑いを持つようにしています。

試しに、違う保管方法にしてみたり、使うのをやめて代替品を使ってみたり、時には使用そのものを数日間やめてみたりすると、イライラが消える場合があります。
逆に、やはり不便だな、と感じるモノは、それこそ必需品なのでしょうね。
結局復活させて、使っています。

ちなみに、現在の私の机回りには「引き出し」が一切ありません。
以前は、引き出しが付いた家具を利用したり、小引き出しを使ったりしていましたが、それらは別の場所で使うことにしたので、よく使う文具は机の脚にボトルホルダーを吊り下げて(フックを引っ掛けられる部分があります)、その中にボールペンやものさし、ハサミ、ノリなどを入れています。
ただ、これはこれで使い辛さを感じているので、もっと使いやすい形での保管方法を、考えているところですね。

モノを処分して得られる開放感の正体
モノを処分すると、後悔の念よりも開放感や暮らしやすさを実感するほうが、断然多いと思います。
もしも、後悔の念が勝っているのならば、それはおそらく、自分の正直な気持ちと向き合わずに、流れに任せて処分してしまったからだと思います。

私には、まだ処分することができない、してしまったら、きっと悲しい気持ちになってしまう、と思うモノが、いくつかあります。
それらは、なくても暮らしていける、いわゆる趣味のモノですが、大切にしていきたいモノでもあります。
ですから、他のモノはサクサクと処分しても、それらの処分は先延ばしにしておこうと決めています(笑)

大切にしていきたいモノ、本当に人生において死ぬまで必要なモノ(金銭や大事な書類など)は、手放してはいけません。
しかし、その他のモノは、値段が高かろうと、まだ新品同様で使えるモノであろうと、処分した後に、後悔の念が開放感や暮らしやすさを上回ることは、ほぼないと断言できます。

一度処分してしまったモノが、たまに必要になる場合もあるにはあるのですが、そのときに感じる後悔は、モノを処分してしまったことではなくて、単純に金銭面のことだけです。
「捨てなければ、買う必要がなかったのに、お金が勿体なかったな」
しかし、本当にすぐに必要になるかといったら、大体のモノはすぐには使う機会が来ないことがほとんどですし、日常的に使っているモノを、わざわざ処分する人もいないと思いますので、やはりモノを処分したほうが、フリースペースが広がり、開放感を得られるかと思っています。

モノを処分した際に感じる開放感や暮らしやすさというのは、

 フリースペースが広がる→圧迫感が軽減する→掃除しやすい→片付けしやすい→モノの管理がしやすい→整理整頓がしやすい→結果、モノに携わる時間が減ったことによりストレスフリーになる

ということなのだと思います。
これが実感できる人は、これまで明らかにモノに携わる時間が多く、メンテナンスや使い勝手にストレスを感じていたはずなので、本当に単純な事なのですが、モノはたくさん持っていない方がいいと思います。
モノに時間やお金を取られるより、自分自身を磨くことにお金と時間をかける方が、絶対に人生が楽しくなるはずです。

人生を楽しくするためにモノを減らして余計な手間も省いてしまおう
もし、絵を描くことが趣味であれば、絵の道具は思う存分に買いそろえたらいいと思います。
その代わり、目を奪われがちな割に、自分にとっては大した価値のないモノは、徹底的に処分したほうが、絵を描くことに集中できるはずです。
プラモデル作りが好きなら、プラモデルと作る道具だけ。
裁縫なら、裁縫道具だけ。
ギターなら、ギター演奏に必要な機材だけ。

そうして、自分がのめりこめることやモノ以外は、思い切って処分していいと思います。
ただし、趣味の範囲が広い方、マルチに何でもトライする方は、生活全般を見渡して、しなくて済むことや、なくても困らないモノを、徹底的に探し出す方法がいいかもしれません。
そうするには、1つだけ注意点があるのですが、掃除や片付けや整理整頓が面倒くさくなるのであれば、その趣味の中のいくつかは間引いてください(苦笑)
おそらく、マルチにいろいろな事をする方は、その中でも優先順位があるはずで、場合によっては、他のことが忙しくて着手できない趣味も絶対に存在するはずなのですよね。
ですから、趣味をたくさんお持ちの方は、自分の中で一番優先している趣味を、一度客観的に確認する必要があるかと思います。

食事の支度などは、金銭面で余裕があれば外注や外食で済ませられますが、趣味のモノの管理やメンテナンスは、他人任せにできない人がほとんどです。
しかし、好きなモノが多すぎてメンテナンスもできない、管理も難しくなってきた、などということになってきたら、それは注意信号です。
たしかに好きなモノに囲まれていると、幸せですが、その幸せが実際の生活を脅かしにかかってくるとなると、お別れしてちょうどいい距離感を持った方が、いいと思いませんか?

