
カメラを持ってぐるっとまわると、この角度が一番美しい!
パンフレットもこの角度から撮った写真でした。
この日、松本は快晴で暑かったです。
前日にポケモンGOが配信されたので、スマホを見ている人が多かったです。
そして海くんも。
お城のようなモニュメントのあるところは、ジム戦ができたり、アイテムをゲットすることができるポイントがあるみたい。


正面
手前に赤い橋がありましたが、裏から入場・見学できるようになっていました。
現存する日本最古の五重天主閣。
創始は、信濃の守護 小笠原氏。
林城を小笠原氏が居城とすると、それを守る支城として、深志城、現在の松本城が建てられました。
一度は武田信玄に追われて、手放しましたが、本能寺の変による動乱の虚に乗じて
小笠原氏が深志城を回復しました。
天主閣
豊臣秀吉のころに石川数正・康長父子が城下を整備し、天守閣を建てました。
豊臣が勢力を持っていたとはいえ、戦乱の時代のものだったので天主閣は
戦いに備えて造られています。
石落としや、鉄砲狭間、矢狭間があり、ここから敵を攻撃したり、
城を守っていたことがうかがえます。
壁の内側は、ぐるりと廊下になっていて、
兵士が矢や鉄砲の玉の補充をもって走る場所がありました。

お城の見学を終わるころ、辰巳櫓から忍者が見えた!
この忍者さん、無料で一緒に写真に写ってくれます。

またかつての堀の一部だったところには
ハスの花が咲いていました。ハスは夏の季語。きれいです。

現在は堀はお城の周りのみになっていますが、かつては川の水を引き込んで、3重の堀があったようです。
本当に戦を想定して造られていたんですね。
明治のころには、旧物破壊思想のもと、松本城は売却・破壊の危機にありました。
古い写真を見ると、瓦がくずれ、壁もボロボロで、もういつ取り壊されてもおかしくない状態でした。
これを憂いた、市川量造らの努力により、天主が買い戻され、
小林有也によって明治の大改修が行われました。
そのおかげで、時を超えた私たちが今、松本城を見ることができて、
当時の文化や建築、生活の様子を知ることができていると思うと感慨深いものがあります。
時の風潮や思想に流されず、たった一人が信念を持って立ち上がったことによって松本城が守られた。
また、ボロボロになったその城の価値を認め、意思を継いで大改修をした人がいた。
今はそれが正しかったと、誰もが感じることができるけれども、当時は逆風の中だったろうし、
お金がない中でよくそれができたと思う。
でも、その量造さんに共感する人もいたんだろう。
また、ある時は地盤沈下によって、松本城全体がピサの斜塔のように傾いた時代もあったようだ。
幾多の試練を乗り越えて、人々によって守られた松本城が今、ある。