Living by Bay and Canal

登場人物:海くん(夫)、キリン改めタクミ(長男)、ちびちび改めてんちゃん(次男)、そして私(妻)。最近は、お弁当日記

年末の惨事 2

2015年12月30日 | Weblog
サイレンを鳴らして現れた消防車の中の人たちが、誰かを探している

やっぱり・・・汗
はーい。すみません、私です。

恐る恐る近づく。隊員の人と目が合って、消防車は路上に停車した。

周りの人は何事も起きてないのに消防車が来ていることを不思議に思うに違いない。

隊員の方が言う。
「今、救急車が早く来られない状況なので、対応に来ました。

はい・・・。救急隊員の方ってみんな素敵ですね。
お世話になるまで気が付かなかったけど。

いろいろと状況を話しているうちに、 救急車が到着

対応を救急車に託して、消防車はお帰りになった。
救急車と消防車を、前にピンピンしている私。

はぁ~・・・世間様に申し訳ないでございます。まるでお騒がせ人間ではないか。

とりあえず、救急車に自力で乗り、ベッドに寝かされて心電図と脈をとりながら病院へ向かう。

すぐに救急で見てもらった。

心電図、超音波、血液検査をしたが、心臓には異常がない。
これで何事もなかったら、それはそれでいたたまれないなぁ。

MRIで内臓の写真を撮る。
胃が腫れているそうだ。

原因は胃だったようだ。胃はちょうどみぞおちのあたり。
心臓にも近くて自分は勘違いをしていたみたいだけど確かに左胸が痛かった。

「昨日何を食べましたか?お刺身とか食べませんでした?」

あ!食べた。おじいちゃんが釣ってきた、ヒラメとマトウダイ。

アニサキスの可能性が高いです。内視鏡(胃カメラ)で検査をしましょう。」

アニサキスはクジラやイルカの胃にいる寄生虫でニョロニョロしたやつ。
その卵が他の魚の中に入って人間まで届くのだ。

「食中毒の一種で、冬が多いです。」

スマホでアニサキスを検索。
アニサキスが胃の中に入ると、自身が胃酸で溶かされないように胃壁を食い破ってその中にもぐろうとするのだ。
それによる激痛を感じる。激痛のあまり、すぐに開腹手術に至ることもあるそうだ。
うええ・・・!!なんじゃ、こりゃ。

年末年始、謎の激痛をがまんするよりは病院に来てよかったのかもしれない。

消化器科に行って胃カメラを飲むことになった。





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年末の惨事 1

2015年12月29日 | やっちまいました・・・
28日、AM3:50

背中が痛くて目が覚めた。
胸のあたりも痛い。痛くて呼吸ができない。

これって前にもあった。
去年の11月ごろだったかな?おさまらなくて救急車で病院に行った。
結局精神的な過呼吸でタクシーで家に帰ったけど、
その時の救急隊の親切で機敏な対応に、世間様に申し訳ないと思った。
なーんだ、過呼吸か

救急車なんてよほどのことだと思っていた。
人生で2度目の救急車だった。その前は3歳くらいで鼻血が止まらなくて乗った。
bleeding!

だから、今度は乗らずに落ち着こう
海くんに背中をさすってもらったり、お茶を入れてもらったりして、
朝の6時くらいまではしのいだ。

お茶を飲むと少し落ち着いて、朝ご飯を食べて出勤した。
今年最後の出勤日。
なんだかんだとデスクワークをしていたら10:30ごろ。
またも激痛。
心臓のあたりをぎゅーっとつかまれるような痛み。
背中も痛い。

症状を調べたら「心筋梗塞」が近い。
まだ若いのに?しかし40くらいでなる人もいる。
血管に脂肪などのプラークが詰まっているらしい。
食生活は気を付けてる方なんだけどな。

これは・・・これはちょっとヤバいぞ。

午後は休みにして海くんとスターウォーズを3Dで予約しているのだ。
このままでは映画を見ている間にも苦しくなりそう。
でも、映画行きたい!

その前に病院に行っておこう。
原因が分かれば大丈夫だし、薬をもらってなんとかなるかも。
すぐに退勤。
内科でレントゲンの設備がありそうな病院を知っていたので自転車で行ってみることにした。
しかし、途中にある開業医はすべて年末年始のお休み。
そりゃそうだな。

近くに大学病院があるけど、紹介状がないと見てもらえない。
どこかに病院は・・・?
すぐにでもかかりたい。♯7119に電話をすることにした。
救急かどうかを相談する窓口であり、病院を紹介してもらえるらしい。

しかし、症状を話すと、
受付の男性から看護師に代わり、また症状を話したら
「救急車を派遣します。そこから動かないでください。」

ええーーーー!!

今は症状も落ち着いていて、自転車でなんとか行けることも説明したのだが、
看護師の女性に厳しく言われ、仕方なく救急車をまつはめに。

しかし、数分後サイレンを鳴らしてやってきたそれは・・・消防車だった!

