本日の朝食
・全粒粉パントースト(ブルーベリージャム添え)
・ミニトマト
・キャベツとフライドオニオンと海苔の和風コールスローサラダ
本日の昼食
・みそ汁(あおさのり)
・たまご焼き
・手作りミニハンバーグ(冷凍作り置き)
・冷凍焼きサーモン
・玉ねぎ、ほうれん草
・和風コールスローのミニ丼
マヨネーズがなくなってしまったので、醤油とごま油をベースにした和風コールスローサラダを作りました。
まだ残っているので、夕飯でも食べます(笑)
最近、やっとトマトの値段が下がってきたので、これから常備することになると思いますが、4月から公共料金も食料品も値上げばかりで、今後ますます倹約・節約に努めねばなりませんね。
午前中、母の担当医師と面談してきました。
まず、病状説明があり、電話でも伝えられていたのですが、敗血症を発症した際に大きな脳梗塞を起こしていたらしく、頭のCT画像を見せていただきましたが、脳の半分近くが黒い雲に覆われているような画像で、この状態では二度と意識を回復することはないことを告げられました。
脳梗塞の話を聞いた際は、どの程度のものか想像もつかなかったのですが、医師の話を聞きつつ画像を見ていて、母には申し訳ないのですが「あの人、何故命を保っていられるのだろう?」と思っていたところ、医師からも同じことを言われてしまいました(苦笑)
通常、母のような広範囲に渡る脳梗塞を起こすと、1~2週間ほどで亡くなる方も多く、母の場合心臓もボロボロの状態で敗血症も起こしたわけですから、現状維持(とはいえ、少しずつ機能低下や免疫が低下してきている状態)できていることが奇跡だと仰っていました。
しかしながら、その奇跡が延々と続くはずはなく、機能低下、免疫力の低下は少しずつ進んでいて、ほんのちょっとしたことが原因で感染症などを引き起こし、その際は治療薬などを投与しても回復できる可能性は低いとのこと。
栄養も点滴から身体に入れるだけなので、栄養失調状態にもなっています。
また、内臓疾患などとは別に床ずれも酷くなっていて、そこから感染症を引き起こす可能性もあります。
感染症とは関係なく、心臓も既にボロボロなので、いつ心肺停止状態に陥るかもわからないですし、とにかく母の場合、心臓も糖尿病も感染症も、ついでに腎臓も弱っているので、そのどれかに重篤な症状が出ると他の臓器に影響が出て、なおかつ、薬の効能の都合であちらを優先すればこちらが悪化する、という状態でもあるので、すべてに対応した治療や処置をすることができないという事情があります。
ザックリと言ってしまえば、延命するための治療をしても、どれだけ生きながらえるかわからない状態ということです。
そして、その延命は母にとって苦痛にならないか、という1点だけが私の懸念事項なので、その点だけはこれまで一貫して同じことを医師に伝えてきましたし、今回も同じようにお伝えしました。
今後は、母の病状が悪化した際は、医師の判断で母の身体に負担がかからず、痛みや苦しみを極力感じないような治療を優先して施してくださるとのことでした。
そして、母の今後ですが、医師の経験値やこれまで診てこられた患者の例から、おそらく余命は1ヶ月もないであろう、ということでした。
ただし、それは脳梗塞を起こした日から1ヶ月、とカウントした場合なので、もし現状のまま(どこも病状が急激に悪化しなかったと推定して?)であっても、4月いっぱいは生きられないか、長くてもゴールデンウィークは迎えられないのではないか、との見解でした。
明日、母は82回目の誕生日を迎えます。
医師との面談の後、母と面会することができたので、聞こえているかどうかはわかりませんが、そのことを伝えておめでとうと言ってみましたが、母は眼を閉じていました。
ところが、しばらくすると眼を開けたので、桜が咲いている話や、毎回言うのですが治療してもらって苦しみや痛みがなくなったら家に帰れるよ、という話をしていると、どの言葉に反応したのかは定かではありませんが、何か訴えるように私の方に目線を合わせて声も出していたので、何かを言いたかったのだと思います。
私の思い込みだという可能性があることは承知していますが、どうも母は自分から意思を伝える能力を失っているだけで、思考を巡らせたり誰かに何かを言おうとする部分は、まだ機能しているのかな、と感じています。
そのあたりも、私には不思議だったりもします。
何故なら母の母(私の祖母)は、くも膜下出血で救急搬送されて、そのまま1週間くらい?で旅立ってしまい、入院中は一切眼を開けることも声を出すことも、身体を動かすこと(反射運動?)もなかったからです(私の知らないところでは、あったかもしれませんが)
その時のことを考えると、母にはまだ人の声(話)を聞いて応答する意思はあり、その意思に連動して動かせる身体の部分が、まだあるのかな、と。
前回、母に面会した際も、眼を開けていた際に身体を動かそうとしていて、おそらく体勢が辛いとか床ずれが痛いとか、そんな感じだったのかな、と後になって思いついたりしました。
母は戦中生まれで、生まれ育った環境も自然豊かな田舎だったので、野山を駆け回ったり、何時間もかけて山を越えて家のおつかいをしたりしていたので、もしかしたら基礎体力や免疫力が今の若い人たちよりもずっと強いのかもしれません。
父も戦中生まれであると同時に、自衛隊に所属していたので年に何回も山に登ったり長い距離をただひたすら歩いて移動する訓練を積んでいた人だったので、最期を迎える2日前(搬送される直前)までは自分の力で歩いていました。
私の両親、2人の老後を振り返ると、病気が発症してもなんだかんだで乗り切っている感じが強くて、私には到底真似できないと思いつつも、体力はもしかしたらDNAを引き継いでしつこいまでに長生きしてしまうかもしれないな、などと思っています(笑)
少し話が逸れましたが、母は遅かれ早かれ命の灯が消えつつある状態です。
不思議とショックはなく、これまで頑張ってきたよな、という気持ちで母を最期の瞬間まで見守ろうと思っています。
今の状況で後悔があるのは、やはり食べたいものを食べさせてあげられなかったことでしょうか。
もし、ほんの少し舌に乗せてあげるだけでもできたら、アイスクリームとか塩せんべいを舐めさせてあげたいですね。
・全粒粉パントースト(ブルーベリージャム添え)
・ミニトマト
・キャベツとフライドオニオンと海苔の和風コールスローサラダ
本日の昼食
・みそ汁(あおさのり)
・たまご焼き
・手作りミニハンバーグ(冷凍作り置き)
・冷凍焼きサーモン
・玉ねぎ、ほうれん草
・和風コールスローのミニ丼
マヨネーズがなくなってしまったので、醤油とごま油をベースにした和風コールスローサラダを作りました。
まだ残っているので、夕飯でも食べます(笑)
最近、やっとトマトの値段が下がってきたので、これから常備することになると思いますが、4月から公共料金も食料品も値上げばかりで、今後ますます倹約・節約に努めねばなりませんね。
午前中、母の担当医師と面談してきました。
まず、病状説明があり、電話でも伝えられていたのですが、敗血症を発症した際に大きな脳梗塞を起こしていたらしく、頭のCT画像を見せていただきましたが、脳の半分近くが黒い雲に覆われているような画像で、この状態では二度と意識を回復することはないことを告げられました。
脳梗塞の話を聞いた際は、どの程度のものか想像もつかなかったのですが、医師の話を聞きつつ画像を見ていて、母には申し訳ないのですが「あの人、何故命を保っていられるのだろう?」と思っていたところ、医師からも同じことを言われてしまいました(苦笑)
通常、母のような広範囲に渡る脳梗塞を起こすと、1~2週間ほどで亡くなる方も多く、母の場合心臓もボロボロの状態で敗血症も起こしたわけですから、現状維持(とはいえ、少しずつ機能低下や免疫が低下してきている状態)できていることが奇跡だと仰っていました。
しかしながら、その奇跡が延々と続くはずはなく、機能低下、免疫力の低下は少しずつ進んでいて、ほんのちょっとしたことが原因で感染症などを引き起こし、その際は治療薬などを投与しても回復できる可能性は低いとのこと。
栄養も点滴から身体に入れるだけなので、栄養失調状態にもなっています。
また、内臓疾患などとは別に床ずれも酷くなっていて、そこから感染症を引き起こす可能性もあります。
