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善悪を分けることは知恵の始まり

2023-01-04 01:23:18 | 政治
昨日に引き続き、とりとめもない日記を書いていきます
まずは、よろしければこちらの動画をご覧ください



この動画は素晴らしいものであり、とても勉強になったのですが
動画の中の31分頃から始まる部分が、個人的に特に感心したところです
動画の中で及川さんが紹介している「小説十字架の女」は私も読みました。。。読まれていない方には、1巻からの一読をお勧めします
「小説十字架の女」の第三巻「宇宙編」において、宇宙の邪神「アーリマン」が尋問されるシーンがあります
あまりネタバレはよろしくないかもしれませんが、アーリマンが地球を混乱させ地獄化していく一つの方法として
面白い(悪魔的)手法を、得意げに自慢しつつ、いくつも披露していくシーンがあります
具体的に「あんなことをやった」「こんなこともやった」と、自慢するわけですが、その描写がまた秀逸で。。。
その中の悪魔の手法の代表的なものの一つが「善悪を曖昧にする」というものでした
要するに現代のマスコミを使って、「戦争に善悪などない」と宣伝させ、善と悪を曖昧にする
これが成功すれば、あとは悪魔のやりたい放題になる。。。というものでした。。。動画の中で及川さんが指摘しているところですね

私はこの動画を見て個人的に思ったのですが
前回にも指摘した、経済学などにも流れる「経済学に善悪の峻別は必要ない」という流れ
これは実は、悪魔的な毒水の思想が、経済学にも流れ込んでいるのではないか?と、強く感じるわけです
保守の方でドナルド・トランプ大統領を尊敬する人は多いと思うのですが
トランプの主張や大統領としてやったことを見ると、明らかに善と悪を分けていることが分かります
その善悪を分ける基準となっているのが、マックス・ウェーバーの著書「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に見る
「プロテスタント(トランプの場合はキリスト教福音派)の倫理観」にあるのは明らかです
みずからの宗教的信条によって、善と悪を分けて考えているように、私には見えます。。。おそらくそうでしょう
では、毒水はどこに源流があるのか?それはおそらく「カント哲学」あたりにあるのだと、私は思っています

ドイツの哲学者エマニュエル・カントは、個人的には神秘的なものに惹かれ
同時代の大霊能力者と言われたスウェーデンボルグに大変興味を持っていたことは、良く知られている事実ですが
彼には霊能力はなく、死後の存在やスウェーデンボルグの言う「死後の世界」もよく分からなかった
だから興味はあったものの、「死後の世界や霊の存在を扱う事が出来なかった」ということでしょう
そして、そんな彼が出した答えが「分からないものについては扱わない」ということでした
その後の歴史を見ると、カントが出した、「人間の理性を最高の価値とする」という流れが
「人間の理性で理解できない形而上(霊とか魂など)の存在を扱うことは間違いである」という、近代哲学や近代学問の流れができてきたように思います

このカントあたりから出てきた理性至上主義の毒水の流れが、宗教的な倫理観よりも人間の知性と理性の方が正しい。。。
という結論を導き出してきたあたりから、宗教的な倫理観や伝統が軽んじられはじめ
「何が正しくて何が間違っているのか?」という、伝統的な倫理的価値観が、崩れ始めてきたように思うのです
カール・ポパーがカント哲学の流れを受けて、「霊とかあの世であるとか、形而上の存在を前提とした倫理的価値観は迷妄である」
という考え方が出てきて、あの世や霊などを否定し、その倫理観を否定した社会こそ、開かれた社会(オープンソサイエティ―)である
そう主張するに至りました。。。そのポパーの薫陶を受けて、「開かれた社会財団」を作り
世界を混乱に陥れているのがジョージ・ソロスという、大富豪であり投資家であることは、以前にも述べました

例えば、アメリカのバイデン現大統領は、アメリカとメキシコの国境を開き、移民をどんどん流入させていますが
これなども、「開かれた社会」という、ポパーらの思想の影響を受けていることは明らかです
アメリカは今、マイノリティーや不法移民の権利を守ることこそ、「開かれた社会」だと主張してはばかりません
白人はこれまで有色人種やマイノリティーの権利を侵害してきたのだから、彼らが犯罪を犯しても大目に見るべきだ
みたいな歪んだ風潮が、いまアメリカでは蔓延しています
ここにあるのは、「黒人や有色人種=差別された可哀想な人たち」なので、彼らに犯罪の責任を問うべきではない、という
とても歪んだ結果平等主義です。。。黒人がどんな犯罪を犯しても、白人と同等以上に扱うべき、という極端な結果平等主義です

善と悪を分けるのは知恵の始まり
これは私としては、とても大切なことだと思うのですよ
黒人がしようと白人がしようと、「犯罪は犯罪」これは明らかです
同じ罪を犯しても、白人は犯罪者になり黒人はあまり罪に問われない。。。このようなことが、アメリカでは起きつつありますが
そうであれば、前提として「白人は元々犯罪者で、黒人は元々被害者であり善人である」という事になります
何が正しいのか?ではなくて、最初から黒人の方が正しい。。。という前提は、そもそもおかしいですよね?
私は、今のアメリカの倫理観の崩壊は、間違いなく宗教的倫理観の崩壊から起きている、と見ています
それが善と悪を分けることを困難にしているのだろうと思います
アーリマンが、「善悪を曖昧にする」ことで、社会を混乱させることができる、と言っていることの意味が分かります

前回の日記で書いたことですが、MMT(現代貨幣理論)には、毒水が流れている、というのは
要するに、「唯物的な論理こそ正しくて、善や悪という概念は必要ないのだ、善悪わける必要がないのだ」
という前提がそもそも間違っていると、私は主張しているわけです
確かに、貨幣観を変える事で、積極財政によって日本を救うことができる。。。という主張は分かります。理解できます。
しかし、政府が国民にお金を配ることで、日本人が勤勉になり、素晴らしい国になる。。。という主張は、本当に正しいと思いますか?

私が言いたいのは
今の日本人に必要なことは、「貨幣観が変わること」じゃありませんよ
勤勉の美徳や独立の気概、自助の精神、武士道精神、こうした事が必要なんじゃないですかね?
MMTで積極財政を推し進める人々に言いたいのは
積極財政が国民を堕落させ、怠惰にするのなら、その積極財政は悪となる
その善悪を見極める目が必要なんですよ、ということです

縷々述べてきて、とりとめがなくなりましたが
これからも、宗教的な価値観、倫理観の大切さ、経済学や政治学の前提として宗教的精神が必要であることなど
述べていこうと考えています

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