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おばあちゃんに会いに

2015年12月26日 | Weblog


父方の祖母に会いに行きました。
現在92歳。1月の誕生日で93歳になります。

おばあちゃんとは、
子どものころに山口の防府市にある家で遊んだたくさんの思いでがいっぱいあります。

人工芝のテラスや、鯉のいる池、子供が夏に遊ぶ浅い池。
家の周りには農業用水路があり、メダカ、ハヤ、ザリガニ取りも楽しかった。
その頃仕事を持っていて、習字の先生もしていたおばあちゃん。
パンを焼いたり、ジャムを作ったりしてくれたな~。

今は清瀬に住んでいて、骨折で入院中なのでお見舞いに行って来ました。
お元気そうで、笑顔が絶えず、訪問を喜んでくれて、自分もとても嬉しくなりました。
別れ際、握った手の温かさと力強さに離れがたかったです。

話は変わり、

病院を出て、地図検索をしていたら、
多摩全生園が近くにあり、国立ハンセン病資料館が徒歩15分くらいだったので、行ってみることにしました。



恥ずかしいことに、この年になるまでハンセン病のことはテレビなどで見る断片的な知識しかありませんでした。
偏見からさまざまな苦労をされたり、療養所に強制的に入所させられたということなどです。
少しの不安と緊張感を持ちながら、受付を通りました。


常設展では、療養所の暮らしを、写真や年表、実際に使われていた道具の展示から見ることができます。
また、現在も帰る場所がなく、入所している方の作品や、過去の映像を見ることによって
実際にどんな歴史でどんな場所だったのか、またそこにいる、あるいはいた人々の思いに触れることができました。

一生、死ぬまでそこで暮らさなければならない絶望、家族や自身の人生の夢を奪われながらも
必死で自分が生きる意味を見つけようと、芸術や音楽、創作活動に励む人々の尊い生活がそこにはありました。

そこにいる人々は、私たちとなんら変わりはなく、人生に希望や笑いや楽しみをもとめ、
療養所の中で歌舞伎を演じたり、野球チームを作ったり、季節の行事での相撲を楽しみ、
友達と一緒に勉強をしていました。

しかし、ハンセン病の特効薬である、プロミンによる治療を受けられるまではやはりとてつもない痛みと
苦しみと、人としての尊厳を奪われる病気であったことは確かです。

1931年(昭和6年)に「らい予防法」が成立し、国の療養所が各地に建設され、すべての患者さんが療養所へ強制的に入所させられました。

特効薬が使えるようになったのは1943年(昭和18年)、日本でも1946年(昭和21年から)プロミンによる治療で治る病気であったのに、
昭和28年の「らい予防法改正」により、世間から隔離された生活を余儀なくされました。
それから半世紀後1996年の「らい予防法の廃止に関する法律」が制定されました。

その50年の間にも不当な隔離政策が行われていたという悲しい歴史です。

企画展は、九州にある私設のハンセン病の療養所の歴史でした。

驚いたことは、100年以上前に日本のハンセン病患者の看護施設を作り、
必要なケアをしたのはイギリスなどヨーロッパから来た、医者や、看護士、シスターたちでした。
日本の家屋を借り、患者の足を洗うことから始めました。

物資もなく、言葉も習慣も、違う国で不治の病におかされた人のケアをする。

心を洗われるような尊い行いだと感じました。

時計を持っていなかったので時間を気にせずに見学しました。
たぶん1時間以上はいたと思います。

人の尊厳、美しさ、愛に触れた時間でした。

資料館を出るころには、不安や緊張はなくなっていました。
ここには書ききれない様々なことがたくさんあります。

久しぶりに会った入院中の祖母が、とても喜んでくれたことと、
この閉鎖された場所で家族を恋しく思っていた人たちのことが重なりました。

そして、またおばあちゃんに会いに行こうと思います。

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痛い。

2015年12月06日 | やっちまいました・・・
実年齢を意識しながら生きるのはナンセンスだと思っているのですが、
最近プチ非常事態が。

先週の日曜日。
職場で少しだけ仕事をして、「よし!おわった!さあ、帰ろう。」
と、椅子から立ち上がったとたん、ピキッ。
あれ?これはやばいやつだな。
20年前くらいにくしゃみで突然なったことあるぞ。

その時は「あたた・・・」と若干痛むくらいだったけど
家に帰って夜になると、そろりそろりと歩かなくてはならないくらい痛くなった。
いや~んぎっくり腰ってやつですよね。

寝るときもあいたたた・・・。朝起きれなったらどうしよう?

翌朝。
痛みは少し引いていたので、仕事はせねば。
出勤。
ぎっくり腰をネット検索すると2~3週間で完治するらしい。
それまで痛いのかと憂鬱になったが、なんと水曜日には完治していた。
ま、早く治って良かった、良かった。

ところが昨日、土曜日の夜から深夜にかけて、
今度はひざ痛。
膝がひっきりなしに激痛。ずっと痛い。痛くて眠れない。
さすっても丸まっても痛い。

なんだこれ??神経痛、リウマチ、腫瘍?!

両ひざの内側、気を付けの姿勢をするとくっつくところの筋肉が痛い。
関節ではない。皮膚のもっと下のあたりがジンジン痛む。

なにこれー!!痛いー
真夜中、2:30。海くんを起こすわけにもいかない。
気休めに、スマホでひざ痛をどんどん調べていたら、気が紛れて寝ることができた。
朝になると、痛みはそれほどなくなっている。
なんだったんだ?あれは?

似たようなことは高3の春休み、卒業スキーの時に肩が痛くて眠れなくなったことがあった。
その時は、スキーウェアを含めて重い荷物を持っていたからだと思うのだが、
それもほぼ1日くらいで治ってしまった。

じゃあ、今回のひざ痛は?
思い当たるのが自転車。
その日、子供たちをサッカーに連れていくころに海くんに仕事関係の電話がかかってきて、
慌てて、たっくんとてんちゃんを連れて自転車でフットサルコートへ向かったのだ。
橋を越えたり、なだらかな上り坂のところをてんちゃんをのせてガンガン走った。

その後、保育園の集まりの準備でスーパーに待ち合わせだったので、帰る時も大急ぎ。
それかなぁ。

一人でこぐ分にはそれほどでもないはずなんだけど、
てんちゃんをのせて、火事場の馬鹿力を出してしまったらしい。
サッカーする場所もひと駅となりくらいだから、そんなに激しい運動をした気がしないんだけど・・・
今夜も痛まないといいんだけどな。
シップはって寝ようかしら。

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