私は、これまで好きなアーティストのCDとDVDが処分できずにいましたが、全てiTunesにコピーして、CDとDVD本体は、処分しました。
iTunesにコピーして以来、実を言うと家で聴く機会が圧倒的に増えました。
私が、常にパソコンを開いている生活ということもあり、良い形に移行できたと思っていて、これが私と好きなアーティストの音楽との、ちょうどいい距離感ということになると思います。

もしも、趣味のモノ、大好きなモノが増えすぎて、生活に支障が出ている方は、是非距離感というモノを考えて、モノを減らしたり、暮らしの手間を減らしたりしてみてください。
きっと、今よりも心地いい暮らしが手に入ると思いますよ。

専用にとらわれない
モノを減らすことで得られる、開放感や暮らしやすさは、モノや形や行動そのものへ抱いている固定観念を捨てることで、さらに実感できます。

今、目の前にある道具が存在したとします。
それは、何をするための道具でしょうか?
料理?洗濯?掃除?DIY?収納?

世の中が便利になればなるほど「専用」の“何か”が、生まれてきます。
発明好きな人が、家事を楽にする道具や、暮らしを楽にする道具を考えて商品化し「便利グッズ」として人気が出たりします。
でも、その「専用」の何かは、本当に必要でしょうか?
また、その使い方だけである必要があるでしょうか?

私の母は、便利グッズが割と好きで、かなりいろいろな種類の便利グッズを買い溜めていました。
しかし、いざ使おうとしても、すでに母のやり方や道具の使い方が定着してしまっているため、その便利グッズは、出番が少ないか、あるいは全くない状況が長年続いてきました。
結果、私も使わないので、不要品として処分したのですが、そもそも「専用」として使うことそのものに限界があったのかもしれないな、と最近になって思います。

便利グッズに、例えば「食器洗いに最適」と書かれていたら、食器を洗うことだけを考えてしまいがちですよね。
しかし、食器洗いは別のグッズを使っていて、そのストックもしばらく分は持っていたりするので、それがなくなってから使おうと、封も開けずにしまい込むことになりがちです。
もし、それを食器洗い以外の用途に使おうと思えば、すぐにでも封を開けて使えるかもしれないのに、食器を洗うことだけに固執してしまうと、使用を先延ばしにするだけではなく、存在を忘れかねません。
そうして、使われるはずだったモノが、最終的に不要品になってしまうこと、結構あると思います。

また、自分のルーティーンも、もしかしたら固執し過ぎて、逆に暮らしにくさを生んでいる可能性は高いですよね。
私は、最近、食事を作るときのおかずは2品以内、食器はなるべくワンプレートにしていますが、以前はおかずの種類ごとに器を用意していたし、栄養面が気になったりしたので、いろいろな料理を作っていました。
しかし、栄養を取るためだけに、何品も用意することがストレスになってきたため、1品にいろいろな野菜が入るようなメニューを考えて、プライパン1つ、鍋1つでできる創作料理を作るようになりました。
また、肉や魚は「焼くだけ」「煮るだけ」にして、下ごしらえに時間がかかるような調理は一切やめることにしました。

結果、身体が不調になるようなことはないし、調理時間が短縮され、メニューを考える時間も減ったので、自由時間が増えました。
そして、今までおかずの品数や食器に拘っていた自分って、割と無意味だったかな、と思うようになりましたね。

このように、自分で自分の行動や暮らし方を縛り付けていた部分が、多少なりともあったりするので、それを冷静に見つめなおすことも、暮らしやすさに繋がっていくのかな、と実感しています。

お洒落な暮らしにあこがれて、何かしらのテーマに沿って家づくりや部屋作りをして、それにあった暮らしをしていくことも、とてもステキだと思います。
でも、私にとって一番の暮らしやすさは、手間がかからないこと、効率的に動けること、余計なことに時間をかけないことなので、結果的にはモノが少ない暮らしに行きつこうとしています。


さて、今回も内容が長く鬱陶しくなってしまいましたが、モノをさらに減らすために、自分の考えを整理する時期が来ているのかな、という気がしていて、つい長くなってしまうようです(苦笑)
今日は、レンジフードの換気扇を掃除しました。
半年分の油汚れでしたが、割と少なめでした。
原因は、料理する回数を極力減らすようにしているからです。
自分のルーティンを少し変えるだけで、たまにする大掛かりな掃除も楽になる。
やはり、日々の行動と所有物のチェックは、定期的にした方が暮らしが楽になると実感した日でした(笑)