感染症とは関係なく、心臓も既にボロボロなので、いつ心肺停止状態に陥るかもわからないですし、とにかく母の場合、心臓も糖尿病も感染症も、ついでに腎臓も弱っているので、そのどれかに重篤な症状が出ると他の臓器に影響が出て、なおかつ、薬の効能の都合であちらを優先すればこちらが悪化する、という状態でもあるので、すべてに対応した治療や処置をすることができないという事情があります。
ザックリと言ってしまえば、延命するための治療をしても、どれだけ生きながらえるかわからない状態ということです。
そして、その延命は母にとって苦痛にならないか、という1点だけが私の懸念事項なので、その点だけはこれまで一貫して同じことを医師に伝えてきましたし、今回も同じようにお伝えしました。
今後は、母の病状が悪化した際は、医師の判断で母の身体に負担がかからず、痛みや苦しみを極力感じないような治療を優先して施してくださるとのことでした。
そして、母の今後ですが、医師の経験値やこれまで診てこられた患者の例から、おそらく余命は1ヶ月もないであろう、ということでした。
ただし、それは脳梗塞を起こした日から1ヶ月、とカウントした場合なので、もし現状のまま(どこも病状が急激に悪化しなかったと推定して?)であっても、4月いっぱいは生きられないか、長くてもゴールデンウィークは迎えられないのではないか、との見解でした。
明日、母は82回目の誕生日を迎えます。
医師との面談の後、母と面会することができたので、聞こえているかどうかはわかりませんが、そのことを伝えておめでとうと言ってみましたが、母は眼を閉じていました。
ところが、しばらくすると眼を開けたので、桜が咲いている話や、毎回言うのですが治療してもらって苦しみや痛みがなくなったら家に帰れるよ、という話をしていると、どの言葉に反応したのかは定かではありませんが、何か訴えるように私の方に目線を合わせて声も出していたので、何かを言いたかったのだと思います。
私の思い込みだという可能性があることは承知していますが、どうも母は自分から意思を伝える能力を失っているだけで、思考を巡らせたり誰かに何かを言おうとする部分は、まだ機能しているのかな、と感じています。
そのあたりも、私には不思議だったりもします。
何故なら母の母(私の祖母)は、くも膜下出血で救急搬送されて、そのまま1週間くらい?で旅立ってしまい、入院中は一切眼を開けることも声を出すことも、身体を動かすこと(反射運動?)もなかったからです(私の知らないところでは、あったかもしれませんが)
その時のことを考えると、母にはまだ人の声(話)を聞いて応答する意思はあり、その意思に連動して動かせる身体の部分が、まだあるのかな、と。
前回、母に面会した際も、眼を開けていた際に身体を動かそうとしていて、おそらく体勢が辛いとか床ずれが痛いとか、そんな感じだったのかな、と後になって思いついたりしました。
母は戦中生まれで、生まれ育った環境も自然豊かな田舎だったので、野山を駆け回ったり、何時間もかけて山を越えて家のおつかいをしたりしていたので、もしかしたら基礎体力や免疫力が今の若い人たちよりもずっと強いのかもしれません。
父も戦中生まれであると同時に、自衛隊に所属していたので年に何回も山に登ったり長い距離をただひたすら歩いて移動する訓練を積んでいた人だったので、最期を迎える2日前(搬送される直前)までは自分の力で歩いていました。
私の両親、2人の老後を振り返ると、病気が発症してもなんだかんだで乗り切っている感じが強くて、私には到底真似できないと思いつつも、体力はもしかしたらDNAを引き継いでしつこいまでに長生きしてしまうかもしれないな、などと思っています(笑)
少し話が逸れましたが、母は遅かれ早かれ命の灯が消えつつある状態です。
不思議とショックはなく、これまで頑張ってきたよな、という気持ちで母を最期の瞬間まで見守ろうと思っています。
今の状況で後悔があるのは、やはり食べたいものを食べさせてあげられなかったことでしょうか。
もし、ほんの少し舌に乗せてあげるだけでもできたら、アイスクリームとか塩せんべいを舐めさせてあげたいですね。