マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

価値観の確認(モノの処分に迷うとき)

2020-04-28 | 日々の暮らし
最近、片付け系の動画チャンネルが増えてきているような気がします。
一見すると、ごく普通に片付けをし、不要品を捨てているだけなのですが、不要品と必要なモノの内容が、人それぞれ違っていて、非常に興味深いです。
たまに、自分の中で不要品の基準がブレてしまうときがありますが、そんな時は、他人が片付ける様子を見ることで、自分の価値観を再確認することができます。

価値観の違い
例えば、タンスやクローゼットや押し入れの中を全部出して、モノの要不要を判断していく過程を見るとします。
小さい子どもがいる家庭、子どもが中学生や高校生の家庭、夫婦二人だけの家庭、私のように年老いた親との二人暮らし、大家族など、家族の形態や住んでいる環境によっても、不要品と必需品は違ってきます。
おそらく、紙幣硬貨だけが、共通の価値観の中に存在していて、そのほかのモノは、本当に人それぞれだな、と気付かせてくれるのが、片付け動画です。

昨晩、初めて見る片付け動画があったのですが、目新しい技術や方法があるわけでもなく、本当にごく普通の片付けをしていたのですが、必要だと判断して残したモノに注目してみると、自分の価値観との違いがはっきりしてきました。

その方の動画では、ごく普通にクタクタになったシャツや、毛玉が取れなくなったニット、着れなくなったサイズの子ども服、使わなくなったおもちゃや雑貨、ベビー用品、頂き物など、次々と処分対象にしていきました。
私のように無職で外出機会が少ない生活だと、所有する服は少なくても大丈夫です。
しかし、働きに出ていたり、子どものことで学校や幼稚園保育園へ出向く機会が多かったりすれば、当然着る服もTPOに合わせて揃える必要性もあるので、服は割と多め持っていても不思議ではありません。
ですから、こちらのご家庭で最終的に残った服は、私が考えていたよりも多かったです。

子ども服とご自身の服や雑貨を片付けた後は、旦那様の服を旦那様ご本人が仕分けしていましたが、結構潔く次々と処分していき、かなりの量になっていました。
しかし、最終的に残った服は、これもまた私が考えていた以上に多かったのですが、この家庭の旦那様は子どもの野球の練習に付き合っているらしく、普段着と仕事用の服以外に、トレーニング系の服が必要なのですね。
おそらく、ご本人もなにかスポーツをなさっているのでしょう。
そのため、私の想像よりも多くの服が残ったようです。

この方の動画とは別に、1人暮らしの女性が助っ人にアドバイスを受けながら片付ける動画も視聴したのですが、こちらははっきり言って「汚部屋」住まいでした(苦笑)
とにかく、モノが床に散乱していて、寝るためのマットレスが敷きっぱなしなのですが、それも部屋に対して斜めに敷いてあり、飲みかけや食べかけの飲食品も、床に放置状態。
ご本人によると、動画を撮影する前に、少し片付けたそうなのですが、とてもそうは見えない汚部屋でした(苦笑)

もともと、カテゴリー分けが苦手なのでしょうか、床に無造作に置いてあった、いくつもの紙袋の中は、未使用品だったり、食品だったり、バスグッズだったりと、統一性がないため、仕分けも大変そうです。
そんな中で、部屋の主が助言を受けながら要不要を判断し、仕分けをしていくのですが、処分せずに残すモノの基準が、また「汚部屋」のリバウンドをするのではないだろうか、と思わせます。
というのも、人からの頂き物を思い切って処分することができない方だったからです。

私は、例え人からの頂き物であっても、自分の趣味に合わなければ、何らかの形で処分しますし、申し訳ないのですが、あまり高価なモノではないと判断できるものは、未使用のまま捨ててしまうことも多いです。
もし、それを使ったり、ストックとして所持していても、自分が好きで手に入れたモノではない時点で、きっと気分が上がらない状態で使用することになると思うのです。
そういうのは、ちょっとつまらないな、と思ってしまう性格なので、せっかく貰ったから使う、という価値観が、私にはないのです。

しかし、その「汚部屋」住人の女性は、何よりもまず頂き物だからと前置きして、使うからとっておくことを決めます。
それでは、いつまでたっても自分が気に入って購入したモノが使えないのに、と思いながら動画を視聴していたのですが、ふと、この女性はこういう考え方だから、おそらく交友関係も広いのかもしれないと思いました。
友達が多いので、旅行やレジャーに行く機会も多いのでしょう。
旅行グッズやレジャーグッズもたくさん持っていて、その中のいくつかは、知人から譲ってもらったりプレゼントして貰ったりしたようで、この女性が知人友人から好かれていることが感じられました。
ですから、頂き物が無意識のうちに増えていくのだと考えられます。

ただ、先ほども書きましたが、この女性はカテゴリー分けが苦手な上に、おそらく普通の片付けも苦手だと思われますから、本当は人からの頂き物は、必要最小限にした方がいいのですよね。
そうしないと、いくら部屋をきれいに片付けても、また頂き物であちこちが溢れてしまう可能性が高いです。
優しい気持ちの持ち主なのだと思いますが、その優しさが、頂き物を断ったり、使わずに捨てることができない要因にもなっているのでしょう。

また、もしかしたら自分で考えて行動することも、苦手な方なのかもしれません。
部屋の中に、冷蔵庫が2台あるのですが、1台は壊れていて冷蔵庫としての機能は果たしていないとのこと。
その中には、いろいろなモノが収納されていると仰っていましたが、そもそもなぜ廃棄しなかったのか、という助っ人の問いに「捨て方がわからなかった」との返答。
しかし、冷蔵庫はもう一台の冷蔵庫を買う際に、リサイクル料金を支払って購入した家電品販売店で引き取ってもらうことができたはずです。
おそらくこの女性は、自分で調べる、店の人に聞いてみる、という自主的な行動をおろそかにしていたと思うので、もしかしたら他の不要品に関しても、似たような原因で、処分できずにいるのかもしれません。

自分の価値観を振り返る
いろいろな事に、思いを巡らせながら、ふと自分のモノへ対する価値観を考え始めました。

現在、私は時間があれば不要品を探して処分しています。
なぜ不要品をわざわざ「探す」のかというと、必要だという思い込みだけで所有しているモノが、絶対にあるはずだからです。
最近片付けたキッチンのシンク下収納スペースから、収納をコンパクトにするために使用していたお菓子の缶箱を2つ処分したのですが、これも収納をコンパクトにできるモノという思い込みから、捨てずにいたモノです。
このように、日ごろ使っていて、邪魔にもならず、そこそこ便利に使えるモノというのは、なかなか不要品だと思う機会がありません。
しかし、視点を変えて整理しなおしてみると、途端に邪魔な不要品に早変わりです(笑)
結局、収納方法を見直したり、そもそも収納していたモノが不要品だったりすると、自然と使っていた収納グッズが不要になるのですよね。

自分の価値観は、いつまでも変化がないと思っていても、その価値観で視れていないモノは、どこかしらに存在します。
その、視れていないモノに気付かせてくれるのが、他人が片付けている様子です。
昨晩視聴した片付け動画も、汚部屋住人の片付け動画も、自分と比較してどうか、と思う場面も多々ありますが、一瞬だけ、

「あ、私の部屋(家)にも、似たような状況があった」

と気付かせてくれる場面に遭遇することもあります。
今回は特に、反面教師的な部分が多かったりしましたが、それでも、日ごろ気が付いていない部分を意識させてもらえるだけでも、とても助かります。
そして、最終的に自分が大事にしたいことが何なのか、改めて確認することができる点でも、たくさんの方の片付け動画を見ることは、大切だと思います。

大事にしたいこと大切にしたいモノ
現代のように、ネットで他所様の家を掃除したり片付けたりする様子を見ることができなかった時代は、それこそ井戸端会議で情報収集するしか、価値観を知る方法がなかったと思います。
私の母は、まさしくそれで、他所の家にお邪魔して、余所行きの顔をした汚屋の中(来客に備えて片付いた部屋)を見て、どのくらい掃除が行き届いた家なのかを想像できる状況になれば、ラッキーだったと思います。
ですから、本当のところ他所の家がどのように掃除や片付けをしていたか、何を大事にしていて、何を要らないモノとしていたか、という本質的なところまでは知ることができなかったはずです。

