ときどき私もせこいことを考え、「上達のコツ」とか「二胡が上手くなる練習方法」とか
検索する。そしてやっぱり、そんなのあるわけないか、と思う。
二胡も今ではかなりな人口があるようだけど、それでもどんなのか実物見たことないという人が
結構いることも確かだ。まあ、一絃琴ほどひどくないけど・・・
ほとんどの人は趣味で習っているだけだけど、
中には趣味が高じて?職業にしちゃった人もいるかもしれない。
趣味と職業、なにが違う?
演奏して、あるいは教えて金銭の授受があればプロなのか?
二胡の演奏の動画を見まくっている日々・・・
いろんなプロ?がアップし、いろんな素人さんも勉強のために?動画をアップしている。
あれ?音が聞こえないぞ、みたいなのから、中国の国家一級演奏家までさまざま・・・
まあ、プロでも素人でもどっちでもいいけど
最後はその人の演奏が好きかどうか、その演奏家(の人間性)が好きかどうか、
という話になってくる(私の場合)。
不思議なのは、何をどう演奏しても、そのとき演奏家が何を考えて弾いているのかが
伝わってきてしまう、ということ。
あれ、なんでなんでしょうね?ほんとうに不思議です。
無心に、一心に演奏していると、それがたとえ一流の技術でなくても
観客に伝わるものがあるのですね~
それも不思議です。
上手、下手じゃないんじゃないかと、思ったりするときがあります。
話は戻りますが、「上達法」に加えて「よい先生とはどんな先生か」の記事も
ときどき見かけます。
上達のコツ、というのは、勉強のコツ云々と同じです。
つまり、それを言葉や動画で見せてみたところで、時間短縮にはならないと
私は思います。
なーんだ、そうだったのか!・・・から、それを取得するまでは
どうやればいいのだろう?と悩み、試行錯誤して取得するのと
変わらない練習量が必要なのではないでしょうか。
つまり、手っ取り早い練習法なんてないと思います。
音が良くならない、音が定まらない、弓が安定しない、などなど
すべて単なる練習量の不足に過ぎないんです。
ああでもない、こうでもない、あれこれ悩む試行錯誤の時間は決して無駄ではない。
手っ取り早くできてしまうより、のちのち色んな音色の違いを出してみたくなったとき
それはきっと役に立ってくると(一絃琴の経験から)思うのでした。
検索する。そしてやっぱり、そんなのあるわけないか、と思う。
二胡も今ではかなりな人口があるようだけど、それでもどんなのか実物見たことないという人が
結構いることも確かだ。まあ、一絃琴ほどひどくないけど・・・
ほとんどの人は趣味で習っているだけだけど、
中には趣味が高じて?職業にしちゃった人もいるかもしれない。
趣味と職業、なにが違う?
演奏して、あるいは教えて金銭の授受があればプロなのか?
二胡の演奏の動画を見まくっている日々・・・
いろんなプロ?がアップし、いろんな素人さんも勉強のために?動画をアップしている。
あれ?音が聞こえないぞ、みたいなのから、中国の国家一級演奏家までさまざま・・・
まあ、プロでも素人でもどっちでもいいけど
最後はその人の演奏が好きかどうか、その演奏家(の人間性)が好きかどうか、
という話になってくる(私の場合)。
不思議なのは、何をどう演奏しても、そのとき演奏家が何を考えて弾いているのかが
伝わってきてしまう、ということ。
あれ、なんでなんでしょうね?ほんとうに不思議です。
無心に、一心に演奏していると、それがたとえ一流の技術でなくても
観客に伝わるものがあるのですね~
それも不思議です。
上手、下手じゃないんじゃないかと、思ったりするときがあります。
話は戻りますが、「上達法」に加えて「よい先生とはどんな先生か」の記事も
ときどき見かけます。
上達のコツ、というのは、勉強のコツ云々と同じです。
つまり、それを言葉や動画で見せてみたところで、時間短縮にはならないと
私は思います。
なーんだ、そうだったのか!・・・から、それを取得するまでは
どうやればいいのだろう?と悩み、試行錯誤して取得するのと
変わらない練習量が必要なのではないでしょうか。
つまり、手っ取り早い練習法なんてないと思います。
音が良くならない、音が定まらない、弓が安定しない、などなど
すべて単なる練習量の不足に過ぎないんです。
ああでもない、こうでもない、あれこれ悩む試行錯誤の時間は決して無駄ではない。
手っ取り早くできてしまうより、のちのち色んな音色の違いを出してみたくなったとき
それはきっと役に立ってくると(一絃琴の経験から)思うのでした。