どうも三橋貴明さんらの動画を見て影響を受けている人が多いせいか
「小さな政府」はグローバリズムと同じであり、日本がサイレントインベージョン(静かなる侵略)を受けている原因は小さな政府だ
と短絡的に思っている人が多いようで、本当のところ困っています
前回は表現に言葉足らずなところや説明不足のところがありましたので
今回の日記は、前回の日記と照らし合わせて読んでいただくと、内容がよくわかると思います
実のところ、私がこのテーマで繰り返し日記を書く本当の理由は、この短絡的な世間の思考を修正したいと思っているからなのです
むしろ「大きな政府」こそがグローバリズムと結びつき、「サイレントインベージョン」を引き起こしている本当の原因なのです
それを説明したいと思います
アメリカ・ファーストという考え方があります
これを日本のマスコミは、トランプ大統領による「アメリカ一国主義・アメリカ至上主義」であると捉えていたようです
しかし、その見方は間違っています
この「自国ファースト」の考え方は、旧約聖書によるイスラエル建国の精神にも通じる、「国民国家」の考え方そのものです
古代イスラエルは、エジプトの奴隷として迫害されていたユダヤの民が、モーゼに率いられてエジプトを逃れ
預言にしたがって、「カナンの地」(いまのイスラエル)というところに建国した国ですが
ユダヤの諸部族のほかにエジプト民族や、その他の民族も一緒にエジプトを逃れていったため、基本的に「多民族国家」でした
「言語や人種が同じ民族が作るのが国民国家」、という見方は、この時点ですでに間違っていて
本当は、「国民国家」は、多民族や多言語であっても成立するものなのです
要は、”国民国家の一員としての自覚を持てる者はだれでも受け入れられる”、というのが「国民国家」なのです
もともと異質な民族の集まりですから、国民国家の特徴は「寛容さがある」ことであり、「多様性を受け入れる」ということです
たとえば、異文化、異民族、異なる宗教、に対しては「寛容であり、許容して受け入れる」ということです
しかし、何もかも許されるわけではなく、「その国家の構成員の自覚を持つ」ということが、国民の条件になります
また、古代イスラエルでは、神の定めた律法(要するに預言者の降ろした神の掟、十戒等)により
「国王は国家を構成する者一人一人の意見に耳を傾ける事ができる者が選ばれる」、とされ
「国王には法律を決める権限はない」という、今の近代国家の法治主義・三権分立の考え方に当たるものもありました
つまり、近代社会の法律は、古代ユダヤもしくはそれ以前の、「神の定めた律法」に淵源があるのです
これをまず知っておく必要があります
この神の律法というものが、その後時代を下っても形として残っているところを見ても
この神の啓示による律法には「普遍性がある」と見ていいでしょう。。
時代を下っても変わらない、普遍的な考え方・理念が、その中に入っているのです
一方この「国民国家」と対極にあるのが「帝国主義」もしくは「リベラリズム国家」または「グローバリズム国家」というもので
一つの思想、一つの統一原理によって、”力や権力によって”、多民族、多言語族、多宗教を統一する国家、ということになります
これを統一して「グローバリズム国家」と表現することにしますが、このグローバリズム国家の最大の特徴は
「統一された考え方」と「非寛容さ」そして、「力による平和」です
全体主義の研究で有名なハンナ・アーレントによると、全体主義の特徴は「強制収容所」もしくは「それに類似するものがある」
ということで、グローバリズム国家が全体主義に移行していった場合には、そうしたものが作られると言われています
そうしてみると、ナチスの第三帝国や、いまの中国共産党や北朝鮮が「全体主義国家」に分類されることが分かります
「多様性を認めない」、「一つのルールで全体を縛る」、これはわりと緩やかなグローバリズム国家でも起こります
たとえば、欧州連合EUはグローバリズム国家ですが、その具体的な特徴は
「各国政府の上に欧州政府を作り、欧州政府の政策は各国政府を強制的に縛る」
「各国の通貨発行権はこれを認めない、通貨発行は欧州中央銀行が一手に引き受ける」
「人々の移動制限はこれを認めない、各国政府は移民の受け入れを拒否することは許されない」
こうしたものがあります
また、「力による平和」もグローバリズム国家の特徴の一つですが、具体的に言えば、「集団安全保障」ということになります
この「集団安全保障」の最たるものが「NATO(北大西洋条約機構)」や「ワルシャワ条約機構」、こうしたものです
こうした集団安全保障は、「安全を他者に依存する」という意味で、「日米安保」もその中に入り、グローバリズムといえるでしょう
日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の一文は、まさに自国の安全を周辺諸国の善意に依存する宣言
ということになり、日本は最初から独立した国民国家ではない、と宣言していることになります
こうしてみていると、何かのルールを他国に力で押し付けてくるのは、「グローバリズム国家」の特徴なんですね
例えば、竹中平蔵が日本の法律制度を改正して、アメリカが儲かる制度、アメリカに都合の良い制度に変えたとしても
それはグローバリズムによるものであって、実は「小さな政府」が原因じゃないんです
なぜかというと、「小さな政府」こそ、「国民国家」の特徴そのものだからです
逆に、「大きな政府」こそ、「グローバリズム国家」そのものなんですね
つまり、竹中平蔵や小泉純一郎は、「小さな政府」を偽装したグローバリスト、つまり権威主義者なのです
EU各国が欧州議会の権威によってルールを変更されたのと同じように、日本もアメリカというグローバリズム国家の権威によって
常にルールを都合よく変更されている。。。ということなんです
これ、本当は「大きな政府」の特徴であって、グローバリズムなんですよ
大きな政府を志向する国の国民の特徴はね、これはズバリ指摘しておきたいのですが「依存心」なんです
何かに依存したい心。。。誰かをあてにしたい心。。。これが、グローバリズムを引き寄せているんです
日本の保守の一番ダメなところはね、この「依存心が強い」、というところなんですよ
だから、経済対策を国の財政拡大に依存する。。。これも依存心の発露であると分からないんですね
たとえば、アメリカの真の保守(コンサーバティブ)なら、こういうことは考えないんです
トランプ政権は真の保守であり、「小さな政府」の代表格ですが
国を強くするのは、国民一人一人の意欲であり努力なのだ、と考えます
だから、真の保守は政府の権限を大きくすることを嫌います
一方、「国民国家」の特徴も、まったく同じなんです
政府の権限を大きくすると、国民の自立心や自尊心を損なう、もしくは全体主義国家になって国民の自由が奪われる
そう考えるので、国家権力は、国民の生命・安全・財産を守る最低限の権力を持ってもいいが、国民の自立を妨げてはいけない
これが「国民国家」の基本的な考え方であり、これこそ「小さな政府」であり「真の保守主義」なんです
三橋貴明さんはヨラム・ハゾニーの「ナショナリズムの美徳」を読みながらも、そこには気が付かなかった様子です
何度も言いますが、小さな政府とグローバリズムはまったく関係がありません、むしろ、小さな政府は反グローバリズムなのです
それは、及川幸久さんや幸福実現党が小さな政府と反グローバリズムを標榜していることでもわかります
短絡的に、小さな政府はサイレントインベージョン(静かなる侵略)の手口だと考えるのは間違いだと、指摘しておきたいと思います
「小さな政府」はグローバリズムと同じであり、日本がサイレントインベージョン(静かなる侵略)を受けている原因は小さな政府だ
と短絡的に思っている人が多いようで、本当のところ困っています
前回は表現に言葉足らずなところや説明不足のところがありましたので
今回の日記は、前回の日記と照らし合わせて読んでいただくと、内容がよくわかると思います
実のところ、私がこのテーマで繰り返し日記を書く本当の理由は、この短絡的な世間の思考を修正したいと思っているからなのです
むしろ「大きな政府」こそがグローバリズムと結びつき、「サイレントインベージョン」を引き起こしている本当の原因なのです
それを説明したいと思います
アメリカ・ファーストという考え方があります
これを日本のマスコミは、トランプ大統領による「アメリカ一国主義・アメリカ至上主義」であると捉えていたようです
しかし、その見方は間違っています
この「自国ファースト」の考え方は、旧約聖書によるイスラエル建国の精神にも通じる、「国民国家」の考え方そのものです
古代イスラエルは、エジプトの奴隷として迫害されていたユダヤの民が、モーゼに率いられてエジプトを逃れ
預言にしたがって、「カナンの地」(いまのイスラエル)というところに建国した国ですが
ユダヤの諸部族のほかにエジプト民族や、その他の民族も一緒にエジプトを逃れていったため、基本的に「多民族国家」でした
「言語や人種が同じ民族が作るのが国民国家」、という見方は、この時点ですでに間違っていて
本当は、「国民国家」は、多民族や多言語であっても成立するものなのです
要は、”国民国家の一員としての自覚を持てる者はだれでも受け入れられる”、というのが「国民国家」なのです
もともと異質な民族の集まりですから、国民国家の特徴は「寛容さがある」ことであり、「多様性を受け入れる」ということです
たとえば、異文化、異民族、異なる宗教、に対しては「寛容であり、許容して受け入れる」ということです
しかし、何もかも許されるわけではなく、「その国家の構成員の自覚を持つ」ということが、国民の条件になります
また、古代イスラエルでは、神の定めた律法(要するに預言者の降ろした神の掟、十戒等)により
「国王は国家を構成する者一人一人の意見に耳を傾ける事ができる者が選ばれる」、とされ
「国王には法律を決める権限はない」という、今の近代国家の法治主義・三権分立の考え方に当たるものもありました
つまり、近代社会の法律は、古代ユダヤもしくはそれ以前の、「神の定めた律法」に淵源があるのです
これをまず知っておく必要があります
この神の律法というものが、その後時代を下っても形として残っているところを見ても
この神の啓示による律法には「普遍性がある」と見ていいでしょう。。
時代を下っても変わらない、普遍的な考え方・理念が、その中に入っているのです
一方この「国民国家」と対極にあるのが「帝国主義」もしくは「リベラリズム国家」または「グローバリズム国家」というもので
一つの思想、一つの統一原理によって、”力や権力によって”、多民族、多言語族、多宗教を統一する国家、ということになります
これを統一して「グローバリズム国家」と表現することにしますが、このグローバリズム国家の最大の特徴は
「統一された考え方」と「非寛容さ」そして、「力による平和」です
全体主義の研究で有名なハンナ・アーレントによると、全体主義の特徴は「強制収容所」もしくは「それに類似するものがある」
ということで、グローバリズム国家が全体主義に移行していった場合には、そうしたものが作られると言われています
そうしてみると、ナチスの第三帝国や、いまの中国共産党や北朝鮮が「全体主義国家」に分類されることが分かります
「多様性を認めない」、「一つのルールで全体を縛る」、これはわりと緩やかなグローバリズム国家でも起こります
たとえば、欧州連合EUはグローバリズム国家ですが、その具体的な特徴は
「各国政府の上に欧州政府を作り、欧州政府の政策は各国政府を強制的に縛る」
「各国の通貨発行権はこれを認めない、通貨発行は欧州中央銀行が一手に引き受ける」
「人々の移動制限はこれを認めない、各国政府は移民の受け入れを拒否することは許されない」
こうしたものがあります
また、「力による平和」もグローバリズム国家の特徴の一つですが、具体的に言えば、「集団安全保障」ということになります
この「集団安全保障」の最たるものが「NATO(北大西洋条約機構)」や「ワルシャワ条約機構」、こうしたものです
こうした集団安全保障は、「安全を他者に依存する」という意味で、「日米安保」もその中に入り、グローバリズムといえるでしょう
日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の一文は、まさに自国の安全を周辺諸国の善意に依存する宣言
ということになり、日本は最初から独立した国民国家ではない、と宣言していることになります
こうしてみていると、何かのルールを他国に力で押し付けてくるのは、「グローバリズム国家」の特徴なんですね
例えば、竹中平蔵が日本の法律制度を改正して、アメリカが儲かる制度、アメリカに都合の良い制度に変えたとしても
それはグローバリズムによるものであって、実は「小さな政府」が原因じゃないんです
なぜかというと、「小さな政府」こそ、「国民国家」の特徴そのものだからです
逆に、「大きな政府」こそ、「グローバリズム国家」そのものなんですね
つまり、竹中平蔵や小泉純一郎は、「小さな政府」を偽装したグローバリスト、つまり権威主義者なのです
EU各国が欧州議会の権威によってルールを変更されたのと同じように、日本もアメリカというグローバリズム国家の権威によって
常にルールを都合よく変更されている。。。ということなんです
これ、本当は「大きな政府」の特徴であって、グローバリズムなんですよ
大きな政府を志向する国の国民の特徴はね、これはズバリ指摘しておきたいのですが「依存心」なんです
何かに依存したい心。。。誰かをあてにしたい心。。。これが、グローバリズムを引き寄せているんです
日本の保守の一番ダメなところはね、この「依存心が強い」、というところなんですよ
だから、経済対策を国の財政拡大に依存する。。。これも依存心の発露であると分からないんですね
たとえば、アメリカの真の保守(コンサーバティブ)なら、こういうことは考えないんです
トランプ政権は真の保守であり、「小さな政府」の代表格ですが
国を強くするのは、国民一人一人の意欲であり努力なのだ、と考えます
だから、真の保守は政府の権限を大きくすることを嫌います
一方、「国民国家」の特徴も、まったく同じなんです
政府の権限を大きくすると、国民の自立心や自尊心を損なう、もしくは全体主義国家になって国民の自由が奪われる
そう考えるので、国家権力は、国民の生命・安全・財産を守る最低限の権力を持ってもいいが、国民の自立を妨げてはいけない
これが「国民国家」の基本的な考え方であり、これこそ「小さな政府」であり「真の保守主義」なんです
三橋貴明さんはヨラム・ハゾニーの「ナショナリズムの美徳」を読みながらも、そこには気が付かなかった様子です
何度も言いますが、小さな政府とグローバリズムはまったく関係がありません、むしろ、小さな政府は反グローバリズムなのです
それは、及川幸久さんや幸福実現党が小さな政府と反グローバリズムを標榜していることでもわかります
短絡的に、小さな政府はサイレントインベージョン(静かなる侵略)の手口だと考えるのは間違いだと、指摘しておきたいと思います
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