しかし、今は割と赤裸々に掃除や片付けの様子を、動画で配信してくれる方が増えています。
おかげで、自分が少し変わった考え方の持ち主なのか、割と誰にでもある要素の持ち主なのか、おおまかに判断することができます。
その人に価値があるモノでも、私の手元に来てしまえば、秒でごみと化してしまうモノもあるでしょう。
私が大事にしていたモノを、あっさりとごみ箱へ入れてしまう人もいるでしょう。
本当に、価値観はいろいろです。
時には、驚くような価値観で、とんでもないモノを手放してしまう人もいます。

ただ、そのように他人の価値観を、片付けを通して見ることで、自分が本当に大事にしたいことや大切にしたいことが、明瞭になってくることも確かです。
これが、例えば割と付き合いが親密な友人知人であると、お互い気を遣って自分の価値観を抑えつけた言動をしてしまうこともありますが、まったくの赤の他人が片付けている動画であれば、自分との共通点と相違点、価値観の食い違いを明確にしやすいです。
なぜなら、相手とコンタクトを取るわけではないので、一方的に自分の価値観を確認することに集中できるからです。

この、価値観を確認することに集中できることって、とても大事なことだと思っています。
他人の考えが割り込んでくると、無意識にそこに迎合してしまおうとする心理が働かないとも限りません。
そうなると、割と簡単に自分の価値観にブレを生じさせます。
本当は違うのに、相手に合わせてしまおうとする自分が出てきてしまいがちで、下手をするとそこから自分の思いとは違う方向へ流されてしまう可能性も出てきます。
しかし、立ち止まって自分の価値観を再確認することができれば、自分が理想とする言動や暮らしを続けることができるし、なによりも心地よく暮らしていくためには、他人に価値観を揺さぶられたくないですよね。
だから、価値観を再確認する作業は、日々生活していく中で、とても重要なことだと思うのです。

価値観のブレが少なければ、本当に大切にしたいモノ、大切にすべきモノがおのずと決まってきます。
例えば、音楽家であれば、楽器や楽譜はとても大切なモノですし暮らしていく上で必要なモノですが、音楽を生業としていない人にとっては、なくても困らないし、生活に支障もありません。

今の私は、将来「老後に必要最小限のモノで暮らす」ことを目的として、今身の回りにある不要品を処分する毎日ですが、今使っているモノの8割くらいは、無くなっても暮らしに支障はないだろうと思っています。
もし、現金以外に最後まで残すとすれば、眼鏡、数着の服と下着、靴1足、家の鍵、布団、エアコンくらいでしょうか。
他は、消耗品が少し必要にはなるはずですが、基本的には以上で事足りるはずです。
(スマホは、あった方がいいかもしれません)

服や靴は、社会生活を送る上で絶対に必要なモノです(笑)
家の鍵については、自分の身を守るために必要で、眼鏡は視力が悪い私にはなくてはならないモノです。
布団とエアコンは、自分の命と健康を守るために必要なモノです。
こうして考えると、今の私にとって一番重要なのは、身体の健康を最低限維持できて、社会生活を滞りなく送れて、きちんと自分の身を守ることができるモノが、価値のあるモノであり、価値ある行動だと捉えることができます。
そこさえ、自分がしっかりと抑えておくと、今の生活の中で、どうでもいいことや、拘りやプライドを捨てるべき部分が見えてきます。
本当に大事なことや大切なモノは、自分のブレない価値観を常に意識してこそ、見えてくるものなのですね。

今回の気付きは、今後の不要品処分でも意識していきたいし、活かしていきたいと思っています。
これまでに処分をためらってきたモノも、価値観を意識してスパッと処分できたらいいなと思います(笑)


さて、今回はちょっとくどい内容になってしまいました。
その割には、中身がまったくないという(苦笑)
片付け動画をみていると、結構いろいろな気持ちや考えが浮かんでくるのですよね。
ですから、綴りたいことが徐々にわからなくなってきたりします(笑)
もう少し、頭の中で内容を整理してから、文章を綴らないといけないですね(苦笑)