令和天皇即位の折、大嘗祭の費用についての、秋篠宮さまの発言が物議を醸したことを覚えていらっしゃるでしょうか?
秋篠宮さまが、「大嘗祭を税金で執り行うのはいかがなものか、私費で慎ましく行うべきではないか?」
と発言したことが波紋を呼び、「秋篠宮家の乱」などと取りざたされようです
私は秋篠宮さまを批判するつもりはないのですが、
ただ、あの発言によって、天皇家に下世話な色がついてしまった気がしてならないのです
本来なら、神仏習合の考え方に基づけば、天皇家の祭事の費用は、国民からのお布施や浄財によって賄われるべきで
それを皇室典範もろもろの規定によって、税金から捻出するところに尊さが失われている、ということに
多くの方が気がついておりません
本来、天皇家というのは、国の一機関ではないのですよ
浄財やお布施と税金の違いが、世の中の方にはよく分かっていらっしゃらないと思うのですが
税金というのは、国民の意思にかかわらず、国が義務的に召し上げるものです
一方、お布施や浄財というのは、神仏への感謝の気持ちのあらわれとして、尊い気持ちで差し出すことをいいます
ですから、この二つには明確な違いがあるのですよ
「天皇家の祭事に税金を使うべきではない」、などという議論が持ち出されること自体が、実は尊さが失われている証拠なのです
天皇が荒人神として、政治権力の中心となられたのは、実際には明治以降のことであるし
それ以前は、国家権力の中心というよりも「宗教的な権威」であった、というのが歴史的な事実です
日本神道の祭司長として、「神にお仕えする身」であり、
天照大神から、天孫降臨した瓊瓊杵尊(ニニギ)、山幸彦、ウガヤフキアエズと時代を下り
初代神武天皇から続く126代の天皇の肉体子孫であるということが、その宗教的権威の中心にあります
だからこそ、天皇家のお子様が結婚のいざこざで揉めるということなど、本来はあるべきじゃないわけです
現天皇陛下も秋篠宮さまも、どうも「自らが尊きものの末裔である」という自覚がないのではないか?
そんなふうに思われてなりません。。。まあ、この話題はあまりにも恐れ多いので、これまでにしましょうか
さて、杞憂であれば良いのですが、私には、この秋篠宮家の乱問題や女系宮家の問題を見ていて
もうひとつ懸念することがあります
それは、天皇家の跡目争いがあるのではないか?ということです
これが女系宮家問題に関係があるような気がするのは私だけでしょうか?
本来なら現殿下に何かあれば、次期天皇陛下は秋篠宮さまであり、その次は悠仁親王殿下です
ですが、女系宮家を認めるということは、現陛下のお子様である愛子さまを次期天皇に、
という何らかの意図といいますか、どなたかの意思があるのではないか?
そんなふうに感じられてなりません
女性天皇は別に構わないのです。それは正当な理由があれば愛子さまがなられてもいい
しかし、女系天皇となれば話は別になります
これでは、天照大神から続く男系子孫のつながり、という尊崇の根拠がなくなってしまいます
日本創造の神、天照大神の男系子孫、という伝統を破壊することは、正当性を失うということです
そもそも天皇陛下を政治的機関の一つだと思っているところに、間違いがあると私は思います
こうした天皇家の問題が起きるのは何ゆえなのか?
私も随分と考えていたのですが、前回ご紹介したスマイルズの自助論に、その答えが見つかりました
自助論 第一章 3 政治のよしあしは国民の品格で決まる より
「人民が政治の実態であって、政治は人民の姿の影である」
つまり、政治のよしあしを決定するのは、国民の民度であるということなのです
それはまさにそのとおりだと思いました
「国民が戦後教育によって宗教心を失っている」。。。これが天皇家の問題に直結していると思います
水間条項さんなどは、この女性宮家問題に非常に熱心に取り組んでおられます
しかしながら、水間さんであっても、女性宮家の問題は「伝統文化の問題」の域を出ておりません
そこに「天皇家はなぜ尊いのか?」という根本的な問いへの答えがありません
この「なぜ」に答えるのは、道徳教育だけでは無理なのです
そのことをわかりやすく説明するならば
「奈良の大仏が今の時代に作られるか?」これを問うてみればいいでしょう
奈良の大仏は当時のお金で、国家予算の三倍をかけて建設したものです
行基菩薩が全国に呼びかけ、布施を募って建設したものです
そこにあったのは「疫病退散」と「国家の安寧」を祈る、天皇陛下の強い想いであり
当時の人々の信仰心が元にあったわけです
尊いものを作るために、人々は布施を惜しまなかったのです
陛下は国家の安寧を心から祈り、祭祀をとりおこなっていました
だからこそ、天皇陛下は尊いご存在であったのです
その、「尊いものを大切にする」という精神性が、いまは失われています
この状態では、きっと大仏建立は無理でしょう。。。「税金の無駄使いだ」と言われるのがオチだと思います
保守とは、本来信仰心とか、伝統とか、自助精神とか、これを大切にするものです
前回書いたように、アメリカだって、保守とはキリスト教精神からくる倫理観に裏付けられています
私はここで、神仏を否定する人に問いたいと思います
神仏とは、本当にまやかしや昔話だと思いますか?
私は、やはり神とか仏とか、存在していると思います
この神や仏を信じる心を失ったならば、今の自民党がまさにそうであるように
保守の仮面をつけた社会主義・共産主義者たちばかりが、政治を牛耳る世の中になってしまいます
それは自助論で語られているとおり、政治は国民の心の投影であるからです
日本の政治を変えるには、国民の側にも普遍的な宗教的教養が、もう少し必要です
宗教とは道徳の根底にあるものであり、本来よきものであり、国家建設の礎なのです
それではまた、With Savior !!
秋篠宮さまが、「大嘗祭を税金で執り行うのはいかがなものか、私費で慎ましく行うべきではないか?」
と発言したことが波紋を呼び、「秋篠宮家の乱」などと取りざたされようです
私は秋篠宮さまを批判するつもりはないのですが、
ただ、あの発言によって、天皇家に下世話な色がついてしまった気がしてならないのです
本来なら、神仏習合の考え方に基づけば、天皇家の祭事の費用は、国民からのお布施や浄財によって賄われるべきで
それを皇室典範もろもろの規定によって、税金から捻出するところに尊さが失われている、ということに
多くの方が気がついておりません
本来、天皇家というのは、国の一機関ではないのですよ
浄財やお布施と税金の違いが、世の中の方にはよく分かっていらっしゃらないと思うのですが
税金というのは、国民の意思にかかわらず、国が義務的に召し上げるものです
一方、お布施や浄財というのは、神仏への感謝の気持ちのあらわれとして、尊い気持ちで差し出すことをいいます
ですから、この二つには明確な違いがあるのですよ
「天皇家の祭事に税金を使うべきではない」、などという議論が持ち出されること自体が、実は尊さが失われている証拠なのです
天皇が荒人神として、政治権力の中心となられたのは、実際には明治以降のことであるし
それ以前は、国家権力の中心というよりも「宗教的な権威」であった、というのが歴史的な事実です
日本神道の祭司長として、「神にお仕えする身」であり、
天照大神から、天孫降臨した瓊瓊杵尊(ニニギ)、山幸彦、ウガヤフキアエズと時代を下り
初代神武天皇から続く126代の天皇の肉体子孫であるということが、その宗教的権威の中心にあります
だからこそ、天皇家のお子様が結婚のいざこざで揉めるということなど、本来はあるべきじゃないわけです
現天皇陛下も秋篠宮さまも、どうも「自らが尊きものの末裔である」という自覚がないのではないか?
そんなふうに思われてなりません。。。まあ、この話題はあまりにも恐れ多いので、これまでにしましょうか
さて、杞憂であれば良いのですが、私には、この秋篠宮家の乱問題や女系宮家の問題を見ていて
もうひとつ懸念することがあります
それは、天皇家の跡目争いがあるのではないか?ということです
これが女系宮家問題に関係があるような気がするのは私だけでしょうか?
本来なら現殿下に何かあれば、次期天皇陛下は秋篠宮さまであり、その次は悠仁親王殿下です
ですが、女系宮家を認めるということは、現陛下のお子様である愛子さまを次期天皇に、
という何らかの意図といいますか、どなたかの意思があるのではないか?
そんなふうに感じられてなりません
女性天皇は別に構わないのです。それは正当な理由があれば愛子さまがなられてもいい
しかし、女系天皇となれば話は別になります
これでは、天照大神から続く男系子孫のつながり、という尊崇の根拠がなくなってしまいます
日本創造の神、天照大神の男系子孫、という伝統を破壊することは、正当性を失うということです
そもそも天皇陛下を政治的機関の一つだと思っているところに、間違いがあると私は思います
こうした天皇家の問題が起きるのは何ゆえなのか?
私も随分と考えていたのですが、前回ご紹介したスマイルズの自助論に、その答えが見つかりました
自助論 第一章 3 政治のよしあしは国民の品格で決まる より
「人民が政治の実態であって、政治は人民の姿の影である」
つまり、政治のよしあしを決定するのは、国民の民度であるということなのです
それはまさにそのとおりだと思いました
「国民が戦後教育によって宗教心を失っている」。。。これが天皇家の問題に直結していると思います
水間条項さんなどは、この女性宮家問題に非常に熱心に取り組んでおられます
しかしながら、水間さんであっても、女性宮家の問題は「伝統文化の問題」の域を出ておりません
そこに「天皇家はなぜ尊いのか?」という根本的な問いへの答えがありません
この「なぜ」に答えるのは、道徳教育だけでは無理なのです
そのことをわかりやすく説明するならば
「奈良の大仏が今の時代に作られるか?」これを問うてみればいいでしょう
奈良の大仏は当時のお金で、国家予算の三倍をかけて建設したものです
行基菩薩が全国に呼びかけ、布施を募って建設したものです
そこにあったのは「疫病退散」と「国家の安寧」を祈る、天皇陛下の強い想いであり
当時の人々の信仰心が元にあったわけです
尊いものを作るために、人々は布施を惜しまなかったのです
陛下は国家の安寧を心から祈り、祭祀をとりおこなっていました
だからこそ、天皇陛下は尊いご存在であったのです
その、「尊いものを大切にする」という精神性が、いまは失われています
この状態では、きっと大仏建立は無理でしょう。。。「税金の無駄使いだ」と言われるのがオチだと思います
保守とは、本来信仰心とか、伝統とか、自助精神とか、これを大切にするものです
前回書いたように、アメリカだって、保守とはキリスト教精神からくる倫理観に裏付けられています
私はここで、神仏を否定する人に問いたいと思います
神仏とは、本当にまやかしや昔話だと思いますか?
私は、やはり神とか仏とか、存在していると思います
この神や仏を信じる心を失ったならば、今の自民党がまさにそうであるように
保守の仮面をつけた社会主義・共産主義者たちばかりが、政治を牛耳る世の中になってしまいます
それは自助論で語られているとおり、政治は国民の心の投影であるからです
日本の政治を変えるには、国民の側にも普遍的な宗教的教養が、もう少し必要です
宗教とは道徳の根底にあるものであり、本来よきものであり、国家建設の礎なのです
それではまた、With Savior !!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます